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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 総合政策学部 小論文 2005年 過去問

2005年 慶應義塾大学 総合政策学部 小論文 課題文

問題

 学校の卒業式・入学式などにおける。「日の丸」の掲揚・「君が代」の斉唱にかんする問題が。論議をよんでいます。

 文部省(現在の文部科学省)は,1989年に告示された学習指導要領で入学式・卒業式には「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」としました。さらに1999年には「国旗及び国歌に関する法律」(略称「国旗国歌法」)が制定され,「日の丸」を国旗,「君が代」を国歌とするものと定められました。

 戦争など歴史的経緯のある「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とすることには,当時は反対の意見もありました。それに対し小渕恵三首相は「政府といたしましては,国旗・国歌の法制化に当たり,国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」(1999年6月29日,衆議院本会議)と答弁しました。国歌のあつかいについても。ほぼ同様の答弁がなされています。

 

以下の資料は,2001年以降のこの問題に関する新聞の報道と社説です。これらを読んで。以下の問いに答えてください。なお,あなたの考えを論理的に書いていただければ,どのような立場をとられてもけっこうです。

問1 

学校での国旗・国歌は,どのようにあればよいと思いますか。できるだけ,あなたの体験も交えて,考えを述べてください(800字以内)。

問2

学校から一歩広げて,日本社会において国旗・国歌はどのようにあればよいと思いますか。あなたの考えを述べてください(800字以内)。

資料1

国歌斉唱に抗議の着席も(読売新聞大阪版2001年3月1日記事)

 日の丸・君が代問題で揺れる広島県内のほとんどの県立高校で一日,卒業式があり,福山市の県立松永高(徳満孝康校長,九百二十七人)など一部の学校では、国歌斉唱時に卒業生ら生徒のほぼ全員が抗議の着席をする一幕があった。

資料2

 卒業式の日の丸・君が代/命令かざして疑問かき消す/生徒の撤回請願教委、拒否(朝日新聞2001年3月7日記事)

 強制ではなかったはずなのに「教育委員会からの指導」として従わせる。卒業式の日の丸掲揚と君が代斉唱は、そんな構図のもとで大多数の学校に導入されつつある。全国的にほぼ「完全実施」が実現する一方で、残されたわずかな地域や学校では校長への「職務命令」も持ち出された。押しつけに疑問を持つ子どもたちや教員もいるが、その声はかき消されがちだ。

 「僕らはロボットになりたくない」

 千葉県立小金高校(松戸市)の生徒らが作ったチラシに、そうあった。県教委は昨年末、七つの県立高校の校長に、卒業式で「日の丸・君が代」を実施するよう求めた。入学式で実施しなかった学校への職務命令だった。小金高校を含む三校の生徒たちは命令撤回を求めて先月、共同で県教委に請願書を出した。

 小金高校では伝統的に、生徒らで作る「卒業委員会」で式の進め方を話し合ってきた。今回も「日の丸・君が代」なしの案を作り職員会議では承認された。しかし、校長は「そのままでは受け入れられない」。県教委も「命令は校長の職務遂行のために出した」と請願を拒否した。

 「自主自律の校風を守りたい」と生徒たちは交渉を続けている。式は八日に迫っている。

 東京都国立市の市立小中学校十一校では一月、「職員会議細則」と題する取り決めが一斉に定められた。

 校長は、最終的には自分の方針を推し進めることができるという内容だ。また、職員会議の席に教委の指導主事らを出席させることもできるようになった。

 ある小学校では、卒業式の進行を決める会議に指導主事が出席。結局。当初案になかった「日の丸・君が代」が盛り込まれた。「指導主事はひたすら会議録をとり続けていた。意見を言える雰囲気ではなかった」と教員の一人。

 同市では式場での日の丸掲揚や君が代斉唱は昨年までゼロ。昨年は一部の小学校で校舎に日の丸を揚げようとした校長と教職員や児童らが対立し右翼団体の街宣車も来た。市教委は昨年末、校長会の要望を受け、全小中学校長に「日の丸・君が代」実施の職務命令を出した。

 ある校長は「内心の自由は誰にでもあるが,国家斉唱でたくさんの子が着席すれば指導が問われる」と話す。

 日の丸・君が代が式に盛りこまれるだけでは満足しない教育委員会もある。大阪府高槻市では一月,教育長が小中学校長を集めて「指導」を読み上げた。君が代については「児童・生徒が全員起立して歌えるよう指導を徹底されたい。いわんや教職員は率先垂範して起立。斉唱することは当然のこと」。

 同市では昨年,全小中学校の卒業式で君が代斉唱が行われた。一方で在日朝鮮・韓国人の立場から「歌えない」という子どもたちもいて,着席・退席が目立った。それに対し,市教委は「子どもたちの態度に課題が残った」と話す。

資料3

 国歌有無2種の式次第/校長と教職員が対立/当日「式の前」で決着(読売新聞大阪版2001年3月19日記事)

 大阪府吹田市の府立千里高校(岸田祐史校長,千百五十四人)で卒業式の国歌斉唱を「式の中で」と求めた校長と,「式の前に」とする教職員が対立。開式前に行うことで式当日決着したが,校長が生徒や保護者に配る式次第を,「国歌斉唱」の記載のあるものとないものの二種類作り,記載分は無駄になっていたことが十九日分かった。府教委が式での国歌斉唱を強く指導する中,依然トラブルが絶えないことをうかがわせている。

 関係者によると,同校は例年,開式前に「君が代」の演奏テープを流すだけだった。しかし,府教委が一月初め,「国歌斉唱は国の学習指導要領の中で義務づけられている。式の中での実施を」と各校を指導した。

 二月二十七日の卒業式を前に,岸田校長は職員会議で「式の中で行いたい」と提案したが,教職員約七十人の八割以上が反対。話し合いは平行線をたどり,岸田校長は,二種類の式次第(計約二千部)を約四万円の学校予算で作製した。

 式当日の朝,国歌斉唱は開式前に行い,斉唱中の起立を求める形で決着。斉唱の際,教職員の大半は起立せず。卒業生約四百人の二割,保護者の約八割が起立して歌ったという。式次第は「国歌斉唱」の記載がない方を配り,もう一方は倉庫に保管したまま。

 岸田校長は「当日,結論と反対の内容の式次第を配ることになると,式が混乱すると心配し,二種類用意した」と話している。府教委によると,国歌斉唱を開式前に行っている府立高は約三割。府教委児童生徒課は「開式前の実施の上,無駄な予算を使うことになり残念だ」としている。

資料4

国歌斉唱起立せぬ来賓「お断り」/卒業式など品川区教育長が方針(朝日新聞2001年3月24日記事)

 東京都品川区の若月秀夫教育長らが議会答弁で卒業式の「国歌斉唱」で起立しない来賓は「招待しない」との方針を表明した。野党議員らは「子どもたちの卒業を祝おうとする地域の人々を思想信条で差別し,君が代を強制するものだ」と反発している。

 発言があったのは二十二日午後の予算特別委員会。「卒業式の国歌斉唱で立たない人がいる。そういう人は招待すべきではないのではないか」との自民党議員の質問に対し,区教委の指導課長が「式も指導の場。立たない人を(児童・生徒に)見せるのは好ましくない。来賓にも式のやり方に従っていただけるよう協力を求める。従っていただけない場合は招待しない」と答弁した。

 これに対して来賓として地元の小中学校の式典に出席しながら「国歌斉唱」でも起立してこなかった船波恵子議員(社民)が「国旗・国歌法制定時も強制しないとされていた。地域の一員として子どもたちの卒業などを祝いたいという人を心の中で何を信じているかで排除していいのか」とただした。若月教育長は「結婚式でも従わない人は招待しない。それと同じだ」と述べた。

 品川区では管内五十八の小中学校の卒業式や入学式に地元の議員らを招待している。今年度の卒業式は二十三日までにすべて終了し混乱はなかったが,入学式での対応があらためて問題になりそうだ。

資料5

「君が代」より友,悩む12歳(朝日新聞大阪本社発行分2001年3月30日、阿久沢悦子署名記事「私の見方」)

 大阪府内に住む十二歳の女の子から「困っています」という投書が新聞社に届いたのは卒業式の三日前だった。

 手紙の主。美沙子ちゃんには、美潤(みゆん)ちゃんという友達がいる。在日韓国人だ。五年生だった去年、この小学校では初めて卒業式で、君が代が流れることになった。担任が在日の子の各家庭を訪れ、「出席されますか?」と聞いた。美潤ちゃんの父は「子どもが悩むようなら欠席させます」と答えた。父は、「日の丸を持ち。君が代を歌う日本人に日本語や日本名を強制された」という美潤ちゃんの祖母の体験を手紙にして託した。

 教室で担任に手紙を読んでもらった美沙子ちゃんは「美潤が欠席することはない。君が代をやめればいいんだ」と思った。でも学習指導要領で。君が代を流すことは決まっている。仲よしの五人で頭をつきあわせて考え。君が代が流れる間だけ、美潤ちゃんと一緒に体育館の外に出ることにした。当日の一時退席には、担任が同行した。

 六年生になった美沙子ちゃんたちは、君が代をなくす「署名」に取り組もうとした。新しい担任は「子どもがすることじゃない」「友達のためじゃなく、自分のために行動できる人になって」と反対したという。

 学年集会やアンケートも企画したが、担任の賛成は得られかった。式の十日前。「今年の卒業式では子どもが全員立って歌えるように指導する」と書かれた新聞記事を持って、校長をたずねた。校長は「国旗・国歌法と学習指導要領に従って、国歌を流します。君たちの考えは大事に思っているが、そこにとどまっている限り、成長はない。国歌についても勉強を続けてください」と話した。

 卒業式では六年生はステージのひな壇に並ぶ。五年生だった去年のように、式途中の退席は物理的に困難だ。式の三日前。美沙子ちゃんたちはそれぞれ担任と面談した。「式の時どうするの」「退場以外にも、友達として協力できることはほかにいっぱいあるでしよう」という担任の問いかけに。うまく反論できなかった。その晩、美沙子ちゃんは三八度の熱を出した。

 前夜。他のクラスに「着席」する子が複数いることがわかった。ステージから飛び降りることまで考えていた美沙子ちゃんは、「着席で協力の輪を広げられるといい」と思った。退席は親に反対されたが、着席ならできるという子もいた。

 式当日の午前九時半。君が代が流れると、卒業生八十四人のうち十数人が着席した。卒業証書をもらう前に一人一人が夢や決意を宣言する場面で,美潤ちゃんは「小学校生活は楽しかったけど、日の丸、君が代のある卒業式はいやだった」。美沙子ちゃんは「過去に自分たちがしてきた間違いをしっかり反省し、これからの日本をつくっていきたいです」と言った。

 式の後、五年生の時の担任は「子どもたちは、歌が流れること自体が特定の人を排除することになると思い、まっすぐに歌をなくす道を選ぼうとした。そこに十二歳なりの硬さがある。でも、私は大人として、彼女たちの行動を支えた友情を超える何かを、教え得たでしょうか」と話した。私もまた、彼女たちに解決策を示せなかった。

 国旗・国歌法施行から二年目の卒業式は、大半の学校で混乱もなく終わった。しかし、その中で悩んだ子どもたちがいたことは記憶しておきたい。

資料6

卒業・入学式の日の丸/小中学校の99.9%掲揚(読売新聞2001年5月26日記事)

 文部科学省は二十五日、公立の小・中・高校で今春行われた卒業式と入学式での国旗掲揚、国歌斉唱の実施状況をまとめた。実施率は調査が始まった九○年以降最高でいずれも100%近く、高校は全学校で日の丸掲揚が行われたという。

 調査は、全国の三万七千校を対象に行われた。日の丸掲揚は、卒業式・入学式とも。すべての高校と、小・中学校の99.9%で実施。国歌斉唱は,卒業式・入学式とも。小、中学校が98%台、高校が99%台で、日の丸掲揚よりやや低かった。昨年、低実施率が目立った東京都、千葉県、札幌市では、教委が学校長に職務命令を出しており、今年は100%近い実施率となった。

資料7

国旗掲揚細則都教委が通達/従わぬ教員処分念頭(朝日新聞2003年10月23日記事)

 東京都教育委員会は23日午後、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題する通達を全都立学校に出す。「国旗は舞台壇上正面に掲揚」「教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」など、日の丸、君が代の取り扱いを細部まで規定し、従わない場合は処分も念頭に置いている。都教委は来春の卒業式で全都立校に職員を派遣して内容を確認することも検討しており,現場の教職員には「行き過ぎた強制だ」という反発が起きている。

都教委の通達では,

国旗掲揚は式当日の始業から終業まで

司会者は「国歌斉唱」と発声し,起立を促す

国歌斉唱はピアノ伴奏などで行う

教職員の服装は厳粛,清新な雰囲気の式典にふさわしいものと

する一などとしている。

 資料8 「君が代」生徒が集団で起立・斉唱しないと担任教員を処分/都教委方針校名も公表(毎日新聞2004年3月17日記事)

 東京都教育委員会は16日,卒業式や入学式の君が代斉唱時に生徒が集団で起立しなかったり,歌わないなど「学習指導要領に基づく指導がされていない」とみなされた場合,担任教員を処分する方針を明らかにした。問題があった都立高は学校名を公表し,小中学校についても区市町村教委に同様の措置を要請する。同日の都議会予算特別委員会で,土屋敬之都議

 (民主)の質問に,横山洋吉教育長が答弁した。

 都教委は昨年10月,教員に対して「国旗に向かって起立し斉唱する」などとする指針を打ち出し,今年2月には起立しなかった教員10人を戒告処分にして徹底を図った。ところが,今月11日,板橋高校の卒業式で君が代斉唱時に卒業生270人のうち約9割が着席するなど,卒業生が起立しないケースが複数あった。

 土屋都議は,同校の問題に触れ「これにかかわった可能性のある教員も処分すべきではないか」と質問。横山教育長は「教員が自らの主義主張を生徒を使って具現化することがあったならば,卑劣な行為であり,当然処分対象になる」と述べた。また,1クラスのみが起立しないような場合は,そのクラスを担当した教員は処分対象となるとの考えを示した。

 国の学習指導要領は,卒業式などでは,「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」としている。この方針に対し、東京都教職員組合の滝沢孝一・教文部長は「お上が決めたことを守らなければ処分し公表し処罰するという戦前のような教育への介入,脅しであり,言語道断だ。憲法や教育基本法に反し,学習指導要領からも逸脱した内容で,到底許されない」と反発している。

 文部科学省初等中等教育局は「教職員には学習指導要領に従って国旗・国歌を指導する義務がある。指導を徹底させる方法は地域によって異なり、都道府県教委の判断に委ねている」と話している。

資料9

国旗・国歌甲子園では普通のことなのに(読売新聞2004年3月31日社説)

 たけなわのセンバツ高校野球大会の開会式で。女子高校生が国歌を独唱した。伸びやかな歌声に合わせて国旗が掲揚され,スタンドの観客も起立し。選手と共に掲揚台を見つめた。

 夏の甲子園大会でも,プロの歌手が国歌を独唱している。

 国旗や国歌が,暮らしに溶け込んでいることを実感させる光景だ。

 それなのに,学校では,混乱する。

 国歌斉唱で,椅子から立たない教師がいる。

 国旗を三脚に付け,会場の隅に置いておく学校もある。

 東京都教育委員会は三十日,今年の卒業式で起立を拒否するなどした教師約二百人を,職務命令違反として,戒告などの処分にすることを決めた。元教師が,国旗。国歌に反対して開式を妨害した高校もあり,元教師については。威力業務妨害で警視庁に被害届が出されもした。

 広島県立高校の校長が国旗,国歌をめぐる教員との対立から自殺したのをきっかけに,一九九九年,国旗国歌法が制定された。今,卒業式などでの国歌斉唱。国旗掲揚の実施率は100%近い。

 だが,教師の態度がこれでは,生徒。保護者。教職員が一体となって実施すべき式の雰囲気は,ひどく損なわれる。

「教職員は,指定された席で,国旗に向かって起立し。国歌を斉唱する」。今年の卒業式を前に,都教委が都立高校などに,そう通達したのは式に国旗,国歌を正しく位置づけるためだ。

 にもかかわらず今年の卒業式でも。混乱が続いた。

 教師が卒業式で起立を拒否するのは,高校野球の開会式で運営に当たる大会役員が国旗に背を向けるのと同じだ。許されることではない。

 通達を拒否した教師の多くは,通達に従う義務のないことを求める訴えを東京地裁に起こしている。「通達は内面の自由を侵す」というのがその主張だ。

 日本の国旗,国歌はもちろん,外国の国旗,国歌をも尊重することが国際的礼儀につながることを子供たちに理解させることは,学校教育の大きな目的だ。

 起立を拒否した教師は,学習指導要領で,小,中学校の社会や音楽,高校の特別活動などで求められている国旗,国歌についての教育を,どう実施してきたのか。ことは,式での振る舞いだけでなく日常の教育活動にもかかわる。

 ワールドカップでも,日の丸を振る若者が目立った。国旗や国歌に対する自然な態度が育っている。学校だけが社会の意識とかけ離れている。当たり前の姿に戻すべきである。

資料10

国旗国歌起立せずで処分とは(朝日新聞2004年3月31日社説)

 東京都教育委員会が都立の高校や盲・ろう・養護学校の教職員に対し戒告などの大量処分をすることを決めた。今月の卒業式で君が代斉唱のときに起立しないなどの職務命令違反があったからだという。

 約180人ともいわれる処分は異例だが,処分に至る過程も常軌を逸していた。

 国旗は舞台の壇上正面に掲げる。教職員は国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する。そうした細かな通達を守っているかどうか。都教委は監視役の職員を学校に派遣した。処分の対象者が増えたのは,それだけ教職員の行動に目を光らせたせいでもあるだろう。

 起立したかどうかは見ればすぐに分かる。教職員の座席表もあらかじめっくらせていた。処分する側にとって,これほどやりやすいことはないだろう。

 式を妨害したのならともかく,起立しないからといって処分する。そうまでして国旗を掲げ国歌を歌わせようとするのは,いきすぎを通り越してなんとも悲しい。

 東京も含めて全国ほとんどの公立小中高校ではすでに日の丸が掲げられ君が代が歌われている。

 それでは不十分だ。国旗を壇上に掲げ,起立させ国歌をもれなく歌わせなければならない。それが都教委の考えだろう。

 その現場で何が起こっているか。ある学校でこんな話を聞いた。

 今年の卒業式で生徒たちは君が代をこれまでにはなく大きな声で歌った。卒業式に向けて,練習を繰り返した。そのうえで決定的だったのは,校長が「君たちがしっかり歌わないと。先生方が処分を受けかねない」と生徒たちに言ったことだった。

自分が歌わないと先生が処分されるかもしれない。3年間勉強や体育を教えてくれた先生が国歌斉唱で立ち上がらなかったといって。処分される。そうした卒業式を味わった生徒たちは大人たちをどう思うだろうか。国旗や国歌に愛着を持つだろうか。

 教師を処分するのは,それだけではすまない。いや応なく子どもたちを巻き込むことになるのだ。

 日の丸や君が代について受け止め方は人によってさまざまだ。

 国旗掲揚,国歌斉唱を子どものときからきちんと教え込むべきだという人もいる。一方で,日の丸や君が代に抵抗感を持つ人もいる。日の丸や君が代は好きだが,むりやり起立させられたり,歌わされたりするのはいただけないという人もいる。

 そうした色々な考えの人たちがいるにもかかわらず。学校の中では一人残らず国旗に向かって起立させ,国歌を歌わせようというのはむりがあるのではないか。

 都教委の目はすでに4月の入学式に向いている。国旗掲揚,国歌斉唱をもっと徹底させようというのだ。処分を掲げてこのまま突っ走るのは,新入生を迎える行事にはふさわしくない。

資料11

産経抄(産経新聞2004年4月1日コラム)

 東京都教育委員会が都立の高校や養護学校の教職員百七十六人を「戒告」処分にした。卒業式で国歌斉唱のさい起立しなかったためだが,これに対し昨日の朝日新聞は社説で『起立せずで処分とは』と異議を申し立てた。これに対して強く異議を申し立てる。

 同社説は「そうまでして国旗を掲げ国歌を歌わせようとするのは,いきすぎを通り越して,なんとも悲しい」と書く。しかしそうまでして国旗・国歌を認めようとする論調は、なんとも悲しい。公立学校の教師も私人としてならどんな信条をもとうと構わぬ。

 だが学校の入学式や卒業式は,教育の場にあっては大事な節目であり。欠かすことのできないけじめである。その儀式に立つ教師はもはや私人ではなく,れっきとした“公人”である。自分勝手な甘ったれは許されないのだ。

 折から東京ドームで米大リーグが開幕したが。ヤンキース松井秀喜選手はアメリカの国歌に対し。脱帽して胸に手をあてた。先日の大相撲春場所千秋楽でも。優勝した朝青龍は君が代に対して起立し。やはり胸に手をあてた。モンゴル人として日本国歌に敬意を表したのである。

 外国人としてあたり前といえばあたり前の国際的儀礼だが,自国の国旗・国歌を尊敬もしない教師の行動は生徒の目にどう映っただろう。万が一にもこれを見習い。外国に出かけて同じような挙に出ればどういうことになるか。日本人として赤恥をかくに違いない。

 都教委はあらかじめ「起立して国歌を斉唱する」ことの通達を出し,それに反した場合は懲戒処分の対象になることを伝えていた。百七十六人はそれを承知していた教師失格者である。都教委が行った「起立せずで処分とは』当然の措置といわなければならない。

資料12

国旗・国歌甲子園とは話が違う(朝日新聞2004年4月2日社説)

 東京都立高校などの卒業式をめぐって国旗・国歌の強制に反対する社説を2度掲げた(3月18,31日)ところ。思わぬ批判をいただいた。

 産経新聞のコラム「産経抄』は「そうまでして国旗・国歌を認めようとする論調は,何とも悲しい」と。朝日新聞を名指しで批判(1日)。読売新聞は「甲子園では普通のことなのに」という社説(31日)を掲げ,春夏の高校野球の開会式などで行われる国旗掲揚や国歌斉唱は「国旗や国歌が,暮らしに溶け込んでいることを実感させる光景だ」と書いた。朝日新聞社が主催者の一人であることを意識してのことに違いない。

 さて,私たちの主張は何か。卒業式で日の丸を掲げるな,君が代を歌うな,などと言っているのではない。処分という脅しをかけて強制するのは行きすぎだと主張しているのだ。それがなぜ国旗・国歌を販乏めることになるのだろうか。

 戦前の経緯や思想信条,宗教などの理由で,国旗・国歌に複雑な気持ちをもつ国民がいるのは事実である。どうしても嫌だという人に無理やり押しつけるのは,民主主義の国の姿として悲し過ぎる。私たちはそう言っているのだ。

 確かに甲子園の開会式では国旗掲揚と国歌斉唱が行われ,役員。選手には脱帽を求め,観客には協力をお願いしている。しかし,処分をたてに強制などはしていない。もちろん監視員などいないし,罰則もない。現に起立も斉唱もしない観客はいるが,だからといって退場を求めることはありえない。

 だが,都教委は違う。170人余りの教職員を戒告とし,5人の嘱託教員の契約更新を取り消した。明らかに式を妨害し,混乱させたなら別だが。起立しなかったり退席したりしたことが懲戒処分や雇用機会を奪う理由になるのか。憲法が保障する「思想及び良心の自由」を侵す疑いが強いと考える。

 国旗・国歌法が99年に成立したとき,当時の小渕首相は学校での扱いについて「頭からの命令とか強制とか,そういう形で行われているとは考えておりません」と国会で答弁した。当時の野中官房長官も「強制的にこれが行われるんじゃなく,それが自然に哲学的にはぐくまれていく,そういう努力が必要」と答えていた。この記録を生徒に読ませ,「あなたの学校では首相らの約束が守られていますか」と尋ねてみたらいい。

 多民族国家の米国では統合の象徴としての国旗への思いがとりわけ強い。国旗に対する「忠誠の誓い」を生徒に義務づけている公立学校も多い。そんな米国ですら「誓い」を拒む権利は連邦最高裁が1943年に認め,同様の判例が重ねられてきた。それこそ国家が守らなければいけない一線だ。というかのように。

しろじにあかくひのまるそめて

ああうつくしいにほんのはたは

 小学校1年生は,みんなこの歌を習う。日の丸を美しいと思う心は,強制して育てるものではない。

資料13

国旗・国歌本質をそらした朝日社説(産経新聞2004年4月3日「主張(社説)」)

 今春の都立高校の卒業式で、国歌斉唱時に起立しなかった教職員百七十六人を都教委が処分したことをめぐり。朝日新聞は社説で都教委の対応を重ねて批判した。問題の本質がそらされ、教育現場への影響が懸念される。

 朝日は二日付で、「卒業式で日の丸を掲げるな。君が代を歌うな。などと言っているのではない。処分という脅しをかけて強制するのは行きすぎだと主張しているのだ」「日の丸を美しいと思う心は、強制して育てるものではない」と書いている。

 しかし、国旗国歌法が成立した平成十一年。朝日は法制化に反対した。日の丸。君が代が「かつて日本がおこなった侵略戦争や、戦前の暗い社会の記憶」と結びついているとしたからだ。朝日はいつから。日の丸を掲げ。君が代を歌うことを認めるようになったのか。はっきりさせてほしい。

 朝日は「国旗・国歌の強制」は「憲法が保障する「思想及び良心の自由」を侵す疑いが強い」とする。一般社会の私的な場なら、この考え方も許されよう。しかし、学校は子供に知識やマナーを身につけさせる公教育の場だ。それを怠る先生には処分を伴う強制力も必要である。朝日の主張を推し進めると、教育は成り立たなくなる。朝日は都教委の処分に反対する理由として。一九四三年の米連邦最高裁判決を取り上げた。ウェストバージニア州で、「エホバの証人」派の子供たちが「教義に反する」として国旗(星条旗)への礼拝と宣誓を拒否し。退学処分を受けた事件の判決である。「バーネット事件」といわれる。

 確かに。連邦最高裁は退学処分に違憲判断を下した。しかし、それは「子供を退学までさせるのは行き過ぎ」とした判決であり、国旗への忠誠を求める教育まで否定していない。日本でも。国旗・国歌に反対して処分された教員はいるが、子供まで処分された例は聞かない。バーネット事件の判決は教員処分の反対理由にならない。

 日本の公教育を担う教員には当然、国旗・国歌の指導義務がある。通常の社会人以上に、子供の模範となるような行動を心がけねばならない。まして、公的な学校行事である卒業式において、生徒の面前で起立しない行為は到底。許されるものではない。

資料14

国旗・国歌産経社説にお答えする(朝日新聞2004年4月4日社説)

 メディアが互いに批判し合うことは,言論の自由を基礎とする民主主義社会のためにも大事なことだ。だから。「本質をそらした朝日社説」と題する産経新聞の3日付の社説も謙虚な気持ちで読んだ。

 しかし残念ながら,私たちの主張を読み違えた批判だと言わざるを得ない。

 産経社説の内容はこうだ。

 朝日は2日付の社説で。東京都教職員への処分に対して「卒業式で日の丸を掲げるな,君が代を歌うな,などと言っているのではない。処分という脅しをかけて強制するのは行き過ぎだと主張しているのだ」と書いた。しかし,99年に国旗・国歌法が成立したときに反対したではないか。「朝日はいつから。日の丸を掲げ,君が代を歌うことを認めるようになったのか。はっきりさせてほしい」

 私たちは,日の丸や君が代が国民の間で定着しているという事を認めたうえで,一貫して「日の丸や君が代を強制するな」と主張してきた。国旗・国歌法を論じたとき,社説に「結局,強制にならないか」「選択の自由を奪うまい」といった見出しをつけたのも,そういう意味からだ。

 「いつから認めるようになったのか」と問われれば,「最初から掲げるなとも歌うなとも言っていない」とお答えするしかない。日の丸を掲げ,君が代を歌うことはもちろん認めるが,掲げない自由,歌わない自由も認めるべきだ。ということである。

 「それならおまえは歌うのか,はっきりしろ」と迫るのなら,それは「踏み絵」の思想だ。処分をたてにした都教育委員会の指導は教員たちに「踏み絵」を強いたものと言えるだろう。

 産経は,米国で国旗に対する「忠誠の誓い」を拒否する自由を認めた連邦最高裁の判決を朝日が引用したことについても「それは『子供を退学までさせるのは行き過ぎ』とした判決」であり,「教員処分の反対理由にならない」と書いた。

 1943年にこの判決を下したジャクソン判事は,公権力が愛国心を強制することについて,歴史を振り返りつつ,「少数意見を強制的に排除する者は反対者を根絶している自分に気づく。強制的な意見の統一は墓場での全員一致をもたらすだけだ」と述べた。この判決の本質は、個人の自由の尊重であって、子供の処分だけを論じたものではない。

 産経は「学校は子供に知識やマナーを身につけさせる公教育の場だ。それを怠る先生には処分を伴う強制力も必要である」とも書いている。だが、学校が教えるのは知識やマナーだけではない。自ら学び、自ら考える力こそ大切であり。だからこそ中央教育審議会も自主的・自律的な学校づくりを求めているのだ。なのに都教委は式次第や国旗の位置。伴奏の方法まで12項目にもわたって細かく指示している。学校の自主性や個性を認めないやり方は。公教育にとってむしろマイナスだと考える。

資料15

論議すり替えの国旗・国歌問題(読売新聞2004年4月4日「編集手帳」)。

「理屈と稀業はどこにでもっく」というが、つかない理屈もある。国旗国歌をめぐり。教師の公務と生徒や保護者の内心の自由を、意図的に混同した論議がそれだ。

 広島県立高校の校長が国旗、国歌をめぐる教員との対立から自殺したのをきっかけに一九九九年、国旗国歌法が制定された。その際、卒業式などで、生徒に国歌を無理やり歌わせる「強制」は避けるべきだ、とされた。

 国旗国歌を尊重する態度を生徒に育てるのは、教育上の「指導」に属する事柄、との判断からだった。指導する側の教師には、もちろん。国歌斉唱時の起立などは職務上の責務とされた。

 それなのに卒業式で起立しなかった教師への東京都教委の処分を。生徒への強制と同一視し、批判する人たちがいる。元々「日の丸。君が代は。日本の侵略戦争と結びついている」として、法制化に反対した人たちだ。

 高校野球の開会式で、国歌斉唱で起立しなかった観客も退場を求められることはない、などと廊理屈をこねる。観客が退場させられないのは卒業式で起立しない生徒や保護者が処罰されないのと同じだ。だが大会役員が国旗に背を向けることは許されない。教師も。同様だ。

 「誕狩に釣り鐘」は、似て非なるものを指す。生徒と教師は非なるものどころではない。すり替えの論議には付き合えない。

資料16

国旗・国歌都教委の姿勢は本末転倒(毎日新聞2004年4月6日社説)

 東京都教育委員会は,都立学校の卒業式で,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよなどとする校長の職務命令に違反したとして,都立高校教員ら170人余に,戒告処分や退職後の再雇用合格の取り消しをした。

 いささか,強引に過ぎるのではないか。文部科学省の調べでは,卒業式での国旗掲揚率,国歌斉唱率は100%近い。それなりに定着している中で都立学校が突出して混乱しているのは,都教委が独自の通達を出したためだ。

 通達は,①舞台壇上正面に向かって左に国旗,右に都旗を掲揚する○教職員は国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する(3舞台壇上で卒業証書を授与する○式典会場は児童・生徒が正面を向いて着席するよう設営する一など,かなり厳密だ。しかし,学校や会場の都合で違う方式にするのは,許されないことなのか。

 卒業式は,生徒の卒業を祝い,前途を励ますためのものだ。在校生や教師。父母らが,それぞれの学校の特色や校風をもとに,どんな式にするのか知恵をしぼり,心をこめて卒業生を送り出すことが何より大切だ。

 国旗を掲げ,国歌を歌うこと自体が式の目的ではない。都教委は今回,職員を派遣して掲げ方や歌い方を細かくチェックした。果たしてそこまでムキになることなのか。教育の本質とは離れたところで不毛な空中戦をやっているように思えて仕方がない。

 学習指導要領は,「入学式や卒業式などにおいてはその意義を踏まえ。国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めている。99年に制定された国旗・国歌法が,それを後押ししている。

 しかし大事なのは,当時の国会論議でも小渕恵三首相らが述べたように,個々人に強制するものであってはならないということだ。日の丸・君が代は戦前の経緯もあり,争いのあるテーマだった。特に君が代には,抵抗感を持つ人も少なくない。思想・信条にもかかわることであり,その自由は保障されなければならない。

 学校においても,基本的には同じだ。学習指導要領の規定について村山富市首相(当時)は,「児童・生徒の内心にまで立ち入って強制する趣旨ではなく,あくまで教育指導上の課題として指導」との見解を示している。都教委は生徒が集団で起立しなかったり,歌わない場合は担任教師を処分する方針も打ち出したがこれは明らかに行き過ぎだ。

 教師については政府は,国旗・国歌法制定時から「国旗・国歌の教育指導は教職員の責務であり,従わない場合は,地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができる」としてきた。公務員にも内心の自由はあるが,政府見解の通りだとしても。起立しないことをもって処分し,事を荒立てるのは。決して好ましいことではない。

 都教委の通達で,日の丸・君が代に対する愛着が深まる。教育がよくなる。とは思えない。もっとほかにすることがあるはずだ。

資料17

天皇階下「強制でないのが望ましい」(朝日新聞2004年10月29日記事)

 天皇階下は園遊会の席上。東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ,国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際,「やはり,強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

 米長さんは,「もうもちろんそう,本当に素晴らしいお言葉をいただき,ありがとうございました」と答えた。

 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。

 陛下の発言について,宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後,発言の趣旨を確認したとしたうえで「階下の趣旨は,自発的に掲げる。あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない」との首相答弁に沿っており,政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。 

 「日の丸・君が代」をめぐっては,長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋,都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し,職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは,こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。

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