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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 総合政策学部 小論文 1994年 過去問

1994年 慶應義塾大学 総合政策学部 小論文 課題文

問題 現在,歴史は大きな変化の時代に入ったと言われています。つぎの3つの文章はいずれも「国家の観念と形態の変化」について書かれたものです。現代の国家は,かつての近代国家とどこに違いがあり,どのような変化にさらされているかを論じ,国家の行く先を考えながら,きみの「国家像」を1000字以内で述べなさい。

1

 第一次大戦後,国民国家の陳腐化は常識となった。その結果,最初の本格的な超国家的機関,すなわち国際連盟創設の試みが行なわれた。

 しかし,国際連盟の無力ぶりはただちに明らかになった。そして,第二次大戦後に設立された国際連合も,発足から40年間は,超大国の対立の場でしかなかった。

 ジョン・メイナード・ケインズが、第二次大戦直後に,その生涯の最後の数カ月を費やして創設しようとした国際通貨も,アメリカの反対でつぶされた。

 他方,原子力管理の国際化,すなわち,核エネルギーと核兵器の国際管理を目指してアメリカが提案したバルーク計画は,ソ連に拒絶された。第二次大戦後の試みの中で最も成功したGATT(関税と貿易に関する_般協定)でさえ、国家主権の中枢領域の一つである外国貿易にグローバリズムを導入しようとしたが,各国の利害を乗り越えることはほとんどできなかった。

 逆に第二次世界大戦後においては、植民地帝国の継承者たる数多くの国民国家の誕生と。国民国家の「巨大国家(メガステイト)」への変質が見られた。

 しかしこの数十年において。おそらくは1970年代から。国民国家は解体されはじめた。主権が意味をなさなくなったいくつかの重要な分野において、国民国家は、すでに「バイパス」されつつある。

 あらゆる政府が、一国だけはもとより,多国間協力によっても対処できない問題に直面している。それら新しい問題は,それ自身「主権」を有する「グローバルな機関」を必要としている。

 そして「地域主義」が,ますます国民国家の出番を少なくしつつある。他方、国民国家の内部においては、「部族主義」が国民国家の土台を崩しつつある。

 昔「金に祖国なし」と言った。国民国家は,主として,これを正すために発明されたといえる。国家主権と呼ばれるものの中核には,まさにこの通貨に対する支配権があった。しかし通貨は,国民国家の支配から逃れた。それはグローバルな存在となった。もはや通貨は。国民国家が支配できるものではない。国民国家が協調しても支配できるものではない。

 いかなる中央銀行も,もはや通貨の流れを支配できない。せいぜい金利を上下させることによって,通貨の流れに影響を与えようと試みることができるだけである。しかも今や,通貨の流れに関しては、金利と同程度に政治が重要な要素になっている。一国の中央銀行の支配が及ばない通貨の量,すなわちニューヨーク外国為替市場やロンドン銀行間市場などグローバルな市場で毎日取引される通貨は,国の内外の商取引に必要な量をはるかに超えている。その結果,通貨の流れは,それを支配し,制限し,ましてや管理しようとするいかなる試みも受け付けなくなっている。

 情報にかかわる国家の行動は、ボダンの言う国家主権の属性には含まれない。そもそも16世紀後半には,情報はまだそれほどなかった。

 しかし今世紀に入って,新聞,映画,ラジオなどのマスコミが登場したとき,全体主義者,すなわち国家主権の新しい主人たちは。情報の支配こそ鍵であることを見抜いた。

 レーニンにはじまり,ムッソリーニ,スターリン,ヒトラーなどあらゆる全体主義者が。情報の完全な支配をもくろんだ。民主主義国家においても,情報,とりわけテレビの利用が,政治家と政治にとって,必須の技術となった。

 そして今日、情報は、通貨と同様、完全にグローバルになっている。

 たしかに今もって政府は、ニュース番組を使うことはできる。だが、第二次世界大戦下のドイツにおいてさえ、人々は、夕刻のニュース番組でナチス宣伝相のヨゼフ・ゲッベルスに耳を傾ける一方、BBC放送を秘かに聴いていた。

 しかしニュース番組の「情報」としての比重は、今やますます小さくなりつつある。30秒のコマーシャルや18分の連続ドラマのほうが、細心の注意をもってつくられたニュース番組と同じか、それ以上の情報量をもつ。もはや情報に国境はない。

 史上最強の独裁体制でさえ、情報へのアクセスを支配できなかった。まさにそのために、共産主義とソ連帝国は崩壊した。

 情報は歪められる場合がある。世界中で人気のあるテレビ番組「ダラス」が伝えるアメリカ人の生活は、現実のまねごとですらない。

 しかし「ダラス」ほど、多くの国で、多くの人に見られたものはないという事実は変わらない。共産中国においてすら、『ダラス」を見ることは禁止できなかった。

 数年のうちには、衛星放送の受信用アンテナは、いかなる秘密警察も家庭内での使用をチェックできないほど小さくなる。放送衛星は地球のいかなる地点にも、番組を送ることができる。情報は、よきにつけ悪しきにつけ、真にグローバルとなり、国の支配を超える。日本やフランスのような、自国文化の純潔性の保持に強い関心をもつ国々は、情報通信に対する国家主権の支配を守ろうとするかもしれない。

 しかしそのような試みは、これまで多くの例があるように、無駄である。通貨に対する支配は、国家を超えた機関を通じて回復させることができるかもしれない。

 ECは、ヨーロッパ中央銀行とヨーロッパ共通通貨の実現へと向かっている。それは、国家を超えて経済政策と租税政策を管理しようとすることと同義である。

 その場合、経済の領域においては、国家が地方行政機関へと格下げされることを意味する。しかし情報に関しては、そのような国家を超えた機関には、可能性すらない。世界を独裁する者の下でもありえない。

 すでに現代技術が,一人ひとりの人間に対し,全体主義者による情報支配をだし抜くだけの手段を与えてしまっている。情報の支配を維持する最後のあがきとして,共産主義者はファックスやコピーを禁じようとした。しかしその結果は,地下出版物「サミズダート」だった。それは数百,数千の学生によって筆写され,ソ連全土で自由に回覧された。

 いかなる衛星からも受信できるテレビの受像機はもちろんのこと,パソコンやファックス,電話やコピー機,ビデオが個人の手に渡り,個々の家庭に置かれるようになった今日,情報を支配する方法はない。

 グローバル化する通貨が経済政策を無効にし,国民国家を「バイパス」する。

 そしてグローバル化する情報が。「文化」の同一性をもって同一の「国民」とする認識を希薄化あるいは破壊し,国民国家を「バイパス」する。

 1920年に映画が登場したとき,あるフランスの批評家は,フランス人のほとんどが,フランス人の作家によるフランスの作品よりもチャップリンを好むとしたら。「フランス人」であるということはいかなる意味をもつかと問いかけた。

 ところが今や,フランス人はもとより,アメリカ人もイギリス人もドイツ人も,またロシア人も日本人も中国人も,自国のものよりも,チャップリンの継承者たち,あるいは連続ホームコメディや「ドキュメンタリー・ドラマ」を好む。

 いわゆる「高度文化」も,「大衆文化」と同様に,完全に国家を超えるようになっている。

PF.ドラッカー(上田悼生ほか訳)『ポスト資本主義社会」より抜粋・調整

2

 われわれは,過去数世紀における国家主義の巨大な力は認めつつも,この現象については正しい視点から論じていかねばならない。ジャーナリストや政治家はもとより学者でさえ,国家主義を人間の特質にひそむ根深い根本的な熱望であるかのように考えたり,国家主義の基盤である「民族」をあたかも家族や国家と同じくらいに古い永遠の社会的存在のように考えたりするのが日常茶飯事となっている。いったん鎌首をもたげた国家主義は歴史のなかで猛威を振るい,宗教やイデオロギーのような他の志向形態によっては押し止めることもできず、ひいては共産主義であれ自由主義であれ,か弱い輩をことごとくなぎ倒してしまうだろう,という考えが常識となっているのだ。

 最近では旧ソ連や東欧全体にわたる国家主義的心情の復活もあって,こうした見解は経験的な裏づけを与えられているようにも見えるしなかには冷戦後の時代が19世紀にひけをとらないほどの国家主義復興の時代になるだろうと予言する向きさえある。

 旧ソ連の共産主義者の主張によれば,国家の問題はもっと根本的な階級という問題から派生したものであり,階級なき社会への移行によってきれいさっぱり解決されたのだという。ところが民族主義者がソ連内の共和国で一人。また一人と共産主義者を政権から追放し,東欧の旧共産圏諸国でも同じ事態が起こるにつれて,この主張の空疎さが明らかとなり,そのことは多くの人々に国家主義を駆逐したとするあらゆる主張の信用性を失墜させる結果となったのである。

 冷戦後の世界に広くあらわれた国家主義の力は否定できないにせよ。国家主義を永遠不滅であり,すべてを征服しつくすものだとする見解は,偏狭でもあるし真実からはずれてもいる。このような考えは第一に,国家主義がどれほど最近の,そして偶発的な現象であるかという点を見誤らせてしまう。国家主義はアーネスト・ゲルナーの言葉を借りれば,なんら「人間の魂に深く根ざしたもの」ではないのだ。

 人間はかねてからある種の大きな社会的集団に対して,それが存在するかぎり愛着心を感じてはきたが、このような集団が言語的にも文化的にも均質な存在であると定義されたのは産業革命以後のことだった。工業社会が到来するまでは、民族性を共有する人々のあいだにも階級の違いが広く行き渡っており,それが相互交流を妨げる障害物となっていた。ロシアの貴族は、自分の領地で暮らす農民よりもフランス貴族とのあいだにはるかに多くの共通点をもっていたはずだ。ロシアの貴族は、社会的条件がそのフランス貴族と似通っていただけではなく自分自身もフランス語を話し,その一方で自分のところの農民とは面と向かって話をする機会もほとんどなかったのである。

 国家もまた,民族性というものをまったく考慮に入れていなかった。たとえばハプスブルク朝のカール五世はドイツの一部とスペイン,オランダを同時に統治していたし,トルコのオスマン帝国はトルコ人,アラブ人。ベルベル人。それにヨーロッパの一部キリスト教徒を支配していたのである。

 しかしながら,このような経緯をたどってきたすべての社会に徹底的に平等主義を叩き込み,社会の均質化と啓蒙を強いたのが近代自然科学の経済的な論理であった。そこでは,支配者も被支配者も一つの国家経済のなかに緩差り合わされている以上。どちらも同じ言語を話さなければならないとされた。田舎から出てきた農民たちは,近代的な工場で働き,ひいては事務仕事に就くためにも共通語の読み書きができるようになり,ある程度の教育を受けておく必要があった。階級,血縁,部族,宗派といったかつての社会区分は,労働力の一貫した流動性を必要とする圧力のもとでしだいに衰え,共通の言語とそれを土台にした文化だけが人々の主要な社会的きずなとして残された。要するに国家主義は,だいたいにおいて,工業化とそれにともなう民主的で平等主義的なイデオロギーの産物だったのである。

 近代国家主義の果実である国家は,以前から存在していた自然な言語区分を土台にしていた。しかし,同時にその国家は,誰が,あるいは何が言語や国家を構成するのかを,ある程度自由に定義できた国家主義者たちの手によって人為的に建設されたものでもあった。

 たとえば近年になって再び目を覚ましたソビエト中央アジアの諸国は,ボルシェビキ革命以前には,自覚した言語的国家として存在していたわけではない。ゲルナーによれば,地球上には八千以上の自然な言語があり,そのうちの七百が主要な言語だとされるが,一方で国家の数は二百にも満たないのである。バスク地方の少数民族をかかえるスペインのような二つないしそれ以上の言語集団にまたがっている古くからの民族国家の多くは,目下,これら新しい言語集団の個別のアイデンティティを認めよという圧力にさらされている。そこには,国家が永遠のものでもなければ,時代を越えた人々の愛着心の自然な源泉でもないのだということが示されている。民族の同化や国家の再定義は当然起こり得べきことであり,また,なんら珍しいことではないのである。

フランシス・フクヤマ(渡部昇一訳)『歴史の終わり」より抜粋・調整

3

 17世紀はイギリス,フランス,スペインそれにオランダの関係がきわめて複雑な時期であった。貿易立国つまり通商国家であることをめざしたオランダは,相対立するイギリスとフランスの間にはいってきわめて不安定な立場に立つのである。この不安定な国家間関係のなかで,「平和国家」をめざし,通商国家をめざすことは極度に困難なことである。しかも,連邦共和国は各州に大幅な主権を与えているために,州の間の利益が対立するのである。結局,オランダは。この不安定な国家間関係を,強力な中央政府をもたずに乗り切ろうとして失敗するのである。

 グロチウスが『戦争と平和の法」を書いたのはまさにこのころだった。しかし,グロチウスをしてこの大著を書かしめたのは,必ずしもオランダの事情というよりむしろヨーロッパ全土を混乱に陥れた宗教戦争,30年戦争だといわれている。そしてこの30年戦争の終結にさいして結ばれたのがウェストファリア条約であり,通常ウェストファリア条約によって国民国家システムがうみだされたとされるのである。

 30年にわたり一千万を越える人命が失われたといわれる宗教戦争の結果結ばれたウェストファリア条約でドイツ国内の宗教対立に終止符がうたれると同時に,いわば「戦後国家間秩序」とでもいうべきものがつくられた。この条約の意義は,宗教的権威や宗教的対立から国家を独立させた点。それに神聖ローマ帝国やハプスブルク家スペインという古代・中世的国家の力を著しく衰弱させた点にある。ドイツは事実上分裂し,オランダとスイスの独立が承認され。フランス,ドイツの国境線が確定した。要するに,神聖ローマ帝国が象徴したような,キリスト教という超越的な普遍性でヨーロッパを統一するという中世の原理がほぼ崩れ去り,それにかわって主権国家間の国家間関係(インターステイト・リレーション)が登場するのである。

 実際にはヨーロッパにおける国民国家の形成はその後2世紀半にわたっていくつかの段階をへながら実現してゆく。宗教的権威や古代・中世的帝国からの解放がそのまますぐに国民国家の成立を意味したわけではない。「国民」の観念が成立するには人民主権をうたったフランス革命と民兵を組織したナポレオンの活動がなければならなかったのであり,ドイツやイタリアの統一には19世紀を通じた自由主義的独立運動がなければならなかった。ヨーロッパ最後の帝国であるハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国が消滅するには第一次大戦を必要としたのである。第一次大戦をへてはじめて。共通の言語,人種。文化を基本とする「民族」が国家の単位として承認される。ひとつの民族が国家をつくる権利が承認されたわけだ。E・H・カーが「ナシ

ョナリズムの発展」で述べたように,ここにいたってようやく「力」ではなく「権利」が国境を決めるようになるのである。

 ふつう近代社会の諸価値はフランス革命において明瞭に宣言され,その経済的基盤は産業革命によって確立されたといわれる。フランス革命において合言葉となった。自由,平等,博愛,とりわけ自由と平等が近代社会を組み立てる思想の柱となった。それと同時にイギリスからヨーロッパ各国に伝搬していった産業革命のうみだした産業主義(インダストリアリズム)がもうひとつの価値になった。いいかえると。リベラリズム,デモクラシー,インダストリアリズムが近代社会を代表するものなのである。これらはよくいわれることだし,そのことにまちがいはない。ところが西欧の近代社会の形成を支えたもうひとつの重要な要素があって,それがこの「国民国家」の形成ということなのである。

 したがって近代社会とは、一方で産業主義とリベラル・デモクラシーの拡大であると同時に,他方では国民国家の発展ということであった。だが,この国民国家の形成は,当然ナショナリズムや民族主義という集団意識を伴う。そこで近代社会の形成とは,ある意味で奇妙に引き裂かれた運動のように見える。一方でそれは,

フランス革命の遺産である普遍主義を唱え,他方で,ナショナリズムという特定化された集団意識を奉ずる。「人間性」や「人権」という普遍的なものの上にうちたてられた自由や平等を擁護すると同時に,民族的な国家というものを独立の名のもとに擁護するのである。

 しかし,だからといってリベラリズムやデモクラシーがナショナリズムを核にした国民国家の概念と対立する,と言い切ってしまうわけにはいかない。事態はそれほど簡単ではないのである。当のフランス革命にしても。決して普遍的な理念の革命であったとはいえないし,「人民」によるデモクラシーの実現だったとさえ簡単に割り切ることはできない。それはまた,絶対主義的国家を自由主義的国家につくりかえ,いっそう統合された強力な「国民国家」を作り出すための革命,という面をも含んでいたからである。フランス革命はもともと,ブルジョワ的であろうとなかろうと,「人民」によるデモクラシーをめざすよりも,議会制を核とした自由主義的な国民国家の形成をめざすものでもあった。だから,この観点からすると,ロベスピエールによる急進的な人民主権の実現は,革命の挫折を意味している。

 要するにナショナリズムを核にした国民国家の形成とリベラリズム,そしてデモクラシーという。近代社会の三つの柱の関係は19世紀にはそれほど単純ではないのだ。鍵を握るのはリベラリズムの概念であり,事実19世紀のヨーロッパを考える時,決定的な重要性をもっているのはこのリベラリズム(自由主義)の概念である。

 そこで,19世紀のヨーロッパでは,リベラリズムは現代のようにデモクラシーと結びつくのではなく,むしろ国民国家形成の運動と結びついたとみた方がよい。ある意味でこれは当然理解できることであろう。リベラリズムは政治的には専制的な権力からの解放(リベレーション)を要求するからだ。したがって、リベラリズムには独立という基本的な価値があり,それが国家にも適用されたときには,リベラリズムは国家独立運動を鼓舞することになる。このリベラリズムの影響下に19世紀の前半にはナポリの独立運動,ピエモンテ(サルディニア)の独立運動,それにギリシャの独立戦争がおこる。

佐伯啓思『「アメリカニズム」の終焉』より抜粋・調整

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