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慶應義塾大学SFC 環境情報学部 小論文 2009年 過去問

2009年 慶應義塾大学 環境情報学部 小論文 課題文

問題1

 資料A,資料B,資料Cを読んで,メディアとコンテンツとはどのような相互関係にあるかを整理して,解答用紙に600字以内で記述してください。解答用紙「おもて」面を使用して,文章は横書きで記述してください。

 必要に応じて,100字相当分以内について,解答用紙にたとえば10×10や12×8のような領域を区切って,その領域内で図を併用してもかまいません。図を使用するかしないかは,あなたが自由に選べます。

[資料A]

 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)で初代環境情報学部長を務めた相磯秀夫名誉教授がメディアとコンテンツについてSFCの卒業生に語つた記録。

 SFC開設の準備をしていた1980年代後半には,今みたいにたくさんメディアという言葉が使われることはなかったのです。現在ではインターネットも,パソコンもメディアということになっていますけれど,当時はそんな風には捉えていなかった。マスメディアという表現はありましたけどメディアという言葉を単体で用いることは少なかったです。

 こんな中でこれからは人間同士または社会とのコミュニケーションが重要になるだろう,ということでメディアという言葉が出てきたのです。SFCではメディアをどう捉えたかというと,非常に硬い定義をしています。「人間の感情や意思をどのように表現するかということと,それをどのように情報として表わし,伝達するかということ」,これはとりも直さずコミュニケーションということですよね。そしてそれを可能にする媒体手段を総称してメディアと捉えたのです。

 著名なメディア論者マクルーハンは,1960年代に『メデイア論』という本を書いていて,「人間にとって外部環境はすべてメディアだ」と言っています。1997年には,法政大学の中野収が『メディア人間」という本を書いています。これは非常に面白い本で,コミュニケーションの本ですがここでもメディアとは何かということが書かれています。一言で言うと,「ものみなメディア」,我々の身の回りにあるものはすべてメディアだということを言っています。

 ここまでコンテンツという言葉はぜんぜん出てこないわけです。だからコンテンツをどう捉えたかということではなくてまずメディアという言葉を捉えて,SFCのひとつの柱にしようと,かなりメディアを意識したのです。

 私がコンテンツをどう捉えているかというと,メディアから生まれるものが,コンテンツだと思っています。先ほど述べたとおり,メディアはコミュニケーションを可能にする媒体や手段,それを使って生産するものがコンテンツだと,私はこう思っています。

 ある意味で,人類のこれからの歴史というのは,コンテンツの発展が物語るのではないかと思います。私の中での究極のメディアと言うのは究極のコンテンツとは何かって言っているのと同じことなのです。コンテンツはメディアと共に発展すると思っています。これからは「ハコ物」より,その中身の「コンテンツ」の方が高い価値をもつようになるというのがひとつの考え方でしょう。

 ふたつ目のコンテンツの捉え方として,メディア=コンテンツと言うようなものですけど,コンテンツはやっぱり感性に密接に関係があるのではないかなと,私は思いました。感性とか感覚と呼ばれるもの。特に五感視覚,聴覚,触覚,ここまでは現在でもある程度は解明されていて新しい有用なコンテンツ創りに役立っていますけれどこの後は嗅覚,味覚をどのように関係づけるかですね。これはある意味では究極的なコンテンツになるだろうと私は考えています。これは将来の課題です。それと第六感です。ものを思考するという世界がコンテンツの世界の中にあるのではないかと,そういうふうに思っています。

 だからコンテンツを学術的に考えるという点では感性とか感覚とか思考とか,そういうことを基礎から学ばなくてはいけないと思います。私はコンテンツの世界は感覚・感性・思考と言う世界ではないかと思っています。だからこれからは,人間の高度な知的機能を活かして,物事を体系化し,可能な限り定量化し,多様なコンテンツを効率的に創造する技法を確立することが期待されています。何をしたらいいのだろうかと言うと,これは全く新しいメディア学の領域であって,ひとつはコンテンツ制作技術の領域,もうひとつは,物事を創造するクリエイティヴな世界を展開することでしょう。前者はある意味では解決の技術の世界ですね。

 もうひとつの方は問題を発見する世界ですね。だからSFCでも問題発見・解決能力と言ったのです。SFCでは問題を広く捉えて,学問のみならず,学生が生活するキャンパスも問題の対象にした問題発見・解決型のキャンパスになったのです。クリエイティヴな技術は,どのように問題を見つけ出すかということだと思います。その問題を解決し,コンテンツとして実現する制作技術が開発されて,はじめて工学としての意味をもちます。人によって,人間の意志・感情の表現のしかた,あるいはその結果を情報として伝達する方法は異なります。また,いつでも同じ美意識や価値観をもった人同士がコミュニケーションするわけでもありません。そのような意味で,人間が創造するコンテンツは多様と考えるべきでしょう。でも究極の課題は,いかに高度な芸術的な印象を与え,感動を喚起するコンテンツを創造するかです。コンテンツ工学は,通常の工学と違って,普遍的な原理・原則だけで規定することはできません。

 人間の個の領域まで踏み込んだ考察も必要と思います。新しいことは急には実現しない。ステップ・バイ・ステップの積み重ねで実現するんです。だから現在に甘んじることなく,人間にとって望ましい,いろいろな意味で楽しいコンテンツをどうやって作りあげていくのかということを探らないといけないと思います。だから現状をわきまえて自分は今どこにいるのだろうかということをきちっと把握して,それで未来へ向かって進む必要があると思います。たいへん楽しみな分野です。

出典:金子満著『映像コンテンツの作り方』ボーンデジタル刊(2006年)から抜粋/編集。

[資料B]

 メディア学の浜野保樹東大教授が,コンテンツ制作とコンテンツビジネスについて論じた資料。

 グラハム・ベルは,自分が発明した電話の偉大さを賞賛されると,こういうのが常だった。

 そうかもしれないが,いかにこの機械が立派でも,人間の言葉をシェイクスピアやホーマーのようにあんなに遠くまで伝えることはできなかった。

 この言葉ほど,内容(content)と形式(form)の違いをうまく言い表わしている言葉はない。内容を誰かに伝えるためには,形あるものにしなければならず,そのために形式を与える。絵画で表現するのか,小説なのか音楽やダンスで表現するのか。芸術の分野では,「内容が形式を決定する」というようないい方で,内容と形式は対の言葉として使われてきた。

 メディア(media)という用語はきわめて広範で曖昧な言葉である。たとえばテレビ,ラジオをメディアというし,ジャーナリズムを総称してメディアといい,CDやDVDなどの記憶媒体もメディアという。もちろん電話のような伝達媒体もメディアという。そのため,内容と対比させる場合には,伝達技術をフォームということもないわけではない。抽象的で広範なものを指す言葉が必要なくらい,メディアによる環境ができあがっているという証拠でもある。

 コンピュータが内容を作ったり加工する中心的な手段となってから,コンピュータの専門家が特定のハードウエアの意味で使っていたプラットフォーム(platform)という言葉のほうが,フォームよりもよく使用されている。映像,音声,文字がアナログ形式で表現されていたときは,表現形式ごとにプラットフォームを必要とした。そのため映像にはフィルムやテレビ放送,音楽にはレコードやラジオ放送,文字には紙といった特定のプラットフォームが存在していた。制作と流通の方法もプラットフォームに規定され,高価な機材を要した大きなスタジオを必要とし,プラットフォームごとに装置産業化した業界ができあがり,そのことが参入障壁となっていた。

しかし1980年代に入り,音楽制作にコンピュータがいち早く導入されデスクトップ音楽(DeskTopMusic:DTM)が可能となり,印刷物はデスクトップ出版(DeskTopPublishing:DTP),映像はデスクトップビデオ(DeskTopVideo:DTV)といったように,制作工程はディジタル(digital)化によってしだいにダウンサイジング(downsizing)されていった。

 すべての表現形式がディジタルデータとして一元的に処理できるようになると,これまで表現形式ごとに成立していた産業の枠組みが溶解することになり,装置産業のくびきから解き放たれつつある。ニコラス・ネグロポンテは,情報産業の融合を早くから予言し,ディジタル技術によってメディア産業が融合する現象をディジタルコンヴァージェンス(digitalconvergence)と呼ぶ。

 さらにコンピュータのダウンサイジングによってパーソナルコンピュータで行うことが可能になった。1980年代半ばには,文字だけでなく,図像,音声,映像などの表現形式を一元的にとり扱うマルチメディア(multimedia)という概念に注目が集まるようになった。1990年代に入り,ディジタルデータとして制作された情報を提示できるパーソナルコンピュータの普及と,大容量データを記録できるCD-ROMなどの記憶媒体の普及によって,制作での利用にとどまらずディジタルデータの作品を家庭でも受容できる体制が整った。

 ディジタル技術によって制作システムがどのような表現形式でも似通ったものになり,これまで巨大な投資額が他からの参入を防いでいたが,障壁が低くなっていった。そのため,表現形式を問わずに横断的に作品の内容について議論できるようになり,内容や中身という意味のコンテントという言葉を利用するようになった。

 わが国では,コンテント(content)よりも,コンテントの複数形であるコンテンツ(contents)のほうを使うことが多い。メディア(media)の単数形ミデイアム(medium)でなくメディアが定着したのと同様である。中身としてのコンテント,それに形を与えるプラットフォーム,そしてそれを送る流通。その三つを,コンテントにかかわる業界では「メディアの三要素」と呼ぶことがある。この場合のメディアとは,伝達システムといったものを漠然と指している。

 メディアの三要素の区分は,コンテント業界でいわれ続けてきた「コンテントは王様」という主張を形にしたものである。プラットフォームや流通はあくまでもコンテントの手段であり、技術の陳腐化は早いが、技術に魂を吹き込むのはコンテントであって、優れたコンテントさえ持っている者は勝ち残れるといわれた。

 しかし流通業界からは反論も出ている。コンテントは王様だが、インターネットの王様であるコンテントは商用エンターテイメント(entertainment)やニュースのようなものでなく、電子メイルのようなユーザ間のコミュニケーションではないかというのである。

 コンテントビジネスは一つの優れた作品さえ出れば換回できるというがこれにも疑問がある。たしかに一面では正しいが、また大きな過ちを犯す原因ともなる。「スターウォーズ」は家族で見る映画の新しい市場を開拓したため、似たような映画がスクリーンに池濫した。その間にビデオゲイムが子どもたちの自由時間の使い方を変えてしまった。一つのヒット作が事態を急変させることもあるが、プラットフォームたるメディアが老いることも事実だ。

 作者とコンテント作品の関係は各時代の制度によって変化してきたが現在では作者と作品は不可分な関係にあって、作者が名乗っているものが作品であるといってもいいくらいだ。そうなったのは三つの理由による。

 一つは、社会的な要請として、コンテント作品についての所在を明確にすることを求められているからだ。自由に表現することが認められているかわりに、作者名を明示して作品の責任も負わなければならない。署名のない優れた表現も数多く存在するが、詠み人知らずの作品では、責任は逃れられるかもしれないが、権利を特定できないため、報酬も受けとることはできない。

 二つ目は、作るうえでの要請だ。コンテント作品は、工場のアセンブリーラインのように品質管理ができない。人間だけで創造していくものであるため、いくらでも手抜きが可能だ。品質を向上させるものはスタッフのやる気だけである。そのため、その作品にかかわった人間の名前を明示し質を担保する。

 第三に、コンテント作品にかかわったことを明示することは、著作者としての権利情報でもあるからだ。作品が生みだすものの配分はこれによって決定される。生みだすものといっても、利益だけではない。賛辞や批判も作者に配分される。

 そのためわが国では「製作」と「制作」という言葉を慎重に使い分けている。一般には,芸術作品を作るときは「制作」と書き,大量生産品などを作るときに「製作」と書く。しかし正確な意味は別として,コンテントにかかわる業界では,次のように使い分けている。「製作」は「作らせること」であり,「制作」は「作ること」である。英語でいうと製作がプロデュース(produce)で,制作がクリエイト(create)ということになる。そして制作よりも製作を使いたがる背景には,制作は権利にかかわらないことであり,製作は権利にかかわることであるからだ。

 制作と製作が分かれていることは,ビジネスの実体を反映しており,制作しても作品の権利を確保できるわけではない。映画のアカデミー賞のことを考えればわかるように,作品賞を受賞するのは監督や脚本家ではなく,製作者である。コンテント作品の権利を保有するには,制作者(クリエイター)ではなく製作者(プロデューサー)である必要がある。

出典:浜野保樹『表現のビジネス』東京大学出版会刊(2003年)から抜粋/編集。

[資料C]

 東京芸大の藤幡正樹教授と伊藤俊治教授が,先端芸術と創造性を論じた資料。

 いったい芸術に先端などあるのだろうか。もしそれが可能であれば,芸術には後端もあることになり,芸術はある長さをもったものになる。長さは時間と方向性をもったものと思われがちで,先端は新しく,後端は古いものとして一般的には解釈されることになる。

 先端とはなんだろうか。それは,時間概念にしばられた新旧という概念でもなく,運動概念から見えてくる前後という概念でもなく,重力概念から感じられる上下という概念でもない。先端性とは日常の中にごく普通にあり,あらゆるところに遍在しているのだが,それは関係性の中で相対化されない限り立ち現れてこないもの,そういった概念としてとらえてみる必要がある。言い換えると,先端とはそれが内包しているなにものかの縁のことだ。

 21世紀に入り芸術の世界も大きく様変わりしようとしている。芸術のジャンルや地理的な境界を見直そうという動きが浮上してきたし,芸術の意味や役割を洗い直そうとする方向も,近年急展開を見せ始めている。また,世界各地の芸術大学では新たな学部学科新設や再編が行われているなかで,そこに共通しているのは,物質を対象とした芸術から,形をもたない非物質の媒体を対象とした表現領域の新設である。物を対象とした造形性から,そうした新しい媒体を対象とした表現の可能性が問われている。

 芸術は、創造性によって過去と未来をつなぐ活動であり,現在残されている芸術の多くは,作品として物自身によって過去から未来へと保存されてきた。背景となる文化的な価値観が,その物自体を大切に保管してきたのだ。物を保管することで,その表面や内面に込められた技巧や完成度を通して,その背景にある文化的な価値観を保存しようとしてきたのだ。

 現在一般的に言われる美術の価値基準である「造形性」という概念にはここちよさ,整理整頓,身体との親和性,視覚的美といった基準が含まれている。これは逆に現在の文化を形づくっている背景となる価値観を反映しているのだといえる。

 これに対して,表現という言葉は,むしろ現在性に依拠した行為である。表現をすること,発信をすることは,自己主張であり,今現在生きている自分との密接な関係があって初めて始まるものである。なぜなら誰しもその時の現在を生きているのだから,残された過去の作品から読みとることのできる作られた時点における現在性を,表現という視点で捉えてみたいのだ。

 表現することは自分を知るということであると同時に,表現されたものは他者に自分を知らせる行為なのだ。作り出すものに客観性を与え,表現を通して自己を客体化していくには,どうしたらいいのか。作られたものが,誰もが共通にもっている問題として共有されることができればそれは他者にとっても意義のあるものになるだろう。その時に初めて未来を垣間見ることができるのだ。

 創造はさまざまな「動詞」の編集作業である。描く,書く,歌う,塗る彫る,織る。無数の動詞を関連づけて編みこんでゆく。それは視覚や聴覚触覚や嗅覚などまでを含んだ流動的な感覚の相互交流の上に組み立てられてゆく結合の実践なのだ。

 平凡な物言いだが,創り出すことは孤独な行為だ。保証がないから,自分で保証するしかない。他人に相談すれば、たいがいそれは逆方向を向くことになる。創造の源泉などという比較的気楽な言い方があるが、もし本当にその源泉があるとしても、それが現実化されて目に見えるものに、体験できるものにならなければ、誰もその創造的な行為を認めてくれない。しかし技術だけがあってもそれが現実化するわけではない。創り出してみせることは、それほど簡単な作業ではないし、とてもリスキーな作業である。

 創造的な行為とは、突拍子もないことをするということではなくて、むしろ当たり前の日常の中から生まれてくるはずのものだ。すでにあるものについての認識がなければ、新しいものを見分けることは不可能であるはずである。常識人であることが、常識を越えようとしないことをいうのではなく、常識の輪郭を知っている人のことを言うのであれば、常識を越えたできごとが、いかに常識を動かしていくかを知っていることになるだろう。創造的であるためには、常識人である必要があるのだ。その上で常識世界の外部を知る方法をもっている必要があるだろう。

出典:東京芸術大学先端芸術表現科編「先端芸術宣言(!)」岩波書店刊(2003年)から抜粋/編集。

問題2 

 あなたは、ちいさいこども(3~10歳くらい)を対象にした、「こどもの歌」の2~3分の映像コンテンツを制作あるいは製作することになりました。こどもの歌に合わせて、背景画面にアニメまたは実写映像を流す形のコンテンツです。たとえばテレビのこども番組に出てくるものを想定してください。

 このとき、制作者あるいは製作者の立場から、具体的な事例を考えて、そのための企画案を作成して、解答用紙に600字以内で記述してください。たとえば、「どんぐりころころ」や「あわてんぼうのサンタクロース」などのように、特定の曲をとりあげてもいいですし、「卒園式の歌」や「お誕生日の歌」などのように、緩やかなくくりを対象にした企画案を作成しても結構です。企画案には次の事項を含めてください。(1)短めのタイトル、(2)企画したコンテンツの意図、(3)あなたの企画案を誰に読んでもらうつもりで書いたか,(4)企画の具体的な内容。

 解答用紙「うら」面を使用して,文章は横書きで記述してください。必要に応じて,200字相当分以内について,解答用紙にたとえば20×10や15×12のような領域を区切って,その領域内で図を併用してもかまいません。図を使用するかしないかは,あなたが自由に選べます。

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