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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 環境情報学部 小論文 2014年 過去問

湘南藤沢キャンパス (SFC) 開設25周年を記念して、シリーズ『地球と人間』が 出版されることになり、その準備がはじまりました。あなたは、高校生編集者として、 このシリーズのうちの一冊の本を編集することになりました。

 あなたが編集を任されたのは、異なる作者による文章を集めた本で、あらかじめ 以下の【A】 ~ 【I】の9つの文章が、収録される候補として選ばれています。た だし、ページの分量制限があるため、本に収録できるのは9つのうち6つの文章です。 本は、あなたが書く「はじめに」という文章と、6つの文章で構成されます。

 あなたは、どの文章を選んで、どのような本を作りたいと思いますか?あなたな りの問題意識にもとづいて、本の構成を提案しましよう。

(編集の都合上、文章 【B】 は省略しています)

問題1 

 まず、【A】~【I】の文章に、それぞれ小見出し(短いタイトル)をつけてください。

問題2 

 あなたなりの考えにもとづいて、本に収録する文章を6つ選んでください。なお、 どの文章を選ぶかについては、採点の対象とはなりません。あなたの発想で、自由 に選んでください。 

(1) 選ばなかった3つの文章のアルファベットを記入してください。 

(2)3つの文章を選ばなかった理由を、300字以内でまとめてください。

問題3 

 あなたは、「はじめに」という文章を書いて、選ばれた6つの文章を通じて読者に 感じ取って欲しいことを伝える必要があります。 編集者としてのあなたの考えを紹介しながら、この本の読者に伝えたいことを、 1000字以内でまとめてください。

問題4 あなたが編集する本に、タイトルをつけてください。次々と刊行される予定の、シリーズ『地球と人間』にふくまれる一冊として、魅力的なタイトルを考えてください。字数は、記号をふくめて25文字までとします。

【A】 

 一番最初は、市街地の中の三つの校区の行政区長さん (町内会長さん) とか、環境衛生 組合が一部で設置されておりましたので、そこの役員さん方とかに一緒に集まっていただ たいて、川がきれいだった頃の思い出話から、川の機能とか役割とかを話しまして、もう 一回きれいになったらいいですね、とかいう話をし、最後はこういう計画を立てておりま すので協力してください、ということをお願いしまして、区長さんたちが全員拍手で協力 を確認されたわけです。次にこれと同じようなことを校区単位に、その次は水系ごとにや りました。 

 それから今度は凌漂 (注1) の実務に入る段階で町内懇談会ですね。これは大きい町内 は二つに分けて、逆に小さい所は二つとか三つとか一緒にして懇談会をやったわけです。 直接住民の方とか懇談会とかあるいは現地見学会とかですね、役員会とかやりましたけど、 直接膝を交えてやりましたのが二年間で百回程です。 

 住民懇談会では、やはり20年程前まできれいだったものですから、市民の大半の方は その思い出が、どこか胸の奥にあるんじゃないか、環境衛生組合も一部の地区では作られ ておりますように、多くの市民の方は、もしあの頃のように堀割をきれいにすることがで きるなら、という願いが、どこかにあるんじゃなかろうか、ということを感じとっており ましたので、もっぱら思い出話ばかり一時間程やりました。そうしますと、あっちこっち から、あそこの所は深かったとか、朝もやの中で顔を洗っていたとか、色々な魚を取った こととか、堀干しのこととか、魚を竹ぐしに刺して焼いて、巻わら (わらづつ) に刺して、 かまどの上でくん製にして、一年間の蜀白源にしておったとかいう話が出てくるわけです。 

 そうした話を続けておりますと、今は水道が普及して飲み水にする必要がないものです から、堀割は「もう必要なかもんばのう」という話が出てきます。その時すかさず、「じや あ水道の水はどこから来ていると思いますか、水道の水ももとは川の水ですよ」。それから、 「もう市街地の中に農地が少なくなったから、堀割はいらんけんのう」という話が出てき ます。そこでまたすかさず、「いや、農地がなくなると雨が降った時、雨の逃げ場がなく なりますから、堀割の水の遊び場としての機能は、より一層大事ですよ」というようなこ とを説明しました。それから堀割の機能とか役割を一時間ほど話しまして、そして最後の一時間位で計画の説明とか、具体的な実務の日程とかを話し合ったわけです。実務の日程 につきましては、住民の方と一緒になって決めていきました。至る所で堀割が不法占拠さ れて、川の連続性が失われておりますので、懇談会では川の連続性を回復することは川を 再生することの絶対的な条件だということを強調していきました。 

 私たちが懇談会が終わって帰る時に区長さんが、町内の方は役所の方が帰られた後しば らく残ってください、というわけです。そこでどんなことが話し合われたかと申しますと、 お互い不法占拠をしている所は自主的に撤去しましようという話し合いがなされたわけで すね。当時、市街地の中に55カ所ほど不法建造物がありましたけど、そのうち50カ所 ほどが懇談会の話し合いだけで、全部自主的に撤去されたわけです。私たちが次に現場に 行った時には、不法建造物はもうほとんど撤去されておりました。 行政が川とか水路とかの上に家が建っているのを撤去しようとすれば、そうとう長い時 間と、それから金もいるし、努力もいりますけど、懇談会を重ねた結果、自主的に撤去し てもらうことができました。これは全く予期しないことでした。

(注1) 凌漠 (しゅんせつ)とは、河川や運河などの水底土砂を取り去る土木工事。

【B】 (省略)

【C】 

 科学的にこうだと考えられるという話が、しばらくするとまったく間違いだったという ことはよくある。 

 たとえば、ある昆虫が非常に的確に行動しており、獲物をつかまえるにはどこから近づ いて、相手のどこを狙えばいいかちやんと知っていて、それを実行しているという。 実際にその様子を目撃すると確かにすごいなと思う。そのいきものにはそういう行動の パターンがあり、それに則ってハンティングしているという科学的説明がされ、実に納得 する。 

 でもほんとうにずっと観察していると、その説明ではダメな場合もたくさんあるという ことがわかってくる。 

 では人間の打ち立てた科学的説明とは、いったい何なのだ。そういうことを思うように なった。自然界の事例をたくさん見れば、いきものが失敗することはままある。科学的に こういう習性があるから、そのいきものの行動はこのように予想がつくと教わったが、ど うもそううまくいかない場合がたくさんあるらしい。

 ならば世の中に理屈はないかというと、ないわけではない。 つまりこの世はめちゃくちゃなカオスというわけではなく、そこには何か筋道があるら しい。それを探るためには科学的にものを見るということが大切だ。それ以外に、ささや かな道筋すら見つける方法はないということだ。 

 となるとぼくには、今度は、科学的にものを見るとはどういうことかがわからなくなっ た。どういうことが科学的な手法なのか。 

 そのころぼくが手がけた翻訳書のひとつに『鼻行類』(ハラルト・シュテュンプケ著日 高敏隆、羽田節子訳 平凡社ライブラリー) という本がある。今は消滅した群島に生息し ていたという、鼻で歩く奇妙ないきもののことを記述した本だ。 

 翻訳しているとき、周囲にはさんざんいわれた。 だいたいそんな動物はいない。そこに 書いてある話はうそに決まっているじゃないかと。 

 ところがそこにはみごとな理屈があり、鼻行類という生物種がいて、その中でも肉食の もの、花に擬態するものなどさまざまに分かれていて、それぞれどうやっていきているか まで細かく書いてある。解剖図まである。

  そういう、いわば理論生物学ともいえる話を、ハラルト・シュテュンプケというドイツ 人が考えた。 人間は理屈にしたがってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしま う。 

 実は人間の信じているものの大部分はそういうことではないだろうか。 

 いつもぼくが思っていたのは、科学的にものを見るということも、そういうたぐいのこ とで、そう信じているからそう思うだけなのではないかということだ。 

 本来いない動物の話を、あたかもいるように理屈っぽく考えて示すと、人はそれにだまされる。 

 真に受けた学生や大学教授もずいぶんいた。正式な問い合わせや標本貸出の依頼もあっ たく らいだ。

 そういう結果になるようなことを、なぜあなたは研究者としてやったのか。はじめから うそだとわかっているものをやるのは研究者としてよくないと、その当時ずいぶん怒られ た。

 それに対してぼくはこう答えていた。人間はどんな意味であれ、きちんとした筋道がつ くとそれを信じこんでしまうということがおもしろかったので、そのことを笑ってやりた いと思って出したのです。わたしたちはこっけいな動物だということを示したかったので す、と。

 すると今度は、あなたは人が悪いといわれた。

 そもそも理屈は人間だけのものかというと、そうではない。

 こうだからこうなるだろうという推測は動物もしている。

 たとえばここにフンがあれば、それを残した動物がわかり、近くにその動物すなわち食 いものがあるようだと推察する。どのくらいの理屈かということはあるけれど。

 人間の場合は、筋さえつけば現実に存在してしまうというところまでいくのが特徴だ。 鼻行類は、徹底的に理屈をこねるとほんとうに存在することになるという、よい例だろう。

 著者は、よくぞここまでというくらい、いっしょうけんめい考えた。それは、遊びとし てすごくおもしろい遊びで、人間はその遊びがすごく好きなのだ。そして、ときにそうし た遊びに足もとをすくわれたりもする。そういう動物はほかにいない。

【D】 

 生物の世界とはじつにうまくできたシステムであり、その中で個々の生物は、ほかの諸 生物と網目状ともいえるさまざまなかかわりをもちながらくらしている。 

 それぞれの生物種は、どこにすむかという「住」生活と、何をどうやってとって食べる かという「食」生活に、特殊化した専門家とみなすことができる。 「住」と「食」は、すべての生物にとって基本的に重要な生活要素である。それぞれの 種は、自分が利用しているすみ場所や食物に関するかぎり、同じ地域、環境にすむほかの ものよりも効率よく利用することができている。シジュウカラは、枝葉の間や地表から昆 虫の幼虫をとって食べるという点では、ツバメやカワセミなどよりもすぐれている。ツバ メは飛びながら空中や葉の上の昆虫をとって食べるということでは、シジュウカラやカ ワセミなどよりもはるかにすぐれている。一方、カワセミは、枝にじっととまりながら水 中をうかがい、魚が近づいてくると飛びこんで捕えるというかぎりでは、もちろんシジュ ウカラやツバメよりうまい。 それぞれの種は、それぞれが占める空間で、あるいはその生活の仕方に関するかぎり、 ほかの種よりも効率よく生きている。 

 それぞれの種がある特定のすみ場所や食物などの生活資源を利用していることを、それ ぞれの種は自然界で独自の「生態的地位」、あるいは相当する英語から「ニッチ」を占め ているという。この言葉を使っていえば、生物が多様であるのは、各種が独自の生態的地 位を占めるように特殊化、専門化した結果と見ることができる。 

 各種が独自の生態的地位を占めることによって、同じ地域、環境の中にさまざまな種が 共存することができている。 

 新たな生物の出現は、それを利用する別の生物の出現を促進させた。たとえば、さまざ まな花や種子をつける被子植物の出現は、そうした花の蜜や種子を食物として利用するさ まざまな昆虫の出現を促した。また、そうした被子植物や昆虫の出現、進化は、それらを 食物とするいろいろな鳥や哺乳類の出現をも促した。さらに、いろいろな鳥や哺乳類の出現は、それらを獲物として捕えるほかの猛高や猛獣の出現をも導くことになった。つまり、 こうした過程によって、食う、食われるの関係、「食物連鎖」は、より複雑になっていった。 ある生物が別の生物の出現をもたらすというこの現象は、生物界が構築される上で二つの 側面からきわめて重要だった。

 一つは、植物の存在そのものが、動物界全体の進化を可能にしたということである。動 物は、植物が光合成によってつくりだす有機物を、食物として直接、間接に利用するよう に進化してきたのである。自然界の生産者である植物の存在なしには、消費者である動物 の進化はありえなかった。植物はまた、森林や草原という構造をつくりだすことによって、 動物たちに幅広く多様なすみ場所を提供した。とくに森林は、構造が複雑で多様であるこ とから、さまざまな動物がすみつくことを可能にした。つまり植物は「食」と「住」とい う生活の二大要素から、動物たちのまさに生活の基盤となり、生物の多様性の増大に大き く貢献してきたのだ。

 もう一つの重要な側面は、さまざまな植物や動物の出現にともなって、それらの死骸を 食物あるいは栄養源として利用し分解する多数の菌類やバクテリア、あるいは土壌動物が 出現したということである。そして、これら分解者としての生物も、土壌中の異なる場所 で異なる種類の死骸を独自の方法で分解することにそれぞれが専門化し、多様になってき た。菌類は全体として、陸上の植物の遺体に残されたセルロースやリグニンを分解する生 理特性を発達させることによって発展したグループである。一方、土壌表面や土壌中の生 物の間にも、食う、食われるの食物連鎖が発達し、多様性は増大することになった。

 菌類やバクテリアなどが分解してできる無機物は、栄養分として根から吸収されて植物 に再利用される。こうして、生産者としての植物、消費者としての動物、分解者としての 菌類やバクテリアなどが存在することによって、生物界は互いに生かし、生かされながら なりたっている。

【E】 

 この頃、広く世間の人々がSFに関心を向けるきっかけになる出来事が起こった。1969 年、アポロ11号が月面着陸に成功し、人類ははじめて月に降り立ったのである。SF作家 はテレビや雑誌でひっぱりだこになった。その状況を見て、遠藤周作は「月に人類が立っ て、空想の余地がなくなれば、SF作家は食いっぱぐれだな」と冗談で発言したが、文学 関係者のなかには、それを額面どおりに受け止めた人々もいたようだ。 

 科学の進歩でSFは魅力を失うという主張は、科学は小説のテーマたり得ないという議 論同様、古くから繰り返されてきた。しかし戦後日本のSFは、自然科学のみでなく、社 会科学や人文科学的な言語実験・思考実験をも、重要なテーマとしてきた。その広無限ではないかもしれないが、少なくとも容易に枯渇し、限界に達するほど浅いものでは なかった。 

 1970年には、大阪で万国博覧会が開催された。大阪万博には77ヶ国が参加したほか、 多くの日本企業が参加して各展示館を出館したが、SF作家の多くがそれらのコンセプト 作りに関与した。 

 大阪万博に合わせて、日本で国際SFシンポジウムが開催された。イギリスからアーサー・ C・クラークとブライアン・オールディス、アメリカからフレデリック・ポール、カナダ からジュディス・メリルが来日したほか、ソ連からも4人の作家が参加した。これは東 西両陣営のSF作家が会する最初の機会でもあった。シンポジウムでは、未来をどのよう に描くべきかなどについて熱い議論が交わされ、閉会の際に採択された「国際SFシンポ ジウム共同宣言」にはく私たちはSFを通じて結ばれ、私たちが一つの家族であることに 気づきました。私たちは人類愛にもとづく確信をもって、SFが世界平和のために、未来 と人類のため、大きな効果を発揮しうるようになるものと信じております〉という言葉が 刻まれた。 

 そして1973年に小松左京の『日本沈没』が出版される。1973年とは、石油ショック が起こり、物価が高騰し、高度経済成長に繋りが見え始めた不安な年だった。70年安保 闘争以降、あるいは連合赤軍事件 (1971~72)以降の新左翼退潮期にあって、特異な 雰囲気をかもし出していた。それは60年代に若者文化として台頭したサブカルチャーが、 ノン・ポリ的という世間一般のイメージとは裏腹に、革新思想やアンダー・グラウンドの 諸活動と関連し続けていたことを、はっきりと刻印している。 

 この前年、田中角栄は『日本列島改造論』を発表し、開発という名の風土破壊が本格化 しつつあった。そんななかで大江健三郎は、1973年に雑誌『世界』に連載していたエッ セイ「状況へ」のなかで、怪獣映画への微妙な偏見を交えながらも、鋭い指摘をしている。 <いわゆる「日本列島改造計画」のように科学的機械力による大規模な自然の破壊は、ウ ルトラマンの活動さながらついには正義の科学的行為であるとする宣伝は、ウルトラマン 的想像力に慣れている人びとの耳にやさしく聞きとれるだろう。もし政府が「日本列島改 造計画」を国民に宣伝するテレビ・ネットを買いこもうとするならば、ウルトラマン的超 人間科学スターの活躍する怪獣映画の番組ほどにも好適なコマーシャル媒体はないにちが いない。もっともいま怪獣映画にうつつをぬかしている子供が大人になって、おおはばに 「改造」された日本列島のありとあらゆる場所で、救いをもとめる叫び声をあげるとしても、 汚染された海からミラーマンはあらわれず、汚染された空からウルトラマンはやってこな いのであるが。ただ透明な怪獣どもの大群が通過して行ったかのような、破壊のあとのみ がかれらの眼にあきらかであるのみなのであるが・・・・・>

 『日本沈没』に描かれたような政府は、現実には存在しない。自己保身に走らず、見返 りも期待できないのに国民のために努力する政府高官や、滅亡することがわかっているのに、最後まで効率的に機能する国家システムなどといったようなものは、虚しい幻想にす ぎない。存在しない「理想」を描くことで、小松のSF小説は、それが欠落している現実 を告発していた。

【F】 

 震災直後から、毎日凄まじい光景をテレビ、ネットで目の当たりにし、多くの人は自分 にできることはないかと模索する日が続いたと思います。でも私の場合、恥ずかしながら、 ボランティア活動や慈善活動への関心は低く、どちらかというとテレビに映る惨状をこの 目で見たいという思いのほうが強く、かといって興味本位だけで被災地に入るのも非常識 だという自覚はあり、ただ閲々と現地へ向かう口実を探していました。そんな中、記録ボ ランティアの募集を見つけ、職業がカメラマンということもあり、即連絡しました。多く の方から見れば、不純な動機と言われるでしょう。 

 そして、4月の下旬に現地に入りました。活動内容はその名のとおり被災地の写真撮影 で、震災から復興における過程を定点観測するという目的のため、まずその「定点」を選 定するため、できるだけ多くの場所から被災地を撮影してほしいというものでした。 私以 外にも参加者はいらっしゃいましたが、被災地が非常に広範囲なことと、余震が続いてい たため、安全を考え、複数人を1つのチームとしての活動が原則となり、人数や方法的に とうてい事足りるものではありませんでした。依頼者側の具体的な写真の活用方法もその 時点ではまだ模索中の部分もあり、非常に効率が悪かったのです。 

 するとミーティングの際に効率をあげるべく様々な意見が出されるようになりました。 安全のためとはいえ複数人が同一のエリアを撮影することに対する異論や、活動時間を長くしたい、といった意見です。さらには撮影した写真の活用方法にまで意見は及びました。 すべてが善意で駆けつけた方々のまっとうな意見です。誰にも正解は分かりません。 

 収拾がつかない中、派遣されて来ていたコーディネーターの方が私の活動初日におっ しゃった言葉を思い出しました。 

 「もし自分に置き換えて考えると、明日我が家がとり壊されるとすればその写真を撮っ ておこうと考えるのではないでしょうか。とにかく今は復興の過程で、なくなってしまう 生まれ育った家や町並みの面影を、そこに暮らしていた方達の代わりに撮影しましよう。 正直どう役に立つか分かりませんし、今すぐそれが被災者の方々に感謝されることはない かもしれませんが・・・」。

 前述したような動機で参加した私にとってその後の写真の活用方法に意見はありません でしたが、そんな私でさえあの光景を目にすると、何かの役に立ちたいと思うようになります。そこまでは良いのですが、厄介なことにそれが感謝されているのか確認したくなる 気持ちが芽生えます。その感情は時として自分自身に無理をさせ、相応の反応を望んでし まい、さらには己の感情や行動を他に押し売ってしまうかもしれません。そうなりかねな い自分を自戒させる言葉でした。被災地、被災者に対して何ができるかを自分で想像して 行動することも、ある一定の局面においては大事かもしれませんが、普段、日々の生活に 追われる多くの人にとってより大事なのは、現地に耳を傾け、何が求められているかを注 意深く聞くことだと思います。 

 何が必要かを一番知っているのは彼らです。何が役に立ったのかを実感できるのも彼ら だけです。その中から自分にできることを見つけ出し、背伸びすることなく、できる範囲 で行動することが大事なのではないでしょうか。

【G】 

 日本というのはたいへん湾の多い国です。小さな湾は大縮尺の地図では書ききれないの で、見えるのは東京湾、相模湾、駿河湾、伊勢湾などといった大きな湾だけです。三陸海 岸のギザギザがおぼろに湾の存在を示していますが、類似の小さな湾はそれこそ無数と いっていいほどあります。 

 大きな湾と小さな湾とは成因が異なっていす。大きな湾はだいたい地盤の沈降地帯で、 土地が沈降した部分が湾になっているのです。大きな湾があるのは、日本が地殻変動がさ かんな変動地帯であることのひとつの現れです。そのなかでも非常に特殊な湾が3つあ るのをご存知でしょうか。それは相模湾と駿河湾と富山湾です。その3つの湾は、他の 湾がたいてい100メートルよりも浅いのに比べると桁ちがいに深くて、1000メートルに も達します。それは3つの湾では速い速度の沈降が続いているからです。そうでなければ、 うしろの山からくる土砂で埋められて浅くなるはずです。 

 一方、小さな湾はいわゆるリアス式海岸の湾ですが、それらは、海水準の上昇による陸 地の沈水現象が直接の原因になってできたものです。しかし、それにしても、湾の底の凹 地地形と、陸側にへこんだ湾の形は、もとは川の浸食作用が作った陸上の谷そのものです。 ですから川が流れていない乾燥地帯の海岸では、谷がなく、したがって湾ができないので 海岸が単調になるのも当然です。

  少し違う海岸のタイプとしては火山の海岸があります。 ことに歴史時代にも活動して溶 岩を海岸まで流した桜島や伊豆大島などは独特の、溶岩流が作る海岸景観をもっています。 日本ほど海岸が人工的に変えられている国はほかにないと思います。東京湾などは自然 海岸の大半が失われています。 

 いま日本には侵食のいちじるしい海岸がたくさんあります。江戸時代や明治時代までは海岸が海に向かって前進していくところも多かったようですが、現在ではほとんどありま せん。激しく浜が削られて社会問題になっているところが各地にあるのです。それにはい ろいろな原因がありますが、ほとんどが人間のしわざによると考えられています。たとえ ば、ダムを作ると山から出た土砂がダムにたまって海岸にまで運び出されなくなります。 

 あるいはコンクリートのために川で砂利をたくさんとることも行われましたから、それ だけ海岸に出て行く土砂が少なくなっています。また、川の中流には土砂がたまっていて も、灌漑・水道や発電に水を使うために川に流れる水量が減って、河口まで土砂を運び出 すことができないということもおこっています。 

 このようなことから海岸侵食が進んでしまい、それを防ぐために護岸工事をしたりテト ラポッドなどの消波ブロックをたくさんならべたりしています。外国の地形や河川の専門 家が日本にきて海岸や川を見ると、日本には自然の海岸や川がほとんどないといって驚き ますが、私たちが外国に行くと、反対に人工の海岸や川が少ないことに驚かされます。

 1974年にニュージーランドで国際会議があったときの見学旅行で、「あの川には堤防 がある」という説明がされ、ニュージーランドでは堤防がないのがふつうなのだというこ とに気づかされました。海岸も同様です。自然の姿の海岸がきわめて少なくなっていると いうのが、現在の日本の海岸の特徴の一つです。

【H】 

 1982年の第23次南極地域観測隊に参加した忠鉢繁は、気象定常観測部門として参加 した梶原良一と共に、冬の間、苦労してドブソン分光計(注1) による月光観測を進めた ほか (41夜の観測に成功)、オゾンゾンデの毎週1回の飛揚などを行ってきた。 

 太陽が戻ってからは、引き続き通常のオゾン全量観測を続けたが、9月から10月にか け、異常に低いオゾン全量が測定されるようになり、観測器の故障ではないかと大いに悩 んだ。しかし、点検を重ねても、特に観測器の不具合も見つからず、このデータを持ち帰り、 1983年12月の国立極地研究所のシンポジウムにて初めて「昭和基地におけるオゾン全 量観測」として発表した。1982年9月下旬から10月中旬にかけてのオゾン全量測定値 が、それまでのいずれの年の測定値よりも著しく低くなっていることを示し、「220DU (注2) 前後と昭和基地では今まで観測されたことのない低い値を示している」と述べた。 当時、この発表は、幾人もの日本のオゾン研究の専門家が聞いているが、誰もこの点に 注目しなかったことが残念であった。この発表が1984年、論文 (国立極地研究所発行の MemoirsofNationalInstituteofPolarResearchSpecialIssueNo.34、1984年12月刊行 となり、オゾンホールの発見第1号論文となったのである。

 1985年、世界で最も有名な科学誌『Nature』に発表されたフアーマン他による論文は、 イギリス、ハレー基地で観測された1980年代に入っての成層圏オゾン量の急減と大気中 フロン濃度の増加を関係づけ、フロン (注3) によるオゾン破壊であると結論づけたこと で、オゾンホールの論文として栄誉ある地位を得た。 

 一方、人工衛星によってもオゾンホールは見つかっていた。ニンバス7号衛星に搭載さ れたオゾン全量分布分光計(TOMS) および太陽後方散乱紫外線分光計(SBUV) により 南極上空のオゾン全量の分布を観測し、1980年以降、南極大陸上空に広くオゾンの少ない領域が広がっていることが、シュトラルスキー他により1986年、同じく『Nature』誌 上に発表された。NASAGoddard研究センターの彼らも、もっと以前から南極上空のオゾ ン減少を察知していたはずだが、もともと人工衛星の観測値の180 DU以下のものはデー タ不良として削除するプログラムになっており、発表を差し控えていたものである。 

 ファーマン論文でオゾンの急減を事実と知り、改めて不良データを読み出し、それまで の衛星観測結果も事実であることを認識し、発表に至った。 こうして3論文がそろって、 オゾンホール発見が確実なものとなったと言える。 成層圏オゾン破壊の原因は人為起源のフロンにあると言われるが、なぜ南極のオゾンだ けが破壊されオゾンホールが起こるのだろうか。 

 1974年、アメリカのモリナーとローランドは『Nature』誌上に論文を発表し、「成層 圏に到達した人為起源フロンは紫外線で分解されると、塩素酸化物 (塩素原子、一酸化塩 素等) を放出し、これがオゾン破壊の連鎖反応を引き起こしオゾンの壊滅的破壊を進め る」との問題を初めて指摘した。しかし、フロンが直接働いてオゾンを壊すには高い高度、 30~40キロメートルでなくてはならず、下層では、酸素原子が少なく、土壌微生物起 源の窒素酸化物によって化学的に不活性な硝酸塩素に変換されたり、塩酸が生成されたり してしまい、この仮説は行き詰っていた。 

 しかし、そこに、粒子状物資や極成層圏雲 (注4) が存在すると、その粒子表面で触媒 反応が起こり、これら硝酸塩素や塩酸から塩素が分離されるという仮説がアメリカ大気海 洋庁 (NOAA) のスーザン・ソロモンによって提唱された(1986年6月の『Nature』誌)。 

 この仮説を実証するために、アメリカでは1986年から大掛かりなチームを急遽南極に 送り、地上からリモートセンシングや気球による観測を行った。1987年には、南極の成 層圏に航空機 (スパイ機U-2の改造である成層圏用ER-2やDC-8) を飛ばしてこれら関 連成分の分布を

つかむ大掛かりな観測を実施し、極渦 (注5) 内部で、オゾン破壊に塩素 系のオゾン消滅反応が寄与していることを決定付ける有名な観測結果を得た。オゾンと一 酸化塩素との逆相関は、人為起源の塩素がオゾンを破壊するときに一酸化塩素が作られる ことを示しており、人為起源化学物質がオゾンホールの元凶であるという仮説がみごと実 証されたのである。

(注1) ドブソン分光計による観測では、大気を透過して地表に達する日光 (あるいは日光が得られない場合 に月光)の中で、オゾンによって特徴的に吸収される波長の光の量がどのくらいの割合で含まれているかを測っ て、透過経路中のオゾンの全量を推計する。 

(注2) DU (ドブソン・ユニット) とは、大気中のオゾンの全量に関する単位。例えば、220DUとは、大気中 のオゾン全部を地表に1気圧0°Cの条件で集めると、その厚さが22ミリメートルになることを意味している。 

(注3)筆者は、ここでは、フロン12(CF.C.)、フロン11 (CFCL)の総称であるクロロフルオロカーボン(CFC)、 通称フロンガスや四塩化炭素 (CCL)、メチルクロロホルム (CHCCL)等を合わせて、「フロン」と呼んでいる。 

(注4) 極成層圏雲とは、冬季の南極、北極の高度20キロメートル前後の-80°Cといった極寒の領域で形成さ れる特殊な雲。1982年頃からの観測で注目を集めるようになった。 (注5) 極渦とは、両極のそれぞれに、緯度50~60°の近辺で極を周回する形で特に冬季の成層圏に発達する 強い西風のジェット流。

【I】 

 経済学の第一の鉄則は、成長である。未来永却加にわたる成長である。会社はより大きく 成長し続けなければならない。国家経済は年ごとに一定の割合で拡大する必要がある。人々 はますます欲し、ますます作り、ますます費やすべきなのである。 

 地球の第一の鉄則は、不足のなさである。タップリあって、多過ぎないことである。ちようど良い量の土、ちょうど良い量の水、ちょうど良い量の日光。地球で生まれるすべては、 それぞれ適切な大きさにまで成長し、そこでとどまる。地球は、これ以上大きくはならず、 より良い方向に進む。そこに住む生き物は、学び、成熟し、多様化し、発展し、驚くべき 美しさと斬新さと複雑さを創りだすが、絶対的な限界の範囲内で生きていく。 

 さて、人間の経済と、地球という惑星の法則との間に矛盾があるとき、いったいどちら が勝利を収めるとあなたは考えるだろう? 

 経済学者はこう語る。「価値ある相手に立ち向かうことによってのみ、あなたは効果的 に事を成し遂げるだろう。好結果を招く競争に対する報酬は、成長だ。敵対するものを一つ、 また一つと攻め立て、さらにそれを続行することで、次につながる資源を獲得するのだ」。 

 地球はこう語る。「競えばいい、そのとおりだ。しかし限界内での競争を維持しなくて はならない。戦争になってはいけない。必要なだけを手に入れる。競争相手が生きていく のに十分なだけは残す。どこであれ可能なら戦わず、協力する。互いに交感し、互いを護 る場所を作り、自分より小さいものを光の届く所まで差し上げるような堅固な構造を打ち 立てる。栄養を循環させ、活動範囲を分かちあう。優秀な種は競争から生まれるものもあ るが、その他は協力から発生する。あなたは争い事の中にいるのではない。いるのはコミュ ニティの中だ」。 

 この二つの言説のうち、どちらが、世界を、生きる価値のあるものにするのか? 経済学者は言う。「すぐに使い果たす。修理など思い煩うことはない。消耗すればすぐに別なモノを買いつなぐ。そうすることで、国民総生産 (GNP) を行き渡らせる。飽きた ら捨てればよい。役に立ちそうもない場所に向けて投げるのだ。さらなる生産を目指して、 材料とエネルギーをつかみ取るのだ。30年ごとに、森を裸にする。大地から石油を吸い 上げ、ただちに燃やす。仕事を作る、そうすれば人々は金を稼ぎ、さらにモノを買い、放 り出す」。 地球が言う。「何を急いでいるのだ? ゆっくり時間をかけて、何世紀も何千年紀もか けて、土や、森や、瑠璃湖礁や、山脈を築くのだ。どんなものも巡り巡って、それ以外のも のの生きる支えとなり、時に食料へと形を変えてゆく。森を育てるのには何百年もかかり、 石油にまで圧揮するには何百万年もかかる。その時間こそ、それが使われるべき時間の速 度なのだ」。 

 経済の法則と地球の法則と、どちらが最終的に大きな力を持つのか、今の私たちには判 断できない。個人的にどちらの法則の下で生きてゆくのか、それは選択できる。そして、 私たちの経済の法則を地球の法則と一致させるのか、それとも、もし一致させなければ何 が起こるか見極めるのか、これも選択できる。

※【A】 ~ 【I】の文章の著者は、以下のとおりである (50音順)。それぞれの文章が掲載された刊行物名、 出版年は、出題との関連で省略した。なお、文章はそれぞれ一部編集している。 貝塚狭平、長坂俊成、長山靖生、樋口広芳、日高敏隆、広松伝、G・ポーター、D・メドウズ、山内恭

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