上智大学 総合人間科学部 教育学科 海外就学経験者入試 2018年 小論文 解答例

  • 議論の整理:AIと教育をめぐる問題の背景の説明

近年AI技術は著しい発展を見せている。例えば、ビッグデータを用いた高速の機械学習の開発によって人間を凌ぐ事物の認証能力をAIがもつに至るなど、多大なる成果を残している。このようなAIの発展を受けて、教育のあり方を問い直す必要が生じてきたのである。

 

  • 問題発見その1:今後の児童・生徒に求められる学力とは?

  • 論証その1:人間に求められるのは創造的な能力

例えば、AIがこれほどまでに発展した後、児童・生徒に求められる学力とはいかなるものであろうか。一定の入力された情報に対して特定の情報を出力するといったことについて、人間はAIに敵うべくもない。AIは、莫大なデータに裏打ちされた解答を超高速で出力するのである。医者の発見できなかった病気を発見するAIといった事例がこのことを示している。

とはいえ、AIにできなくて、人間にできることもある。そのようなものの一つに、問題を発見する能力、問いを立てる能力がある。確かに、AIは、私たちが立てた問題に対して、一定の解答を高速で出力することができるかもしれない。しかし、そこで解決が試みられている問題それ自体はといえば、人間が発見し定式化したものである。この意味で、AIが答えることのできる問題のあり方は問いを立てるという人間の能力に大きく依存していると言うことができる。したがって、今後の児童・生徒に求められる学力とは、問題それ自体の発見に資するような学力である。

 

  • 問題発見その2:問題を発見する能力を養う教育とはどのような教育か

  • 論証:立ち止まることを許す教育

では、問題を発見する能力を養う教育とはどのような教育だろうか。このような力を養うためには、与えられた問いに対して機械的に解答していく力を養うような教育ではいけないだろう。言い換えれば、機械的操作や既存の知識の出力といったことを繰り返すだけでは不十分であるだろう。そうではなく、問題を発見する力を養う教育が求められているのだ。筆者が見るに、そのような教育とは、立ち止まることを許容する教育である。これまでの受験中心の教育においては、制限時間内にできるだけ多くの解答を出すことが評価された。しかし、これからは、たんに適切な解答を出すことではなく、問題そのものの意味や問題に使われている言葉の意味を立ち止まって問い直すようなアプローチが必要である。このように、問いに即答するのではなく、問いの前で立ち止まることを許すような慧眼を持ち合わせた教育者が求められているとも言えよう。

 

  • 結論の吟味: 考えられる反論への応答

もちろん、授業時間には制限があるし、教師のできる仕事の量にも限界がある。その意味で、上で述べられていることは過剰な要求と見えなくもない。だが、「対話的で深い教育」といった言葉には、このような立ち止まる教育へと向かう態度が示されているのであり、その意味で、これからの教育の目指すべき姿はここにある。すなわち、問題を創造する生徒・児童を育成すべく、問題それ自体を反省できる教育を作り上げること。これがAIの発展とともに求められる教育のあり方である。

 

近年AI技術は著しい発展を見せている。例えば、ビッグデータを用いた高速の機械学習の開発によって人間を凌ぐ事物の認証能力をAIがもつに至るなど、多大なる成果を残している。このようなAIの発展を受けて、教育のあり方を問い直す必要が生じてきたのである。

例えば、AIがこれほどまでに発展した後、児童・生徒に求められる学力とはいかなるものであろうか。一定の入力された情報に対して特定の情報を出力するといったことについて、人間はAIに敵うべくもない。AIは、莫大なデータに裏打ちされた解答を超高速で出力するのである。医者の発見できなかった病気を発見するAIといった事例がこのことを示している。

とはいえ、AIにできなくて、人間にできることもある。そのようなものの一つに、問題を発見する能力、問いを立てる能力がある。確かに、AIは、私たちが立てた問題に対して、一定の解答を高速で出力することができるかもしれない。しかし、そこで解決が試みられている問題それ自体はといえば、人間が発見し定式化したものである。この意味で、AIが答えることのできる問題のあり方は問いを立てるという人間の能力に大きく依存していると言うことができる。したがって、今後の児童・生徒に求められる学力とは、問題それ自体の発見に資するような学力である。

では、問題を発見する能力を養う教育とはどのような教育だろうか。このような力を養うためには、与えられた問いに対して機械的に解答していく力を養うような教育ではいけないだろう。言い換えれば、機械的操作や既存の知識の出力といったことを繰り返すだけでは不十分であるだろう。そうではなく、問題を発見する力を養う必要があるのだ。

ではそのような問題発見の力を養うのはいかなる教育なのか。筆者が見るに、そのような教育とは、立ち止まることを許容する教育である。これまでの受験中心の教育においては、制限時間内にできるだけ多くの解答を出すことが評価された。しかし、これからは、たんに適切な解答を出すことではなく、問題そのものの意味や問題に使われている言葉の意味を立ち止まって問い直すようなアプローチが必要である。このような、問いに即答するのではなく、問いの前で立ち止まることを許すような慧眼を持ち合わせた教育者が求められているとも言えよう。

もちろん、授業時間には制限があるし、教師のできる仕事の量にも限界がある。その意味で、上で述べられていることは過剰な要求と見えなくもない。だが、「対話的で深い教育」といった標語には、このような立ち止まる教育へと向かう態度が示されているのであり、その意味で、これからの教育の目指すべき姿はここにある。すなわち、問題を創造する生徒・児童を育成すべく、問題それ自体を反省できる教育を作り上げること。これがAIの発展とともに求められる教育のあり方である。(1168文字)

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