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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 環境情報学部 小論文 2012年 過去問

2012年 慶應義塾大学 環境情報学部 小論文 課題文

 

次ページから、生活用品のデザインについての4つの資料が掲載されています。資料1は、日本で最初の「工業製品をデザインをする会社」を作ったデザイナーの秋岡芳夫が1969年に書いたものです。秋岡は17年間様々な生活用品をデザインし、戦後日本の産業の発展に寄与した後、この論文をある雑誌に寄稿しました。資料2は、認知科学者のD.A.ノーマンがアップル社のiPodのデザインについて書いたものです。資料3は、MIT(マサチューセッツ工科大学)で行われている、個人で何でも作れる時代を予告する実験的なものづくり講座を、ニール・ガーシェンフェルドが紹介しています。資料4は2011年に開催された秋岡芳夫展のカタログに寄せられたデザイナー山中俊治の文章です。資料2~4は2006年から2011年に書かれたものなので、資料1との間には40年のギャップがあります。その間にものづくりの状況やデザイナーの役割は大きく変わりました。そのことを踏まえて次の質問に答えてください。

問題1 あなたがこれまでに、印象的な関わりを持った生活用品をーつ挙げ、それがどのようなものであったか、あなたがそれを通じてどのような体験をしたか、なぜそのような体験が得られたのかを、500字以内で説明してください。その体験は素晴らしいものであっても、がっかりしたものであってもかまいません。必要であれば解答欄右側の四角の中に図や絵を描いて説明の補助としてください。

※ここでいう生活用品とは、企業あるいは個人によって製作された、あなたにとって実用的なものを指します。アップル社のiPod以外のものを挙げてください。ハードウェア、ソフトウェアの別を問いませんが、絵画や彫刻などの芸術作品、および音楽や映像作品、漫画や小説などの著作物は含まれないものとします。

問題2 問題1で挙げた生活用品は、もしかすると秋岡芳夫が指摘していた様々な制限の中から生まれたものかもしれません。あなたが今後、その生活用品の開発にたずさわるとしたら、どのように作るでしょうか。あなたが問題1で説明したものを体験してからも、ものづくりの状況はどんどん変わっています。1~4の資料を見ながら、どんなことができるようになるかを考え、問題1で挙げた生活用品の改良案、またはそれに代わる新しい生活用品を700字以内で提案してください。必要であれば解答欄右側の四角の中に図や絵を描いて説明の補助としてください。

資料1 工業デザイナーの立場と手で作る物 

秋岡芳夫、雑誌「セラミックス」掲載の論文(1969年)より、一部編集

 言うまでもなく、現在の日本では、工業製品はもっばら利益追求の手段として大企業か、大企業を目指している中小企業によって造られています。そこでは生産性向上が叫ばれ、量生産、大量消費が目標にされ、造りやすいこと過去にすでにあった物を新しい材料技術で能率よく造ることは生産技術の問題ですから、工ンジニアの手で処理できますが、過去になかった商品を創り出そうとする時、どうしても工業デザイナーという職能が必要になってきます。新しい用法をイメージする能力や、新しい生活環境を想定する意欲の持ち主としてデザイナーは企業に迎えら

 しかしながら、工業デザイナーは物を創るのに参画はしますが、手や道具や機械を操作して直接物を造るのではなく、頭で物を考え計画するだけの人間なのです。間接的にものづくりに参加する一種の指定屋のようなものです。工業製品をデザインする時、デザイナーはクラフトマンや芸術家のように物を創りながら考えることはできないのです。デザイナーの事前計画能力が製品のすべてを決定するのかもしれません。事前計画した物しか造れない、事前に計画できない物は造れない。これは工業製品の宿命であり同時にデザイナーの仕事の制約であり、できてくる工業製品の質の限界をも示しています。

 デザイナーが計画立案したイメージを企業が実施する場合に、前述の他にもまだ多くの問題が見られます。その一つは機械がエンジニアの書く図面でしか作動しないということです。デザイナーの書いた図面は全てエンジニアの手でいったん書き直されます。デザイナーの指定した色彩もエンジニアの手で塗料会社のカタログに記載された記号に変えられます。材料の表面の質感への注文も見本のサンプルやメッキの工業規格番号で指定させられます。現状ではそんなわけで工業デザイナーの造形能力は市販の工業材料の種類の多寡、塗料屋のサンプル帳の色のよしあし、設計者の製図時の表現能力などによって大幅に制約されてしまうのが現状です。

 それから現在我が国で動いている工作機械はまだまだ不十分な機械ばかりです。一例を挙げると、鉄やアルミやプラスチックのような、人工的な均質な素材を加工する機械はかなり発達していますが、石、土、木などのような天然の不均質な素材をうまくこなす機械が、非常に少ないのです。木あるいは石が我々の生活環境を形作る素材として、どれほど有用で適材であるとわかっていても、現在の資本主義社会での工業生産の場では、木や石は生産性の悪い素材として、非情にも見捨てられるのが常です。

 以上の説明で私が言いたかったことをもう一度繰り返しますと、資本主義社会では我々の生活に直接関係のある工業製品の多くは、主として経済的理由から画一的大量生産方式で消耗品として造られようとしていること。能率の良い生産性の高い工作法として機械が人手にとって代わり、その機械の群はエンジニアの指令によってのみ自動的に働き、エンジニアの指令はデザイナーや企画スタッフの計画案、事前の計画案によってなされること。そして、その計画は耐久消費財などの場合、不特定多数の好みに合わせた平均レベルの質と造形でなされるべきであること。そしてまた、主として加工機械の未熟さが原因で工業製品に動員しうる素材がかなり限られているのが現状であること。また、工業デザイナーが使用者の代弁者としていかに有能であっても、製造の決定権を握っていない現状ではしよせん有能な提案屋にとどまらざるを得ないこと。従って消費者は消費材などの工業製品を買わされ、使用者は製品を使わされるという受け身の立場であることを、明瞭に指摘しておきたいと思います。

資料2 アップルのiPod音楽サービス

D.A.ノーマン「複雑さと共に暮らすデザインの挑戦」伊賀聡一郎・岡本明・安村通晃訳、新曜社(2011年)より、一部編集

 2001年に発売したiPodの機器デザインが優れていたために、アップルは音楽プレーヤービジネスを支配したと誰もが思っているがそうではない。iPOdは確かにすばらしい製品であるが、それがアップルの成功の鍵ではない。秘密は、彼らが真の課題は製品のデザインだけではないということを理解していたことにある。つまり、音楽を探し、購入し、取得し楽しむというシステム全体を簡素にすること、法的な問題を克服することであった。その当時、いくつもの企業がデジタル音楽プレーヤーをすでに販売しており、いくつかは非常に魅力的で機能も充実していたことに注目しよう。しかし、これらの製品は孤立した製品だったのである。それらの製品はほとんどの音楽を合法的に取り込むことができなかった。しかも、音楽をコンピュータ内に取得し、そしてプレーヤーに入れ込むには手動の操作が必要であり、普通の人がやれること、あるいはやりたいことよりも複雑だった。根本的な問題は、全てのパーツを一つのシームレスな体験に統合することであった。

(中略)

 アップルはiPodを孤立した製品としてではなくサービスとして扱った。したがって、彼らは全てのステージがシームレスに、そしてその結果としてすばらしい顧客の体験を生むように念入りに仕事をした。簡単にいえば、第ーに、アップルは楽曲を手頃な価格で合法的に取得できるように交渉した最初の会社であった。第二に、彼らはウェブサイトと付属のアプリケーションをデザインして、新しいアーティストをブラウズし、検索し、聴いてみる喜びと楽しさを作り出した。第三に、アップルは購入を簡単にし、購入した音楽をコンピュータにダウンロードするのが楽にできるようにした。

 アップルはiPodがコンピュータに接続されたときに、苦もなく簡単にファイルの転送が行えるようにiPodシステムをデザインした。最終的にはアップルの音楽プレーヤーiPodのデザインは素晴らしいものになった。コンピュータで簡単に音楽を聴くことができ、ネットワークに接続したコンピュータ、あるいは自宅のオーディオ機器やテレビにも流せるのである。

(中略)

 アップルは全体的な取り組みをシームレスなシステムとして扱った。物理的な機器の包装箱のデザインさえ称賛に値するものであった。多くの企業が包装コストを削減している中で、アップルは追加の費用をかけて、包装というものを顧客に魅力的で新しい体験を与える新たなチャンスとして扱ったのである。箱を開けるところからユーザーの体験が始まり、それは他の体験と同じく、面白くて楽しくあるべきだということをアップルは理解していた。

 ストーリーはさらに時と共に広がりを見せた。アップルは携帯電話、ディスプレイ・パッド、ポータブル・コンピュータ、そしてその他のコンピュータ、電話、カメラ、映像、音声を相互につなぐデバイスを製品のポートフォリオとして拡張していった。そのレパートリーは音楽を超えて、写真、ビデオ、映画、ゲーム、新聞雑誌、書籍、そしてその他のメディアに広がっているが、全てがシステム・デザインの観点に立っている。デバイスの物理的な構造は変わっても、システム全体をシームレスで簡単にするという全般的な哲学が貫かれている。

*LIVINGWITHICOMPLEXITYbyDonaldA.NormanCopyrightC2011DonaldA.Norman

FirstpublishedintheUnitedStatesbyMITPress

PermissionfromDonaldA.Normanc/oSandraDjkstraLiteraryAgencyarrangedthroughTheEnglishAgency(Japan)Ltd.

資料3 ほぼあらゆる物をつくる

 二ール・ガーシェンフェルド「ものづくり革命パーソナル・ファブリケーションの夜明け」糸川洋訳、ソフトバンククリ工イティブ(2006年)より、一部編集

 MITで「(ほぼ)あらゆる物をつくる方法」講座を開講した最初の年に話題をさらった受講生はケリー・ドブソンである。彼女は根が芸術家で、プロジェクトについてはいろいろアイデアを持っていたが、電子工作の基礎知識はゼロに等しかった。講座に参加した他の学生と同様に、彼女も学習したスキルを応用してプロジェクトに挑んだ。他の学生と違うのは、叫んではいけないときに叫びたくなる衝動の解決にこだわったところだ。その成果が、背負うのではなく、前に抱えるベルベット地のリュックサックのような「ケリーのスクリームボディ」という作品だった。

 ケリーは作品のプレゼンテーションでこう説明した。「みなさんは、突然叫びたくなったことがありませんか。でも仕事中や何やらで、叫びたくても叫べないことが多いはずです。スクリームボディは叫ぶための携帯用パーソナル・スペースです。スクリームボディに向かって叫ベば、叫び声は外に漏れませんが、録音されるので、いつでも、どこでも、好きなときに、その声を袋から取り出すことができます。」

 この説明を聞いたときの聴衆の反応はいつも決まっている。まず、「この人は叫び声を保存する機械を本気でつくったのかと」という驚き。次に機械が実際に機能するところを見て、面白いじゃないかという反応。私も欲しいと言い出す人も少なくない。最後は、スクリームボディをつくるうえでケリーが成し遂げた偉業をみんなが賞賛する

 ケリーは叫び声を溜め込む回路を設計し、それを基盤に組み込んだ。この回路を動作させるには、録音と再生を制御する埋め込み型コンピュータをプログラミングする必要があった。次に、叫び声でスクリームボディを起動するセンサーを開発した。最後にそれら全ての部品を、叫び声をいったん消した後で放出する機能を持った、快適に装着できるパッケージに組み込んだ。

 普通の会社であれば、戦略グループがスクリームボディの仕様書を書き、電子技術者が構造を設計し、工業デザイナーが外観を仕上げ、工場技術者が生産計画を作成し、営業担当者が買い手を見つける。そのすべてを一人でやり遂げたことは、ケリーにとって特別なことではない。それを他人が特別だと考えることの方がケリーには意外だった。ケリーにとってリテラシーとは、あらゆる表現手段を使って情報を伝える方法を学ぶことだ。彼女は回路の設計やパッケージ化を、製品開発の工程ではなく、個人の表現手段の一部とみなしている。スクリームボディを設計したのは、彼女自身スクリームボディが欲しかったからだ。

 巨大な市場の普遍的な二ーズを満たすために技術者チームが設計するパーソナル・コンピュータや携帯端末と異なり、ケリーの個人用叫び補助具がターゲットとする市場には、ケリーという一人のユーザーしかいない。彼女が特別なのは、平均的な消費者ではないからだ。そもそも平均的な消費者など、世の中にはほとんど存在しない。ケリーにとって役に立つテクノロジーは、叫びたい衝動を解決してくれるテクノロジーだ。人によってテクノロジーを利用する目的は、農作物の育成だったり、ゲームで遊ぶことだったり、宝飾品を加工することだったり、さまざまだろう。しかし、こうした個人的な二ーズがマスマーケットをターゲットとした製品によって満たされる可能性は低い。真のパーソナル・コンピューティング・デバイスは、その定義から言って、大量生産できるものではなく、大勢の人のためにカスタマイズできる物でもない。個人的に設計する

資料4 秋岡の手の中にあった小宇宙

山中俊治、目黒区美術館DOMA秋岡芳夫展カタログ(2011年)より、一部編集

 工業デザイナーとして17年にわたって、産業界のど真ん中で幅広い実績を残した秋岡は1969年に突然、東京中野区に「104号室」を借りて、グループモノ・モノというデザィン・プロジェクトを起こした。これは、ある意味とてもイマドキな、産業のスキをついたゲリラ的プロジェクトである。今でこそ多くのデザイナーが既存の製造業に頼らないものづくりを目指し、才ットを利用して様々なデザイン・プロジェクトを起こすが、これをこの時点で起こした秋岡は、産業に対する問題意識という意味でも先駆的だったと言える。

 秋岡はこの頃に一つの論文を書いている。「工業デザイナーの立場と手で作る物」(資料1)と題されたこの論文には、晩年に書かれた膨大な工ッセイのような酒脱さも軽やかさもないが、熱があり、怒りと嘆きがある。

 秋岡のすべての活動はここに書かれた思いに集約されているのではないか。秋岡は、戦後の高度成長期の日本経済の中で、デザイナーの役割が恐ろしく狭いところに押し込められていることを敏感に感じ取っていた。その地位を向上させる努力を長くやってきたにちがいない秋岡は、50を迎えてその戦い方では勝ち目がないと見切りをつけたのかもしれない。デザイナーだけでなく、ものづくりに関わる様々な人間が集まったというグループモノ・モノでは、メンバーが自らの企画で製造元に働きかけて製品を作ったり、展覧会を催したりする活動が10年続いた。

 しかし、この戦い方にも限界を感じたのか80年代に入ると秋岡は、農村における手作りの木工によるものづくり運動を、様々な地方で展開するようになる。これはもはや近代産業との決別であったと言えるかもしれない。晩年の秋岡は膨大な量の書物を著し、地方自治体に働きかけ、クラフトデザインの運動を起こすが、自らデザインしたものをあまり発表しなくなってしまう。

 工業デザイナーは、自ら作る人であると同時に、産業界にあって多くの人のために作る存在でもある。このことはデザイナーが根本的な問題を抱えていることを意味する。本当に生活者にフィットする生活用品を作ろうとすれば、そのデザインはその人のためにカスタマイズされたものとなる。しかし、産業の一員として企業の利益に貢献しようとするなら、ある程度の量の顧客を確保し、小さな違いは無視して、多く作るための方法とコストに配慮しなければならない。ここに個人の価値観と企業としての価値観の衝突が生じる。この矛盾は20世紀の産業に関わるデザイナーすべての課題であり、デザイナーたちはいつもその矛盾の中でより良い妥協点を探してきた。しかし秋岡はその妥協にとどまることを良しとしなかった。

 21世紀に入り、今日の先端的なものづくりは、秋岡の抱えていた問題のほとんどに直接の打開策を見つけようとしている。

 まずこの40年間に、デザインは著しくその地位を向上させた。かつてデザインは、完成した技術を人々に使いやすい製品にするために色や形を整えるという、開発全体から見れば後行程に過ぎなかったが、今やアップルを始め、多くの企業が経営の根幹の一つとして、デザインを最上流に位置づけている。デザインは、単に製品の外観を整えることではなく、ユーザーが必要としている体験を計画し、技術開発に方向性を与え、製品を通じたサービスのあり方全般を考える手段となった。さらには製品の広告やブランド・イメージを作ることも、デザインの一環とされている。

 ソフトウェアのデザインは、量産とカスタマイズの狭間で悩むデザイナーの問題を、いち早く解消した。インターネットの存在は、世界中の個人デザイナーがソフトウェアを自らの価値観で作り、流通させることを可能にした。企業は自らの価値観を無理に押し付けなくとも、そうした多様な価値観の流通の場を提供すれば成立するようになりつつある。

 同じことが少しずつ、ものづくりの世界でも起こりつつある。今や多くの若きデザイナーやデザイン・ユニットが、自らの価値観で作ったものをネット上で公表し、直接に顧客を募り、少数を製作して販売しようとする。そこでは、デザインとクラフトの境界も崩れつつあるし、使用できる素材の幅も格段に広がっている。秋岡がグループモノ・モノでやろうとしたゲリラ戦は既に一般的なものになりつつあるが、そこには秋岡のような悲壮感はない。

 パーソナル・ファブリケーションという新しいものづくり運動は、様々な個人用の加工装置と、製作ノウハウのネット上の流通により、全ての人に自分のためのものづくりを可能にしようという運動である。これこそは秋岡が地方を舞台に展開しようとした、誰もがアマチュアのまま、自分たちのためのものをデザインし、自ら作ることができる理想の世界そのものと言える。

1969年の秋岡が、絶望的に痛烈な批判をせざるを得なかったものづくりの状況は、確実に次のステージを迎えつつある。この状況を作ることに、秋岡の著述や運動がどれほど功を奏したのか明らかではない。秋岡の起こした地方運動は今もそれぞれの地域に生きているが、それが今日の原動力となったとは言えないだろう。しかし、秋岡の苦悩と絶望的な戦いが、大きな社会変革の最初の戦いであったという事実は、歴史に記憶すべきものであると私は考える。

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