上智大学 総合人間科学部 社会学科 レポート等特定課題 2019年 小論文 解答例

■設問

社会学者の本(何冊でも可。ただし著者、書名等を明記すること)を読み、自己の行動がどのように社会の影響を受けているか、説明しなさい。

 

■答案構成

議論の整理→社会学的若者論の系譜

問題発見→若者像とは何か

論証→若者像の想像と実態の乖離

解決策or結論→コンサマトリー化する若者たち

解決策or結論の吟味→自身にみるコンサマトリー化

 

■答案

議論の整理→社会学的若者論の系譜

社会学とは人間とそれを取り巻く社会現象から、その現象の起因するメカニズムを固有の概念や手法を用いて分析し解明しようとする学問である。その研究対象となる先は個人の社会的行為からそこに内在するパーソナリティはもちろん、広く社会構造や社会変動まで多岐にわたる。それらから理論的な法則を導き出し、当時代における社会的な通念をあぶり出していくのである。今回私は現在コメンテーターや小説家としても話題の社会学者、古市憲寿氏の「絶望の国の幸福な若者たち」に則って社会と自身の相関を社会学的観点において論じていきたい。

問題発見→若者像とは何か

まずは古市氏の唱えている若者論について参照する。大胆なことに彼はそもそも若者というものは時代背景に応じて当時の大人により都合よく作り上げられてきた偶像でしかないという主張を繰り広げている。なるほど確かに一言で若者といってもその年齢の区切りは時代によって変動していくであろうし、確実に共有されている概念など殆ど存在していない。若者とは、戦争や社会情勢の変化によって国家の規範を論じるために使われた空虚な偶像であったとも考えられる。本書ではその上で若者論を3つのタイプに分類している。すなわち若者は希望とする論と、近頃の若者はダメだとする論、そしてその中間に位置する期待しつつも自由主義による堕落を憂慮する論である。しかしながら結局そのどれもが戦後民主主義を否とする軍国的思想のもとに論じられた若者に期待する偶像論でしかなかった。古市氏はここにおいて若者論における若者を非実在青年と突き放している。そんな若者論が社会学に参入してきたのは1953年に出版された「青年社会学」が明確な契機であろう。そこから若者はようやくティーン・エイジャーという形で戦争の希望ではなく消費主体としての在り方を新たに発現させる。しかしここにおいても自由主義を謳歌し始める若者に大人は納得がいかず、映画や西欧の影響を受けてストリートファッションなどが登場した際には一斉補導などを行ない内容のない取り締まりを強化させた。本書でも着目されていることだが、ここで再び1960年代後半から1970年代にかけて若者論ブームが訪れる。現在でも続いている雑誌「社会学評論」では1971年に青年問題という特集を組み1978年には政府が「わが国の若者人格論」が発表される。しかしその内容においては結局のところモラトリアムを裏付けとした近頃の若者はダメだとする論の言い換えに過ぎなかった。だがその中でも現代にまで通ずる新しい若者論も発現した。それは新しいメディアとの関わりと紐づけて若者を語ったカプセル人間という概念だ。カプセル人間とはラジオやレコードなど新たに登場した情報機器によって共有体験を図り新しい形での繋がりを見せた若者の姿を指している。これは現代におけるSNSの隆盛と共にある若者の姿とほとんど大差ない。ではここまで若者像の系譜を論じてきたが、今恐らく若者の位置づけにある私は何を感じているだろうか。

論証→若者像の想像と実態の乖離

今日での若者像は非常にネガティヴで消極的な立ち位置にある。恋愛では草食と揶揄され、車離れなど色々なものから離れていっているらしい。しかしこれはこれまでの流れと同じく社会背景と時代の変化で説明がつく論理ばかりである。そもそも娯楽が多種多様に存在する現在において恋愛がその一つとあれば、ジャンルとして縮小していくのは当然のことである。他にも総務省が発表した平成30年最新の人口動態調査では東京圏に人口の3割が集中しているのだから、車が必需品ではなく嗜好品となる都心部において車を買わない若者が増加していくのも当たり前のことといえる。けれども実際に私も本書を読むまではやはり社会的に作り上げられていた若者像を自身の現在の姿と誤認してどこかで納得しようとしていた節があった。社会が求める若者像は時に規範となって現れる。そこに疑念を持たず受け入れた結果が今この本書で述べられている表層的な若者像の反映であるのかもしれない。続いて本書では現代の若者像として消費離れについての持論が述べられている。車離れでも述べたように、自動車・家電・海外旅行離れがどうやら現代の若者には起こっていることらしい。しかし自動車は先述した車離れにおける人口動態の変化によるものであり、他の家電や海外旅行も詳しく紐解いてみればゲーム機やパソコンなどが家電から除外されていて、海外旅行は衣食住の消費へとすり替わっただけに過ぎなかった。ここで発生していたのは消費離れではなく消費の移動というのが正しい。古市氏は本書において若者の消費離れという考えに対し買うモノとスケールが変化しただけで消費傾向が内向きとなったと述べるにとどまっている。本書では現代の若者の幸福論が述べられる。タイトルにもある通り、現代の若者の感じる幸福と不安について徹底的な疑問が展開されている。ここまでの内向きで消極的な若者像から言えば幸福度はそこまで感じられているようには思えない。事実、2005年頃からは増加する非正規雇用やワーキングプア、激戦と化す就職活動などを引き合いに不幸な若者像がメディアで散々に喧伝されてきた。しかし古市氏はこの世論を覆す驚きの事実を言い放つ。すなわち現代の若者の多くは自身とその生活を幸せだと感じているということだ。これは一体どういうことなのだろうか。内閣府の「国民生活に関する意識調査」によれば2010年の時点で20代男子の65.9%と20代女子の75.2%が現在の生活に満足していると答えている。だが一方で同調査において「日頃の生活の中で、悩みや不安を感じているか」という項目に対しては20代の63.1%が感じているという答えが明らかになった。一見対立しているように思われる幸福と不安を一挙に抱えた若者の歪な姿が浮かび上がる。この疑問は幸福の定義を見直すことで解消が為されている。つまり今が幸せだという答えは、未来により幸せな現状が想定されていないが為に導き出されるのである。もし未来に今よりも幸せな結果が待っているとするならば、現状に満足しているかという問いに100%のイエスを答えることは少し難しい。なぜなら人はもはや自身がこれ以上に幸せになるとは思えない時に今が幸せだとして自身の幸せの絶頂を規定してしまう方が幾分平穏であるからだ。もちろん先により大きな幸福が待ち構えているとしても現状にも満足と答える人はいるかもしれない。しかし前者の結論に至った訳には同様にあぶり出された不安の感情が関係している。

解決策or結論の吟味→コンサマトリー化する若者たち

古市氏の特徴的な主張の一つに「コンサマトリー」がある。コンサマトリーとは自己目的、自己完結を意味し将来の成功よりも現在の幸福を重要視するという考え方だ。彼はこの用語を自己充足的な意味をもって現代の若者像と関連付けて論じている。何かのために日々邁進するのではなく同じ立場にある仲間たちとのんびりと自分自身の生活を楽しむ生き方を現代の若者は重んじていると彼は主張する。そしてそこには先ほどの調査で明らかになった社会や将来への不安が要因として挙げられる。現在の若者は投票に行かない。これは数値的にも証明されている事実であり若者への幻想でも何でもない。しかしなぜ投票に行かないのか、その答えには現代の若者が抱えるコンサマトリーな現状が示されているといえる。絶対数も少なくカプセル人間的な生き方を主流とする現代の若者は、世間の潮流に耳を傾けはするものの介入することは無くなった。それは政治や社会への無力感から形成されるものであり、年金問題や少子化問題など気付かぬ間に発生していた将来的な社会問題の中に身を置いて導き出された結論であるのかもしれない。ならばコンサマトリーな若者が社会を変える日は来るのだろうか。古市氏はコンサマトリーな若者が立ち上がるのは彼らの中で共通している価値観や規範意識が侵された時に起こるとしている。例として2010年に起きた非実在青少年問題に対する反対運動を挙げている。これは東京都が青少年健全育成条例の改正案において二次元のキャラクターであっても年齢が18歳未満に見える場合は規制をかけるとする条項を盛り込もうとした事例である。すぐさまSNSなどでこの改正案は広く知られることとなり大きな反対運動が勃発した。扱いきれない量の電話やメールが届き、「東京都青少年健全育成条例改正を考える会」の呼び掛けに数万もの署名が集まるなど、反対運動は前例のない盛り上がりを見せた。このようにコンサマトリー化する若者がアクションを起こす入り口にはコンサマトリーの中で充足するための価値観や意識が侵害されるかどうかが重要となってくるらしい。

解決策or結論→自身にみるコンサマトリー化

では私自身はどうだろうか。恐らく若者とされる位置に存在していてこれまで論じられてきた全ても至極納得できるものばかりであった。政治や社会に情報としての興味はあれど実際に積極的に関わろうという意思はないし、前途不安な今日においてあえて今より未来に投資しようとする気力もない。しかし人並みに欲はあり平凡な日々を守るための消費は欠かさないだろう。自己の行動がいかにして社会の影響を受けているのか、意識化し自ら発見するのは中々に手厳しい課題である。けれども古市氏の言葉を借りるならば、今述べた私の日常こそがコンサマトリー化した若者としてのモデルであり無意識的に選択を続けている今への投資は社会的課題の増加や社会情勢の不安を受けた結果ともいえる。日々ワイドショーで流される年金システムの崩壊論や深刻化する超高齢化社会を目にして、自身の将来に広がる介護問題や就労課題などの新たな問題に思い至る。だがそれを変えるために投票しようとしても若者の絶対数の少なさに民主主義の一人一票の残酷さを感じてしまう。そうして絶望的な将来図から距離を取り現代において多種多様に展開している娯楽の選択に情熱を注ぐ。「自分らしく生きる」ことが取り沙汰される世の中で画一的な私らしさを私は手にしているに過ぎないのだろう。

 

(計4035字)

 

《参考文献》

古市憲寿氏(2011)『絶望の国の幸福な若者たち』講談社.

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