慶應義塾大学 FIT入試第2次選考 法学部法律学科 2010年グループ討論 解答例

2010年度FIT入試第2次選考概要(法律学科)

3.グループ討論の概要 •テーマ:『日本における外国人労働者の受け入れのあり方』 『現代の日本社会における競争の功罪』

 *グループ討論の順番によって上記テーマのどちらかが指定される。

  • 司会者の有無:教員が司会役を務めるが、進行とタイムキーピングのみを行い、受験生の自由な議論にまかせる。
  • 討論時間:60分

4.発表と質疑応答の概要 •発表と質疑応答時間の配分:各15分程度、合計30分

 *自分がこれまで行ってきた活動や入学後の目標と構想を自由に表現する。

※グループ討論と発表と質疑応答の順番:午後のグループ討論と発表と質疑応答は人によって順番が異なる。

■想定される議論(その1)『日本における外国人労働者の受け入れのあり方』

それでは、『日本における外国人労働者の受け入れのあり方』について議論したいと思います。現在の日本社会では、少子高齢化などの影響があって、労働者の深刻な人手不足が懸念されています。従来の日本の精度では、外国人の「技能実習制度」を利用した事実上の就労が広く広がっていました。しかし、2019年4月から実質的な「労働者」を、「単純労働」とされる分野に限り就労可能とする法律改正を行い、国内に不足していた労働者確保を政府主導で行うことになっています。 こういった外国人労働者の受け入れにあたって、現状でどのような懸念があるかを検討してみましょう。

《劣悪な環境下で就労するなどのデメリットはないか?外国人受け入れによって仕事の水準は保たれるのか?》

まず、外国人の受け入れがなぜ活発になっているかというと、それは、「安価で賃金が安い労働力」であるという認識を雇い主が持っていることが多いことが挙げられます。また、外国人受け入れに積極的な企業は、大企業ではなくて、中小企業であるという現実もその認識を後押ししています。そのため、外国人の「技能実習制度」によって、就労者が劣悪な環境で就労せざるをえないケースなどが散見され、社会問題になったこともありました。これが、外国人が就労するうえでのデメリットです。確かに、日本語や日本文化がはじめは理解できないがゆえに、日本人の就労者と外国人の就労者である程度処遇を変えざるを得ないことはあるかもしれません。しかし、非人道的であるくらいにまで、就労環境の悪化を放置することについては、一定の歯止めをかけなければいけない問題になるだろうと思われます。

しかし、外国人を受け入れて戦力化に成功している企業では、日本人と同じ水準の仕事を外国人に行ってもらっているところが多いようです。また、自国での就職先が少なく、かつ、高い技術力を習得することもできない外国人にとっては、日本で就職することにより、日本の中小企業の高い技術力を学べることは、自国での就労に比べて、きわめて大きなメリットを持っていると言わざるをえません。そのため、日本語の習得システムに加えて、技術習得のための教育システムの確保を行うことが可能になれば、外国人の応募数を増加させて、より意欲の高い外国人就労者を受け入れることも可能になるはずです。

《外国人労働者の受け入れによって治安が悪化しないか?外国人が同質性の強い日本社会になじめるのか?》

さらに、外国人労働者の受け入れが活発になれば、治安の悪化など、日本社会への悪影響があるのではないかということも懸念されます。確かにデータだけを見れば、外国人労働者の数に比例して、犯罪の検挙件数が増加していることは事実です。しかし、その犯罪を起こす動機が外国人労働者の待遇がきわめて低いことが原因であるケースや、外国人労働者が国内で失業した際の対応が自力でできないケースなど、就労環境の改善や再就職斡旋の仕組みを整えることによって、外国人の犯罪検挙数の割合を減らすことが十分可能であるとも考えられます。また、再就職もできない程度にまで、外国人の就労意欲がなくなった場合の取り締まりの強化や、本国への帰国システムの整備も必要です。

まとめ

現在の日本社会の外国人労働者受け入れのあり方は、教育システムの拡充などによる就労環境整備、失業した場合の再就職斡旋、就労意欲のない外国人への取り締まり強化によって、十分に改善が可能であると思われる。

 

■想定される議論(その2)

それでは、『現代の日本社会における競争の功罪』について議論したいと思います。

現代日本においては、受験における競争、会社に入っての出世の競争、どの分野に入っても競争をすることが避けられない状態になっていると思います。この競争の功罪についてどのように考えたらよいでしょうか?

《競争とはそもそも何か?競争を行う背景には何があるか?》

競争することについての良し悪しは、議論があるところだとおもいますので、まず前提となる考え方を整理しましょう。競争とはそもそも何のことで、何の目的でなされるものでしょうか?

例えば、日本社会の政治における政権争いの競争について考えます。この競争が行われること自体にも政治的な思想がばらばらであることがわかると思います。一例をあげると、「政治で主導権を握るための生存競争こそが政権争いの根本に存在する」という考え方があると思います。「万人の万人に対する競争状態」が政治の政権争いの基にあるのではないか、という考え方です。ただ、それだけではありません。現代の民主主義では、国民の基本的人権を尊重し、国民が主権者となって自分達のよりよい生活を実現するために、政治家を選ぶ仕組みが採用されています。そのため、現代の民主主義は、「万人の万人に対する競争状態」ではなく、「主権者である国民が幸福を享受するための政策の自由競争」が民主主義の背景にある考え方であると考えられます。多くの人の常識的感覚からすれば、「万人の万人に対する競争状態」というものは、野蛮なものであって、他人への思いやりに欠ける判断をお互いに行い続ける危険があるから、望ましくないものであって、容認すべきではないのではないかと思うだろうと思います。また、「主権者である国民が幸福を享受するための政策の自由競争」であれば、競争の結果として、最終的に国民の利益に資する結果になるわけだから、大いに行ったらよいのではないかと思うのではないかと考えます。つまり、「競争」といっても、その背景にある考え方によって、競争の意義というものが異なってくるわけです。

《競争を行う背景思想の多義性について》

また、日本社会における経済的な競争についても、政治的な政権争いと同様に競争の背景思想に多義性が認められます。経済競争を行うことそのものが競争者の間では、「優れたものが劣ったものを食いつぶして構わない」という「優勝劣敗」思想を基にしているだけであれば、競争そのものに罪があると判断されるかもしれません。しかし、アダム・スミスが言うには、その「優れたものが劣ったものを食いつぶして構わない」という「優勝劣敗」思想が経済的取引で上手に活用されたときに、国全体が経済的な豊かさを享受できるという「神の見えざる手」の考え方もあるわけです。

まとめ

したがって、現代の日本社会の競争の功罪を考える上では、まず競争を行っていることそのものよりも、そもそもなぜその場で競争をしているのか、という背景の思想を理解しなければ、競争の功罪を判断することができないのではないでしょうか。競争の結果として、生じる勝者と敗者というものも、敗者がさらに努力することによって未来の勝者足りうる社会的な仕組みを整えていれば、負けること自体が罪であるので競争することがよくないことであると早計に判断することはできないだろうと思います。

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