慶應義塾大学 法学部 FIT入試 A方式 2016年 論述問題 解答例

■設問

模擬講義の概要
講義のテーマ:戦争犯罪を考える
講義の概要:
戦争犯罪とは何か
戦争犯罪の問題性:「東京裁判批判」を中心に
戦争裁判批判が遺したもの:東京裁判・ニュルンベルク裁判の意義
*大学1年生が受講して理解できるレベルの講義(50分)を行う。
論述形式試験の概要
論述の設問内容:
講義の要点をまとめたうえで、戦争犯罪に関するあなた自身の見解を述べなさい。
解答の形式:A3レポート用紙形式・字数制限無し。
試験時間:45分 

■ 答案構成

5STEPで書く

議論の整理→戦争犯罪についての説明

問題発見→その場その時にあわせて例外が作られている

論証→それぞれの国の恣意的な考え

結論→戦争犯罪を取り締まる必要はあるが、その基準はぶれてはいけない

結論の吟味→戦争犯罪の基準を変えないために

 

議論の整理→戦争犯罪についての説明

戦争犯罪は国際法などで定められた戦争法規に違反する犯罪のことである。戦争犯罪は一般的に以下の3つに分類される。1つ目は、平和に対する罪である。侵略戦争を始めることや準備することがこれにあたる。2つ目は、伝統的な戦争犯罪である。これは占領地域の民間人の殺人や虐待などが該当する。3つ目は、人道に対する罪である。戦時中における、人種的、政治的迫害などがこれにあたる。また、ジェノサイドも含まれている。現在はこのように定められている戦争犯罪であるが、これまで様々な変遷がある。第一次世界大戦終戦後、戦勝国が敗戦国を裁くことが国際協議で決まった。ベルサイユ条約により、当時のドイツ皇帝だったウィルヘルム2世が裁かれることが決定した。しかし、ウィルヘルム2世が亡命していたオランダが彼の引き渡しを拒んだだめ、彼は裁かれなかった。第二次世界大戦中、連合国側はドイツ軍の虐殺行為を何度も批難していた。1945年の終戦直後、米国、英国、ソ連、フランスなどが協力し、戦争犯罪を裁くための国際軍事裁判が設置された。その結果、ドイツでは多くの指導者が裁かれることとなった。また、日本も裁きの対象となった。この日本への裁きのことを極東国際軍事裁判(東京裁判)と言う。連合軍最高司令官であるマッカーサーの指示の下、極東国際軍事裁判所条例が発布され、多くの日本人が裁かれた。

問題発見→その場その時にあわせて例外が作られている

上記のような戦争犯罪の変遷を観察すると、一つの問題点が挙げられる。それは、その場その時の状況に合わせて例外が作られていることである。例えば、第一次世界大戦後、前ドイツ皇帝は戦争犯罪に該当するとして、裁かれるべきであると国際協議で決められていた。それにも関わらず、その決定を無視する結果となっている。第二次世界大戦後、ドイツと日本の指導者が裁かれた。しかし、それは第二次世界大戦後に作られた規律によって裁かれたのである。つまり、犯罪を犯した当時は犯罪でなかったものを、無理やり犯罪と定義し裁いたのである。

論証→それぞれの国の恣意的な考え

このような背景には戦争犯罪に関わるそれぞれの国の恣意的な考えがある。例えば、第一次世界大戦後の前ドイツ皇帝の場合、オランダはドイツとの友好的な関係のために前ドイツ皇帝の引き渡しを拒否した。また、戦勝国はオランダとの争いを避けたいという思いから前ドイツ皇帝の処刑を諦めた。第二次世界大戦後のドイツと日本の場合、戦勝国側が戦争で傷つけられた報復としてドイツと日本を処刑したという味方もできるだろう。このように恣意的な考え方から戦争犯罪に関する法規は何度も捻じ曲げられているのが実情である。

結論→戦争犯罪を取り締まる必要はあるが、その基準はぶれてはいけない

そもそもなぜ戦争犯罪を定める必要があるのだろうか。それは世界の平和を守るためである。侵略戦争やジェノサイドなど平和的観点からも人道的観点からも認められるべきではないため、罰することで平和と秩序を守らなければならない。したがって、戦争犯罪は取り締まる必要がある。しかし、戦争犯罪に関する実情はどうであろうか。ときに戦争犯罪はなかったものとされ、ときには戦争犯罪に当たらないものまでもが処罰の対象となってしまった。これでは戦争犯罪を国際的法規で定めている意味がない。元来、戦争という決して許されるべきではない悪事を行ったものを適正に処罰するための法規を無視していては、平和も秩序も守りようがない。

結論の吟味→戦争犯罪の基準を変えないために

以上の事実を鑑みたとき、今一度戦争犯罪に関する国際法規を見直すべきである。その話し合いの中で、戦争犯罪に関する国際的コンセンサスを作る必要がある。もし、例外が必要だと思うのであれば、例外を認める条件を法規に盛り込むべきである。例えば、「例外を認めさせるためには国際連合における承認が必要だ」という決まりを作るだけでも違いはあるだろう。

戦争犯罪は国際法などで定められた戦争法規に違反する犯罪のことである。戦争犯罪は一般的に以下の3つに分類される。1つ目は、平和に対する罪である。侵略戦争を始めることや準備することがこれにあたる。2つ目は、伝統的な戦争犯罪である。これは占領地域の民間人の殺人や虐待などが該当する。3つ目は、人道に対する罪である。戦時中における、人種的、政治的迫害などがこれにあたる。また、ジェノサイドも含まれている。現在はこのように定められている戦争犯罪であるが、これまで様々な変遷がある。第一次世界大戦終戦後、戦勝国が敗戦国を裁くことが国際協議で決まった。ベルサイユ条約により、当時のドイツ皇帝だったウィルヘルム2世が裁かれることが決定した。しかし、ウィルヘルム2世が亡命していたオランダが彼の引き渡しを拒んだだめ、彼は裁かれなかった。第二次世界大戦中、連合国側はドイツ軍の虐殺行為を何度も批難していた。1945年の終戦直後、米国、英国、ソ連、フランスなどが協力し、戦争犯罪を裁くための国際軍事裁判が設置された。その結果、ドイツでは多くの指導者が裁かれることとなった。また、日本も裁きの対象となった。この日本への裁きのことを極東国際軍事裁判(東京裁判)と言う。連合軍最高司令官であるマッカーサーの指示の下、極東国際軍事裁判所条例が発布され、多くの日本人が裁かれた。
問題発見→その場その時にあわせて例外が作られている
上記のような戦争犯罪の変遷を観察すると、一つの問題点が挙げられる。それは、その場その時の状況に合わせて例外が作られていることである。例えば、第一次世界大戦後、前ドイツ皇帝は戦争犯罪に該当するとして、裁かれるべきであると国際協議で決められていた。それにも関わらず、その決定を無視する結果となっている。第二次世界大戦後、ドイツと日本の指導者が裁かれた。しかし、それは第二次世界大戦後に作られた規律によって裁かれたのである。つまり、犯罪を犯した当時は犯罪でなかったものを、無理やり犯罪と定義し裁いたのである。
このような背景には戦争犯罪に関わるそれぞれの国の恣意的な考えがある。例えば、第一次世界大戦後の前ドイツ皇帝の場合、オランダはドイツとの友好的な関係のために前ドイツ皇帝の引き渡しを拒否した。また、戦勝国はオランダとの争いを避けたいという思いから前ドイツ皇帝の処刑を諦めた。第二次世界大戦後のドイツと日本の場合、戦勝国側が戦争で傷つけられた報復としてドイツと日本を処刑したという味方もできるだろう。このように恣意的な考え方から戦争犯罪に関する法規は何度も捻じ曲げられているのが実情である。
結論→戦争犯罪を取り締まる必要はあるが、その基準はぶれてはいけない
そもそもなぜ戦争犯罪を定める必要があるのだろうか。それは世界の平和を守るためである。侵略戦争やジェノサイドなど平和的観点からも人道的観点からも認められるべきではないため、罰することで平和と秩序を守らなければならない。したがって、戦争犯罪は取り締まる必要がある。しかし、戦争犯罪に関する実情はどうであろうか。ときに戦争犯罪はなかったものとされ、ときには戦争犯罪に当たらないものまでもが処罰の対象となってしまった。これでは戦争犯罪を国際的法規で定めている意味がない。元来、戦争という決して許されるべきではない悪事を行ったものを適正に処罰するための法規を無視していては、平和も秩序も守りようがない。
以上の事実を鑑みたとき、今一度戦争犯罪に関する国際法規を見直すべきである。その話し合いの中で、戦争犯罪に関する国際的コンセンサスを作る必要がある。もし、例外が必要だと思うのであれば、例外を認める条件を法規に盛り込むべきである。例えば、「例外を認めさせるためには国際連合における承認が必要だ」という決まりを作るだけでも違いはあるだろう。

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