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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 総合政策学部 小論文 2001年 過去問

2001年 慶應義塾大学 総合政策学部 小論文 課題文

問題

 次の7つの資料は,日本の政治とリーダーシップの関係を様々な観点から論じたものです。これらの資料をもとに,あなたが重要と考える論点を対比させ,それを踏まえて,21世紀の日本における政治とリーダーシップはどのような関係にあるべきかを論述しなさい。(合計で1000字以内)

資料1

 民主的政治過程の大きな意味の一つは,たんに万人にリーダーへの道が開かれているというだけでなく,“discussion”による決定過程そのものがリーダーへの教育過程であり,リーダーがいわば自然に養成されていくということにある。民主的政治過程を拡大しないで,偉大な指導者の欠如をなげくのは結局奇躍貴による英雄待望論になってしまう。(中略)

 デモクラシーを「指導者の存在しない制度」と同視する素朴なデモクラシー観は,かえって複雑に転変する状況にたいする組織の敏速な適応を困難にし。組織を実質的に群集化することによって,かえって非合理的な投機的指導に組織の運命を委ねる結果になりやすい。ファシズムの指導者原理は,こういう素朴なデモクラシー主義の盲点をついて出現したといえるのであって,この深刻な経験を経て,今日,デモクラシーにおけるリーダーシップの問題が最も重要な課題として意識されるに至ったのである。

 名目的にリーダーがいても,それが本来リーダーシップの役割を遂行しないことが理想となる場合,たとえば指導者がメンバーの組織についていだくイメージをたんに「反映」し,その要求・意見の取次者または「代理人」(代表と区別された意味で)としてのみ行動すべきであると想定されている場合も,やはり,民主的過程をリーダーなしの決定過程とする考え方と同様のカテゴリーに入る。(中略)

 民主的リーダーシップの堕落した形態としては、リーダーの独自的機能を。討議や多数決のプロセスのなかに意識的に解消して、リーダーの責任を曖昧にし、回避する傾向が挙げられる。「万事話し合いで」決めたことだということが、リーダーの責任解除の口実にされる。(中略)

 リーダーシップの本質は、要するに。リーダーであることではなくてリーダーシップの積極的機能の遂行にある。それには、リーダーシップへの要請が指導者主義(特定指導者の神化。万能化)に転落する危険性と。逆に、民主的政治過程がリーダーシップ抜きの無責任とindecision[優柔不断]に陥る危険性と。この二つの危険性に効果的に対処することが。さし当たっての緊急事である。(中略)

 悪しき指導への糾弾は、これを更送し。自らの集団内からこれに代える良き指導を生み出す能力と責任によって裏付けられないかぎり。積極的市民の政治的批判とはいえない。(中略)

 指導者個人に対する悪口がいかに盛んでも。民主的な言論の自由が行使されているとはいえないし、そこからはリーダーシップを他人事でなく。自己の問題として打開していく姿勢は生れないのである。

(丸山眞男「丸山眞男講義録・第三分冊政治学1960」1998年発行。より抜粋。編集。一部改変)

資料2

海音寺 天皇制は、明治時代には政府はほかに見当がつかなかったんでしよう。王政復古ということを旗じるしにして徳川幕府を倒したのですから。王政復古は公約みたいなものです。履行する必要がある。さらに適当な政体の形が当時は思いつかない。共和政体の国であるアメリカやフランスはあるが、余りにも飛躍しすぎるから。言いだすことさえ危険です。(中略)

 もっとも。政体などというものは、それこそ道具で、これが一番上等で、これならば未来永却加やくに立つ上等品というのはないですよ。この世に完全なものは絶対にないように、すべて相対的なものです。とすれば、時代の変化によって適しないようになることはあるべきはずです。そうなると、世間はそれをやめて、適する形のものと取換えるのです。律令制度時代、摂関時代、武家時代とかわって来たのは、その選択だろうと思います。だから。明治時代には天皇中心のものが一番よかったとぼくは思うんですよ。

 今になって、何だかんだと批判しても、当時のあらゆる条件を考えての批判ではなく、一握りか二握りの条件で論じているのですからね。

 しかし今後はどうなるかわかりませんよ。あるいは廃止した方がよいという世論がおこり。それが勝ちを制するかも知れない。あるいはまた。天皇制が一番適しているという世論がさかんになるかもわからない。

 議会民主主義が本質的に持っている欠点は、力とスピードに乏しいことですね。だから。アメリカでも、フランスでも、大統領にずいぶん強い権限を与えて、カバーしていますね。ですから。日本でも。大統領を選んでそうしようという気運がおこった場合、どうせそうなら、天皇様にその役をつとめていただこうじゃないか。大統領には天皇に対すると同様に最上の儀礼をつくして敬意を払わなければならないのだが、俺はどこの馬の骨か牛の骨か判らない者にそんな儀礼を尽すのは嫌だと。考える者があるはずですからね。さしずめ。わたしがそうだ。(笑)

 今の日本の議会民主主義は、戦後二十何年やって来てみて。これを否定する声はまだ起らないが、軽蔑感はもはや国民に共通している。あまりにも弊害が多すぎるというのが、社会の声になっている。こんな気持ちはエスカレートして行くのが普通ですからね。危険ですよ。

(海音寺潮五郎・司馬遼太郎「対談日本歴史を点検する」1974年発行。より抜粋。編集。一部改変)

資料3

 日本での権力の成立のしかたというのは、じつにむずかしいと思います。(中略)よほどの知識人でも、権力ということばをつかうとき。どこか富話的なにおいがあり、どこかそらぞらしく、どこか具体的実感を欠き。どこかバタくさいのは、権力という言葉そのものが西洋概念からの翻訳語であるところから抜けきっていないからでしようか。

 日本史上の代表的権力ともいうべき徳川権力というものは、どういうものでしょう。権力者としての徳川将軍家は、たとえば同時代の清朝の皇帝のそれのような絶対性はもっていませんでした。徳川権力は絶対的性格よりもむしろ調整的性格のもので、三百諸侯の上に乗っかった盟主であるという存在であったようです。三百諸侯のうちの譜代大名群は将軍家の与党でしたが、外様大名群は、無言の野党とでもいうべき存在でした。(中略)

 よく指摘されるように、徳川権力を運営する役目は、与党大名である譜代大名だけにしか与えられておりません。島津氏や毛利氏。あるいは加賀の前田氏や奥州の伊達氏が、いかに大きな封地をあたえられていても。老中(閣僚)や若年寄(局長)になることはできません。(中略)こういう点からみれば、「外様には大封をあたえる。しかし日本国の政治にはタッチさせない。一方、譜代には小封しかあたえないが、しかし国政の運営権をあたえる」という構造の二重性がありありとうかがえます。(中略)要するに、徳川権力というものは外様大名という強大にしてしかも無言である批判勢力をかかえた存在であったことは、くどいようですが、日本の政治風土を考える上で重大なことであると思います。(中略)こういう体制内の野党的な存在というものを抱きかかえて徳川権力が成立していたというようなことは、同時代の東アジアの隣国である中国や、中国体制の縮刷版である李氏朝鮮にはまったくみられず。この隣国の人々に当時の徳川体制について百万言をついやしてもおそらく理解してもらえないでしょう。

 要するに私は、日本は絶対権力の成立しにくい国であり、成立しても長い寿命は期待できないということを言おうとしています。

(司馬遼太郎「余話として」1979年発行。より抜粋。編集。一部改変)

資料4

 日本の政治制度をあるがままに捉え、アメリカ、イギリス、ヨーロッパ大陸のお手本と似ていなければならないなどと決めつけないかぎり。民主政治の仕組みとしてけっこう有効で、欧米と比べてもそれほど見劣りしないばかりか、まさった面もあるように見える。

 係争点が国会その他の公けの場で、明快かつ適切に論じられないことはたしかだが、公式非公式な話し合いは、おそらくは欧米のそれを上まわるにちがいない。

 また政党のくみ立ても,欧米とは若干異なってはいるが。一般世論と最終的な政治決定をつなぐチャン

ネルとしては,その有効性は欧米と変わらない。一般国民に対する政府のサービスも,他国に劣らぬほど効率がよく。公共の利益への対応も。まずまずといえる。日本の民主主義のもつ潜在的な弱点のうち最大なものは,あるいは制度それ自体よりも。国民の側に存するのかもしれない。(中略)英語国民が民主主義をもって,聖なる遺産の一部とみなすほどには,日本人の熱情は高くないかもしれない。(中略)

 これに関連するいま一つの問題は,日本人がとかく調和を望み,正面切った対立を嫌悪する傾向がつよいことであるが,これはすれすれの多数派による決定を受け入れがたいものにしている点で,日本の民主制度にさらに負担を加えている。

 異なる見解を公開の場でぶつけあい。単純多数決で決着をつけていくというのは,どちらも民主制度の根底にある普遍的な原理である。ところが日本人は,ことを荒だてずに対立を調整し,全会一致の決定にもちこむことを好む。そこで意思決定のやり方は回りくどいものになり,それが問題解決をおくらせる。と主張する論者も現に存在する。日本のやり方では,問題によっては効果的な決断ができず,このことが危機状況においては深刻な危険を招来する。という説も行なわれている。

 しかしこの手の解説には用心してかかる必要がある。日本以外の民主主義国の方が,迅速かつ困難な決定を下すことに得手である,と断定しうるかどうか。心もとないからである。しかも日本の制度だと,政治勢力分布が変わり,多数派が変わったからといって,前の政策が無効とされ,新政策がにわかに策定される。というような可能性は少ない。(中略)

 ただ,ここではっきりいえることが一つある。それは,たとえ危機的状況になろうと,日本が,戦時中のイギリスでチャーチルが示したような,またアメリカの大統領職にしばしば求められるような,カリスマ性をもった指導者を生み出しはしないであろう,ということである。そして,日本人のもつ集団指向のつよさを思えば,そのような指導者がいなくても,いざという際には,身を寄せあってお互いに力を合わせることができる,と想像されるのである。

(エドウィン・O・ライシャワー『ザ・ジャパニ―ズ』1979年発行,より抜粋。編集)

資料5

 日米関係を共通の地政学的利益に基づいて再び活性化し,明確にするにあたっては,大きな障害がある。経済摩擦はよく知られている通りであるが,文化的障害がより深い根を持っていたということになるかもしれない。

 この障害は両国の意志決定の方法の違いに顕著に現れており,非常にやっかいで,時には激しい感情的対立の原因にもなる。アメリカでは政策決定者の地位に基づいて決定がなされる。すなわち,権威のある人一多くの場合大統領であり。国務長官の時もあるが,多かれ少なかれ地位の力によっていくつかの選択肢の中から決定する。日本の場合,コンセンサスによって動く。たとえ総理大臣であっても,一人の人間には決定する権限はない。決定を実施しなければならない人は皆,コンセンサス形成に従事する。コンセンサスは満場一致をみるまでは完全とは見なされない。

 こうしてアメリカ大統領と日本の首相が会談する時,実質的な相違が誤解によって増幅されることは避けられない。アメリカの大統領が同意を表明する時,それは行動を意味している。日本の首相が同意する時は,アメリカの立場に同意したというよりもむしろ,アメリカの立場を理解はしたから,後は彼のコンセンサス・グループに委ねるということなのだ。首相の権威はそれ以上には及ばないことを前提としている。

 アジアの将来に関する交渉を実りあるものとさせるためには,アメリカはより忍耐を必要とし,日本は将来の協力関係の究極的基盤である長期的政策をまじめに話し合う姿勢をとらねばならない。

(ヘンリー・A・キッシンジャー『外交』1996年発行,より抜粋,編集。一部改変)

資料6

 一九四六年二月,連合国軍総司令部(GHQ)が憲法草案を作ったとき,参議院はなかった。当時日本側の憲法起草の責任者だった松本蒸治国務相が,この点について説明を求めたところ,GHQは,華族制度がなくなるのだから。上院はいらないだろうと答えた。これに対し松本は,下院の行き過ぎを抑えるために二院制度

が望ましいと言い,GHQは松本の意見を受け入れて二院制度とした。(中略)

 現在,世界で二院制度を採っているのは,だいたいは連邦制度の国であり。そうでない国は一院制が普通である。「上院の意思が下院と同じなら無用であり。下院と異なるなら有害である」というのが,デモクラシーの原則である。

 連邦制の場合には,一院は州あるいは邦を代表し,他方は直接国民を代表するのが普通である。たとえばアメリカでは,下院が人口比例で議員を選出し,上院は各州が同じ数の議員を出す。人口の最も多いカリフォルニア州の下院議員は五十二人であり,モンタナ州やアラスカ州などは一人であるが,上院議員はどの州も二人である。両院の機能ないし権限も。上院が外交で大きな役割を果たすことなど,かなりの違いがある。

 ところが日本は,非連邦制であるにもかかわらず,二院制である。両院の選挙母体はよく似ており,とくに,九四年の選挙法改正で,選挙制度が似てきた。両院の権限にも大差はない。これは世界でもまれな制度である。

 権力の集中を嫌うのは,日本人の根深い伝統である。松本蒸治と同じ感覚を,今日の日本人も持っている。自民党支持者の間でさえ,連立政権がよいという人が多い。かつて戦後第一回の総選挙が行われたとき,いくつかの選挙区で有権者は二票を持っていたが,一票は保守党,他の一票は共産党に入れた人が多かったそうである。

 これを,日本人のバランス感覚などといって評価する人があるが,私はそうは思わない。日本人は,みずから政権を選択して,その責任を負うことを回避しているのである。権力の分散はとくに今日の世界において大きな欠点だと思う。

 繰り返しいわれているように,冷戦後の世界は総合的な競争の時代になっている。包括的な政策決定を機動的に行う能力が必要である。そのためには,権力の集中が不可欠である。たとえば一九九七年の京都における環境会議で,クリントン大統領は,二酸化炭素の削減についてきわめて消極的な案をもって参加し,最後は大幅に譲歩して,会議をまとめた。こうしたことは,大統領に権力が集中していて初めて可能になる。(中略)

 リーダーに権力を集中することは,もちろん危険をともなう。これを制限することも必要である。しかし,それは権力の行使の範囲を限定し,時間を限定することによって行うべきであって,権力の行使そのものを難しくするべきではない。つまり,規制緩和で政府の権限を減らし。地方分権で中央の権力を地方に移し,そして,選挙によって審判を受けるとすべきである。

(北岡伸一「『普通の国』へ」2000年発行,より抜粋,編集)

資料7

 法治に徹しようということそれ自体は立派な主張ではある。しかし,既存の法制が機能しなくなる非常事態というものがありうるという点が,それらの法治主義者にあっては,見過しにされている。(中略)

 超法規つまり非合法の行為を法規のうちに合法として組み込むという逆説的な営みの産物,それが非常事態法である。(中略)戦後の我が国において,非常事態法は,制定法としては不在とはいうものの,皆無というわけではない。そして「戦後」の第一権力は「世論」にほかならないのであるから公共当局のなす超法規の行為は,世論に適合するような種類のものならば歓迎され,そうでないものは厳禁されるという有り様になったのだ。(中略)

 日本国家が危機管理と国策決定に失敗してきたのは,それに必要な指導力(リーダーシップ)が戦後日本において養成されてこなかったせいだ。それについては戦後的な観念と体制のすべてがかかわっているのであるがここで指摘しておきたいのは,「リーダーシップとは何ぞや」ということについてである。

 政治改革の旗頭の一人であったある政治家に典型的にみられたように,指導力の強さをみずから売り物にし他からもそれを期待されるものにかぎって,次々と新しい決断に至りはするのだが,結果としてそれらの決断が次々と失敗を露呈する,ということが続いている。その理由は簡単で、それらの指導者にはディシジョン(決断)の意志はあるものの,パースウェイジョン(説得)の才覚が欠けているのである。どんな社会にあっても民主主義社会ならばなおさらのこと,当該の決定にたずさわる当事者を,その決定から直接的に影響を受ける関係者を,さらにはそれを観望している世論を説得してみせなければならない。説得なき決断は,束の間は華々しい指導者の振る舞いとみえても,遠からず失敗する。(中略)

 しかし決断力もまた歴史の経験にもとづいて養われるものではないだろうか。歴史の英知の精髄が平衡感覚にほかならぬということは,人間の生活と社会の制度がつねに危機を卒(はら)みつつ進展してきたということを意味する。その危機を渡り切るための平衡のとれた精神の術,それを歴史の流れのなかで貯えたのが伝統なのであり,それゆえ伝統に学ぼうとしないような決断力はおおむね蛮勇に堕ちていく。(中略)

 「歴史の経験に学ぶ」ことのなかから説得力が醸成される。決断の方法。決断の過程そして決断の表出のすべてにおいて,当該の指導者が歴史の経験から学んだものが,主としてその人格の次元で,否応もなく現れてくる。(中略)指導者にあって決断力と説得力とを結びつけるもの,それは演説力,より一般的にいって言語的表現力であろう。(中略)この日本の現在において最も顕著であるように,指導者の演説力はかつてなく低下している。(中略)「先行き不透明」という流行りの認識は,未来の不確実性の大きさについてよりも,日本の指導者(およびそれを生み出す日本の国民)の現在の資質についていわれるべきであろう。

(西部違「危機における指導者の条件」『Voice』2000年8月号,より抜粋。編集。一部改変)

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