[responsivevoice_button voice="UK English Female" buttontext="Listen to Post"]

年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 総合政策学部 小論文 2011年 過去問

2011年 慶應義塾大学 総合政策学部 小論文 課題文

問題

 資料1は君が大学に入学した時に伝えたい祝辞です。資料2から資料6はその祝辞に関連した参考資料です。まず少し,簡単に資料を紹介しましよう。

 祝辞にあるように,現在の日本は大きな変動期にあります。例えば資料2は,日本の最近の「豊かさ」や国際競争力が低下しつつあると指摘しています。資料3は日本人の生活満足度が低下していると憂い,ブータンの国民総幸福度の考え方を紹介しています。資料4は,日本の失われた20年を打開するため,企業経営の視点から考察し,部分最適から全体最適型の経営への転換を提案しています。

 また祝辞では,最近の気候変動に代表される地球規模の環境問題は,人間活動の基盤である水・大気・土壌といった自然システムの容量は無限であるとか,人間の活動の大きさや拡大速度が地球の歴史から見るとほとんど取るに足らない,と考えることがもはやできないという事実を提示しているのではないかと述べています。そこで外部の自然を無限ととらえ,その微妙な循環的バランスに従順であった技術の時代は,人間と人間との関係を律する規範だけで十分でしたが,現代では,新たに人間と自然との関係を律する規範が求められているのではと考えます。さらに,「ある枠組み(価値基準・規範)の中で考えたサブシステムにおける定量/定性的な最適解は,別の枠組みで考えると最適にはならないことを認識し,枠組みの設定こそが重要であり,そのために絶えず物事に対しズームをきかせながらとらえ俯職するといった,全体のパースペクティブを意識的に持たねばならない」と指摘します。これこそが総合政策学のアプローチの主要な部分といえます。

 資料5は2010年にテレビでも紹介された講義の教授へのインタビューで,今日,何が善良な生活か,何が正義かを考え語ることの重要性を語っています。最後の資料6は,あるものの探求を目的とする「認識科学」とあるべきものの探求を目的とする「設計科学」からなる新しい学術の体系を論じています。総合政策学はいうまでもなく設計科学で,その核心は価値を作り出し,合理的に実現することにあります。さて,問題です。

問1

 資料1から資料6を参考にして,君が日本をデザインするとき,1)どのような日本を良い日本だと考えますか,2)その根拠となる価値観はどのようなものですか,3)実現のためのプロセスと実現のために君自身ができることあるいはしたいこと,の三点を説明してください(1から3の内容を含んで800字以内,解答欄の枠内であれば図を挿入してもかまいません)。

問2問1の解題の過程で考えた,君の「総合政策学的アプローチ」とは何かを述べてください(600字以内,解答欄の枠内であれば,図を挿入してもかまいません)。

 今後大学で4年間一緒に学ぶ中で,君の考え方がどのように変化していくか楽しみです。その感想は,卒業式の祝辞において紹介したいと思います。

資料1

First of al, on behalf of al faculty members, I would like to Convey our heart-whole congratulation to al of you and your family and friends at the entrance Ceremony

Now days, we are facing the great change of the world 

According to World Competitiveness Yearbook 2010 edited by IMD International Institute for Management Development, Japan was down graded its rating to 27th from 17th last year. It may have Some reason such as government instability and at a time when the labor force is shrinking because of the falling birthrate and the aging population As we can see in global climate change or financial crisis, the various risks we face at both local and global Scale are all interrelated to each other, and also tend to Suddenly emerge at Very local level. These risks also tend to Spread exponentially causing Spatial and temporal chain reactions. This type of risk is generally called Emerging Crises It is needless to Say, global agenda

 We know that global Sustainability is the Central issue that faces humankind in this century, and universities are the generators of knowledge that is needed to address this issue. Conventional Science has only been able to deal with parts of these problems. The approach taken by Conventional Science will not be adequate for dealing with the Emerging Crises of the 21st Century.

So We need a radical Change Of Standpoint Or perspective I would like to provide you some standpoint, taking this opportunity.

Lets Start One of good Saying, may be by Julius Caesar, you cannot See everything in the world and you new students, in general are quick to believe that which you wish to be true

The earth is a complex System of various composites. However, when we look at it as One total System comprised of three subsystems ー nature, humankind and other life forms 一, the humankind and other life forms share nature as their external media, which they both rely On as the Source Of energy Supply and Substance, as well as destination of waste disposal. In that sense, we can define environment as “the Conditional variable of space and time that regulates the natural System “on which humankind and other life form sustain their Co-existence

Our current status of environmental issues on a global scale clearly indicates that we can no longer consider the capacity of the natural System that provides foundation to human activities such as water atmosphere, Soil, to be infinite, or the Scope of human activities or their Speed of expansion to be negligible Back in the days when humankind recognized the exterior nature to be infinitely abundant, and was Subordinate to its delicate circulatory balance, it was sufficient to just provide a norm that regulates relationships among humankind. However, now that we have entered a space and global era, anew norm that regulates a relationship between human kind and nature (environmental ethics) is urgenty called for.

And this new norm should fundamentally be based on a search for “adequate scale”, in other words, “recognizing that the most appropriate set quantity or set formula worked Out for a subsystem under a certain framework (standards or norm) may not be most appropriate under a different framework. Defining the framework is of top priority, and for that, we should consciously maintain an overall perspective always zooming in on various aspects while Zooming right back to the wide overview of the whole picture”

So, I recommend firstly the observation our world by using not only microscope, but also by telescope such as Birds eye view and computer projection in space and time Holistic and Integrated approach is very important

We know that no single institution or network is capable Of tackling these complex, multi-cross disciplinary issues yet, in order for holistic knowledge to be developed and disseminated rapidly, more robust networks that create Synergies now are necessary.

The Second thing is to try to make robust network with students faculty members and Outer society 

As you know, Yukichi Fukuzawa, Fukuzawa-sensei, his main theme may be summarized in  one wordー’independence’ーsince he believed that personal and national independence was the real foundation of modern Society. In order to achieve this self-independence, advocated practical and Scientific, learning that is closer to Ordinary human needs Or, in a Word, jitsugaku as shown in An Encouragement of Learning Gakumon no susume and in other books. The more educated the people became, the better their national independence could be asserted, with a corresponding increase in public virtue and social morality

As shown In his magnum Opus, Bunneiron no gairyaku, An outine Of a theory Of Civilization, civilization means not only comfort in daily necessities but also the refining of knowledge, and the cultivation of virtue so as to elevate human life to a higher plane

So my final requestis to cultivate knowledge and virtue Fukuzawa Sensei took great care to explain the distinction between knowledge and virtue He defined virtue as morality, and knowledge as in teligenCe.

You Can eXpect a positive these development if you step forward boldly. Ido hope to provide your profitable, Successful and enjoyable campus life.

Congratulation again.

資料2豊かなアジア埋もれる日本

 購買力平価”で表す1人当たりGDPは各国・地域の実質的な「豊かさ」や生活水準を示す。国際通貨基金(IMF)の推計によると,10年の日本の1人当たりGDPは約3万3500ドルとなる見込みだ。10年前に比べて約1.3倍に膨らんだ。だがアジアの新興地域はこれを上回るペースで伸びている。

 台湾の1人当たりGDPは07年に3万ドルを超え,今年は初めて日本を上回る見込みだ。「半導体など電子デバイス関連で生産性の高い拠点を多く構える」(第一生命経済研究所の西浜徹氏)ためで,10年間で約1.7倍となった。世界ランキングも10年前の30位から10年には24位に上がる。

 韓国も日本を猛追する。1人当たりGDPは10年に約2万9400ドルとなり,最近10年で格差は半分に縮まった。

 現在のペースで韓国の1人当たりGDPが伸び続ければ,18年ごろには韓国は日本の水準を上回る。日本は1990年代前半にシンガポールに,00年代に入って香港にも抜かれており,アジア各国・地域が「豊かさ」で次々と日本に追い付いてきた格好だ。

 実際にアジア各国・地域は国際競争力を急速に強めている。スイスのIMD(経営開発国際研究所)がまとめた国際競争力調査ではシンガポールが1位,香港2位,台湾8位など,アジアが上位を占めている。韓国も23位で,日本の27位よりも順位が高かった。

 名目ドルベースの1人当たりGDPでは日本がなお優位に立つ。10年は日本の約4万1400ドルに対して,韓国は半分の約2万300ドル,台湾は約1万7900ドルにすぎない。中国は日本の1割に満たない水準だ。経済的な「豊かさ」に加え,教育水準や平均寿命なども加味した国連人間開発指標では,日本は世界で第10位に位置している。シンガポール(23位)や香港(24位),韓国(26位)よりも高い。名目GDPで10年中に日本を上回るとみられる中国は,人間開発指標””では92位にとどまる。

*購買力平価とは,各国・地域の物価の違いや為替レートの影響を除いた基準。「購買力が等しくなるような通貨の交換比率」のこと。例えば同じボールペンがアメリカでは1ドルで,日本では100円で売られているとすると,このボールペンの購買力平価は1ドル=100円である。為替レートが1ドル=80円で購買力平価より円高だとすると,アメリカでこのボールペンを買えば1ドル(=80円)で買えるのに,日本で買うと100円支払わないと買えない。したがって,この場合には,アメリカに比べて日本ではボールペンの値段が高く,日米間には内外価格差が存在している。

**人間開発指標とは,国連開発計画が各国の人間開発の度合いを測る新たなものさしとして発表する包括的な経済社会指標で,各国の達成度を,長寿,知識,人間らしい慶應義塾大一総合政策20||年度小論文29生活水準の3つの分野について測定したもの。

資料3 GNH(国民総幸福度)の国ブータンの人々は本当に幸せか?

「あなたは今,幸せですか?」

 世界的な経済不況とこれに伴う雇用不安等により日本は閉塞感に覆われている。一部に景気回復の兆しは見られるものの,我が国の有効求人倍率は,1963年の調査開始以来の最低水準となっている。また,国民生活選好度調査(内閣府)によれば,人々の生活満足度に関して「満足している」との回答は全体の1割程度と低水準で推移している。

 一方,ブータン王国は,ヒマラヤの麓に位置し,インドや中国といった大国に挟まれた小国だが,前国王が提唱したGNH(国民総幸福度)”の概念が世界から注目されている。GNP(国民総生産)の概念に代わるものとして位置付けられ,経済的な豊かさのみを追い求めるのではなく,個人が幸せを感じることができる環境づくりを目指しているところに特徴がある。ブータンにおける国勢調査では,国民の9割以上が「幸せ」と回答したという調査結果もあるという。

(中略)

GNHIの導入経緯として,ブータンでは先進国の経験・モデル等を研究した結果,経済発展だけでは貧困問題,環境破壊,文化喪失を解消できず必ずしも国民の幸せに直結しないことが明らかになったという。そこで物質的な豊かさだけでなく,精神的な豊かさも尺度に入れた「幸福度」をベースにGNHの概念を導入し,国民の幸せを目指す取組を始めることとした。具体的な政策としては,①健全な経済発展と開発,②文化の保護と振興,③環境の保全と持続的な利用,④よい統治の4つを柱として進めている。

ブータンにおけるGNHの主な取組内容

(中略)

 ブータン政府でGNHを推進する組織である国家計画委員会のカルマ・ツェテーム長官によれば,GNHはGNPのように定量的な数字で幸福量を測るものではなく,政府として国民の幸福を増大するために何をすべきか考え,検討するためのものだという。

 一般的な経済・社会指標を補うものとして「GNHインデックス(国民総幸福指数)」を導入し,様々な面から国民の幸福に関わる指数を測定しそれによって政策決定者が国民の状況を確認し,政策に反映させようとしている。

*「国民総幸福度」とは,GrossNationalHappiness(GNH)の訳であり,物質的な豊かさだけでなく,精神的な豊かさも尺度に入れた「幸福度」を表す考え方。ブータン前国王が国民総生産(GrossNationalProduct:GNP)に代わる概念として提唱した。現在,ブータン王国ではGNHの増大を国の開発政策の理念として打ち出している。

(出典:財団法人静岡総合研究機構機関誌「SRI」No.99(2010年4月)より抜粋《※鈴木法之著》)

資料4「総合型人材」の育成を

 7月上旬,筆者が昼食を共にした日本の代表的企業のトップはこう嘆いていた。ここ数年,投資家向け説明会で質疑になると,海外投資家は,自社への質問ではなくまず「日本は大丈夫か」と尋ねる。「大丈夫ではない」と答えるわけにもいかず,「政治は不安定だが,企業が頑張っているので日本は大丈夫だ」と自らを鼓舞して答えた一と。

 この頼みの綱の企業の競争力が劣化を続けている。それは長きにわたり,「失われた20年」と称される。なぜこうした事態に陥ったのか。打開策は何か。以下で,企業経営という視点から考えたい。

 長期にわたる退潮の原因はいくつかある。経営戦略面で見れば,グローバル化が遅れたこと,高機能製品にこだわりすぎて「ガラパゴス化」が進んだこと,先端製品がコモデイティー(日用品)化した後の戦略の脆弱(ぜいじゃく)さ,などが挙げられる。

 だが,より根源的な要因は前半の「失われた10年」にあると筆者は見る。1990年代に入り日本企業はバブル崩壊で業績が一気に悪化,経営者は必死に打開策を探った。そして井勘定を排し,利益責任を徹底させるため社内カンパニー制を導入。IT(情報技術)化で情報共有が容易になり分権化を進めた。成果主義も導入,本社はスリム化された。

 打つ手は適切だった。だが皮肉にも後に深刻な副産物が残った。90年代後半,部門間の壁は厚く高くなり,連携が働かなくなる。社員の視野も狭まり,成果主義の下で自己の目標達成が最優先された。その結果,もは会社全体に目配りする余裕などなくなり,自分の帰属する狭い組織ユニットの利害に執着した。

 かつて夕刻になると,社内の一角に集まり,「“ウチ”はどうするんだ」と口角泡を飛ばし,行く末を憂いた社員の“ウチ”は会社そのものだった。いま“ウチ”は自部署である。こうして「部分最適化」(個別最適化)が日本中を覆うようになった。

 本社のスリム化が拍車をかけた。「小さくて弱い本社」と化したからだ。本社の本来の役割は部門横断的に横ぐしを刺す点にある。だが「サポート」という軟弱なスローガンを掲げた本社に,もはやその力はない。確かに御手洗冨士夫キヤノン社長(当時)などは部分最適に陥った組織を打破すべく,人事部門に部門横断的な最適化を図れるほどの強い権限を与え,全体最適に向け経営施策を次々実行。経営改革として結実した。だがこうした例はまれだった。

 部分最適化や社員の視野狭さく化は,部門間の連携を阻み,異質な知の融合や新たな知の組み替えを阻止し,ひいては事業や技術のイノベーションの芽をつんだのである。

 日本企業は,自分の職務を明確には規定せずに,他の部署やメンバーとの融通むげに連携するチームワークこそ強みだった。組織全体に目配りし全体の空気を読んで,最適な行動をとる調和型の行動様式だ。それは自然発生というより,社内運動会や職場旅行など濃密なコミュニケーションを誘発し,団結を実現させる努力の産物だった。それが欧米企業の個に対抗した組織の力となり,たぐいまれな競争力を形成した。「経営とはコミュニケーション」という鉄則に照らせば,日本企業の経営は実に合理的であった。だが90年代以降,濃密なコミュニケーションの場を自ら放棄してしまった。まさに「心地よい窒息」状態に陥ったのだ。

 失われた20年の引き金となった90年代に打った手は当時の状況の打破を狙ったが,実はそれは「意図せざる強みの自己否定」につながった。ここに問題の根の深さがある。さらに世紀の転換点で起きていた地殻変動を看過した。実は競争のパラダイムが変化しつつあった。従来の企業経営は,個々(の事業部)が自分の利益を追求して合理的行動をとれば全体が最適化されるとの発想に基づいていた。だから個々の利益の総和が全体の利益の最大化になると,部分の強化に傾注したのだ。

 だがこのパラダイムは崩壊した。「部分」対「部分」の競合は消耗戦となり,持続的競争力を生まない。また資源の重複を生み,全体効率を低下させる。そもそも「部分最適」ができない会社は生き残れないが全体最適ができなければ勝ち残れない。

 反省すべき点がある。従来の日本企業の経営スタイルは「事業部運営」が主流だった。それは各事業部の総和で行うものだ。それが過度の部分最適をもたらした。対して「会社経営」とは,事業部の利害を超えた全社最適を実現することだ。著名な経営学者のゲイリー・ハメル氏が『経営の未来』で,業務や製品のイノベーションより「経営」のやり方自体のイノベーションが必要だと説く点に耳を傾けるべきだ。

 経営は過去志向ではなく未来志向である。では未来に向け「失われた年」の呪縛(じゅばく)からどう脱却すべきか。第一に,人材育成を変革すべきだ。企業は90年代,それまでのジェネラリスト型人材を否定し,スペシャリスト型人材の育成に注力した。80年代の総合型経営から90年代の自律分権型経営モデルに転換するためである。今後,部分最適型から全体最適型経営に舵(かじ)を切るには,それを担う人材の育成が焦眉(しようび)の急である。「組織は戦略に従う」とともに「人材も戦略に従う」のだ。

 一言でいえば,全体最適型プロデューサーを早急に育成すべきだろう。日本企業の競争力低下は,モノづくりの強みに特化し,事業システムを構成する「部分」の強みばかり磨いてきた点に原因がある。それが「利益の単泉化」現象を生み,せっかくの高品質の製品もやがてコモディティー化し,価格競争に追い込まれるパターンに陥った。

 今後は事業システム全体を構想・設計し,「利益の多泉化」を実現できる人材を育成すべきだ。例えば水ビジネスのような,新興国向けのインフラ事業を展開・成功させるには,膜技術や機械の製造・設計やエンジニアリング,運営ソフトといった「部分」を全体最適システムとして構築できる人材が必要だ。これはチャンピオンを輩出することを意味しない。日ごろ社員が視野狭さくに陥らない仕組み・仕掛けを築くことが大事なのだ。

 それも「経営」のイノベーションである。

 第二に,全体最適の範囲を広げることだ。日本企業はすべてで部分最適化したのではない。例外がある。多くの工場は全体最適の思想を取り入れ見事に製造革新を実現した。残念なのはそこにとどまってしまったことだ。今後は営業,開発,物流など他領域にも広げるべきだ。

 第三に,大企業がベンチャー企業との連携をあまりに怠ってきた点を反省すべきだ。大企業が閉鎖性を解き放ち,躍動感に満ちたベンチャーの起業家精神に触れることはオープンイノベーションへの道を開く。海外企業はその点で先進的だ。世界の医薬品産業の成功モデルであるスイス・ロシュは,早くからバイオベンチャーと連携し,自社にベンチャー精神を根付かせた。

 最近,電気自動車の分野でトヨタ自動車が米テスラ・モーターズと提携した。環境変化の激しさが大企業とベンチャーという旧世紀の二分法を無意味にしているのだ。

 第四に,既存産業の異業種連合を促進することだ。特定の製品や産業はやがて海外企業に模倣され,過度の競争にさらされる。それを回避するには,既存の業種間の連携・融合を図り,インテグレーションを進める必要がある。その触媒役として期待されるのは総合商社かもしれない。様々な業種を扱い,広範な知識を持つ世界に類例のないビジネスモデルと,モノづくりを強みとする企業の連携に,政府の後押しが加われば,新たな地平が切り開かれる。「産業融合イノベーション」は日本の大いなる差異化戦略となり,「希望の20年」が見えてこよう。(伊藤邦雄)

資料5 正義とは何か語り合おう

政治哲学者マイケル・サンデルさん

 今日,公の場で真剣に「正義」について議論をしたいという人々の渇望,飢餓感が深まっている。それは社会において,人々が不正義を感じている表れだろう。

 米国の例では,リーマン・ショック後の金融危機の際,破綻した大銀行のために多額の納税者のお金が使われた。その税金からボーナスをもらう役員までいた。このことは国民の間に,不正がまかり通っているという強い感情,道徳的な怒りを広げた。政策的には必要な対処だったと考えている人々にさえもだ。

 もう一つの背景は,日本でも起きつつある格差,貧富の差の拡大だ。不平等の増大が正義,あるいは正しい社会とは何かという重要な問題を提起し始めている。

■こうした時代,政治に求められるのは何が善良な生活かを論じる姿勢だと教授は主張する。

 今,民主主義をより深め,強化したいと願うのであれば,貧困や不平等が,なぜ道徳的にいけないのか,公の場で熟議を行うべきだ。市場原理主義的な傾向が強まった過去30年は,生きる価値や正義,社会の共通善といった真の政治的議論が,経済的議論に押しやられがちだった。市場は生産的活動を組織し,豊かさを促進するには有益な道具だが何が正しい社会か,善き社会かは教えてくれない。行きすぎた市場主義を是正するためにも共通善を探らなければならない。

 米国のオバマ大統領は就任前から,貧困,人種差別,無保険者と失業者といった問題を解決するには道徳的・宗教的信念が必要だと説いた。道徳的な言説,理想主義を大統領が公の議論に導入したことは,大きな意味を持つと思う。

■だが,国家が特定の善き社会を構想し,押しつけるのは危険でもある。市民一人ひとりが何が正義かを考え,語ることが重要だと教授は説く。

 政治に道徳的な考えが持ち込まれるとき,往々にして過度なナショナリズムやノスタルジーをはらむ危険が生じる。最大の防衛策は,市民が公の場で健全な議論に根ざした言説を作りあげることだ。政治家が正義を与えようとするのを待っていてはいけない。その前に,市民の側から善い政治を要求するのだ。

 そうした能力を持つ市民を養成するために,大学などの教育機関は大きな責任を負うし,メディアにも広く議論の場を提供する責任がある。

(出典:日本経済新聞2010年9月1日夕刊より抜粋)※PermissionsfromMichaelJ.SandelarrangedthroughTheEngishAgency(Japan)Ltd

資料6新しい学術の体系(日本学術会議報告から)

1.社会のための学術

・持続可能な発展のために

 21世紀を迎え,社会と学術の接点がますます広がっている。学術の成果が社会を変え,変わった社会が学術の新しい在り方を求めるという,ダイナミックな変化が起こりつつある。そのプロセスは,一方では人類にますます快適な生活を保障するものの,他方では環境問題を深刻化させ,人類の未来に暗い影を投げかけている。「持続可能な発展」を実現することは地球が有限であるという認識が行き渡ったことから生まれた未来への手詰まり感を克服するため,国際的に広く合意された課題である。日本学術会議では第16期以降,この困難な課題を達成するために,あらゆる学術を動員することが必要であること,またそれが効果的に行われるためには「ScienceforScience(知の営みとしての科学)」と並んで「Sciencefor>OCety(ft会のための科学)」を認識評価するという学術研究者の章識改革が必要であること,そのためには大きく転換しつつある学術を新しい体系のもとに整理する必要があることを確認し,新しい学術の体系について様々な議論を行ってきた。

・「あるものの探究」と「あるべきものの探求」

 17世紀に誕生した近代科学は,人間が立てた目的や求める価値を知の営みから切り離し,純粋に客観的な立場から自然を探求する立場を取った。この立場は知の合理性を高めることに大きく寄与し,自然科学だけではなく法学,経済学,社会学など人文・社会科学系の分野にも受け継がれた。「あるものの探究」は知のひとつの基本範型となった。一方で人類は,近代科学の誕生以前から,その知的能力を用いて農耕技術,建築術,医術などさまざまな実践的な技術を獲得し,自らの生活や社会を向上させてきた。技術は目的や価値を実現するための,「あるべきものの探求」であり,近代科学によって合理的な基盤を与えられはしたが,知の営みとしては一段と低い地位に置かれた。「実学」という呼称はこのことを象徴している。しかし,人類が直面する深刻な課題を解決するためには,「あるものの探究」である科学と「あるべきものの探求」である技術が統合されなければならない。それこそが学術の真の姿である。

・認識科学と設計科学

 「あるものの探究」を主な目的として発展してきた従来の科学を「認識科学」と呼ぶとすれば,「あるべきものの探求」を目的とする知の営みには広い意味での「設計科学」という呼び名がふさわしい。設計は一定の目的と価値の実現を目指すものであるから設計科学は目的や価値を正面から取り込んだ新しい科学でなければならない。一方,設計は人間のためのものであるから,設計科学の対象は人工物システムである。人工物システムは人間の全体性を現しており,領域に細分化された認識科学とは異なって分野を横断する統合を強く志向する。すなわち,認識科学を縦糸とすれば設計科学はそれらを結びつける横糸である。認識科学と設計科学を車の両輪とする新しい学術の体系を構築することは,社会のための学術を実現する。

2.俯職的研究と科学論のパラダイム転換

・価値と目的設計には常に目的と目標が存在する。目的,目標には必ず価値が伴っている。従って設計科学の核心は価値を作り出し,それを合理的に実現することである。認識科学が検証すべきものが「事実命題」であるとすれば,設計科学が検証すべきものは「価値命題」である。設計科学では構成すべきシステムや機器,制度に対する価値命題を仮説として設定し,実際に設計構成されたシステムや機器,制度がその価値命題を達成しているかどうかを検証する。検証されなければシステム・機器・制度を修正するか,あるいは価値命題そのものを修正する。設計科学者が注意しなければならないのは,価値に対して感情的に振る舞ってはならない,ということである。自らが主体的に関与する価値だけでなく,それに相反する価値の視点についても十分理解し,たとえ価値の間の対立が「ジレンマ」に陥ろうともそれぞれの立場を少しでも実現するために妥協する冷静さと寛容さが必要である。

・俯職的研究

 価値を研究の内部に取り込むためのひとつの現実的な方法として提案され実施されたのが「俯職的研究プロジェクト」である。このプロジェクトは研究に内在し,応用の場面で必然的に生じる負の側面を研究の途中でしかもプロジェクトの内部で察知し,問題が現実に発生するのを阻止したり,その悪影響を緩和する方法を組み込んだものである。この方法は「価値命題」を検証することが可能であり,従って設計科学の有力な方法論となり得る。俯職的研究プロジェクトは,近代科学の誕生によって分断された認識と実践の統一を図る新しい科学のパラダイム転換を導くものであった。

・パラダイム転換

 ゲノム科学に始まる新しい生命科学の進展が引き金となって,科学の基本的な枠組みに地殻変動が起こりつつある。また,国による大型研究の遂行や科学技術倫理の問題がクローズアップされたことで科学への説明責任が生じ、社会のための科学への新しい期待を生み出した。これらが要因となって科学のパラダイム転換が進行しつつある。パラダイム転換のときは領域の細分化と並行して分野の統合と知の少数の原理への集中が起こる。分野の横断的な統合を展望する設計科学の誕生や文理融合は,現代におけるパラダイム転換を象徴的に表している。同時に,パラダイムの転換は研究者集団や分野の再編と,研究体制の変革を伴うのが普通である。日本学術会議がパラダイム転換を先取りして新しい学術の体系を提案するのは,21世紀へ向けた新たな科学者コミュニティの構築を含め学術研究の新しい枠組みを作り上げたいからである。

・文理融合の必要性

 文理融合の必要性を唱える人は多いが,具体的な成果は上がっていない。文理融合は,単に学術の世界の問題だけでなく急を要する社会的な課題でもある。企業では知財問題や倫理問題,環境問題,生命倫理の問題など文系の問題を理系で解決しなければならない問題やその逆の問題が急増し解決するための人材不足が叫ばれている。学術の新しい体系は文理融合のための具体的な道筋を示唆するものでなければならない。

(出典:日本学術会議第19期対外報告(2005年8月19日)より抜粋)

copyright 2016/Everyday school