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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 環境情報学部 小論文 2008年 過去問

2008年 慶應義塾大学 環境情報学部 小論文 課題文

 

 最初からびっくりしたと思いますが,資料1の50の研究テーマは2007年度にSFCで開かれている研究会のタイトルの一部です。ではさっそくここで問題です。

 まず,これら50のテーマについて,あなたの想像力をいかして,好きなように分類してみてください。その際,1つの類型には5以上でかつ10以下のテーマが含まれるように,かつ,類型の数が全体で5以上でかつ10以下になるように分類してください。そして分類ができたら,解答用紙(問題1-1)に,それぞれの類型に簡単な名称をつけ,それに属するテーマの番号をすべて記入してください。テーマ番号は1回のみ使用してください。

 ※解答用紙に,1つの類型の例を示します。これはあくまでも例ですから,このような硬い分類名をつける必要はありません。また,この類型を,あなたの分類の1つの類型として活用してもかまいません。その場合,名称が気に入らなければ修正してもかまいません。もちろん,この例を無視して,50のテーマすべてについてあなたの好きなように分類することは非常にすばらしいことです。なお,この類型例を活用する場合は,この番号を,あなたの分類の最後の類型として,その番号を()に記入してください。

つぎに,あなたの分類はどのような意図でなされたかについて,想像力の背後にある論理を探って,解答用紙(問題1-2)に記述してください。なお,これについては,すべての類型の位置と関係を図で示して,それを簡単に説明してください。さらに,あなたの分類のなかで,どの類型について一番研究してみたいかを,ここで宣言してください。その類型の番号を解答用紙(問題1-3)に記入してください。以上が問題1です。

資料3

逆風に向かって飛べ

慶應義塾大学教授竹中平蔵

■1951年、和歌山市内で履物店を営む両親の次男として生まれた。男ばかりの3人兄弟だった。

 父は近所でも評判の働き者でした。小さな店ですが、朝は近所で一番早く店を開けて、夜は一番遅くまで。コツコツ働いておべんちやらも言わない、職人気質の商売人でした。

 両親は本当に一生懸命、働いた。こんなに働いているのだから、もっと豊かになれるはずじやないかと思っていました。どうしてもっと豊かになれないのかと。

■高校は県内随一の進学校、県立桐薩高校へ進んだ。

 倫理社会を習った北内先生が宿直の日の夜9時ごろ、部屋へ押しかけるのです。おかきとコーラを持参でね。「どうしたら世の中はよくなるんですか」などと色々聞きました。北内先生で忘れられないことは「大学に行ける者は行けない者の分まで勉強しろ」と言われたことです。学業はできたけれど、経済的な事情で大学へ進学できない友人もいました。この言葉は肝に銘じました。

■1969年、一橋大学経済学部に合格し勇んで入学したものの、世間は学生運動で騒然として授業も始まらなかった。

 3年生になって国際経済の山村逸平先生のゼミに参加したころでした。日本経済が激震に見舞われ、1ドル=360円で固定している為替相場がみるみる変動していく。いったい何なんだ、と。

 世の中が大きく動く時に、それを素材にしながら勉強したいと思いました。経済学という学問が現実に結びついているんだ、という手応えが新鮮でした。

 大学院へ進みたいと思ったこともありました。ただ、経済的な理由もあって、もう就職しなくてはいけないなという方向に傾きました。公的な仕事にかかわりたいという希望があった反面、官僚にだけはなるまいと決めていました。官僚は体制そのものだから嫌いだったんです。

■1981年,ハーバード大学の客員研究員として渡米した。自称「関西の田舎者」が米国と出会う。行って,1カ月後,英語も十分に通じなくて不安な時に,ボストン・マラソンで瀬古利彦選手が初優勝したんです。応援に行って,日の丸のゼッケンが見えた時には鳥肌が立ちました。ゴール間近で皆が大声で応援するんです。本国人も日本人も関係ない。「youcandoit!」。「頑張れ|「ゃればできる」という英語。そこで初めて知った。米国で学んだことの1つはこのエンカレッジ(勇気づける)精神です。

 アメリカって大変な社会だなと思いました。エイベル教授のような若い学者からすごい理論が生まれてくるダイナミズムと,高速道路に穴が開いている現実と。これがアメリカなんだ,ど

■翌年,帰国すると,開銀から大蔵省が設置した財政金融研究室に主任研究官として出向を命じられた。

 役所に行ってみたら,面白いと感じた。実はハーバードと似ていた。それは強い組織は良い意味でエクスクルーシブ,排他的だということです。

 これは外部から見ると鼻持ちならないわけですが,内側に入った人間にはとても親切,大切にするということでもある。

■大蔵省から大阪大学助教授を経て1989年,ハーバード大学准教授として再渡米を果たす。帰国後は慶應義塾大学総合政策学部に籍を置いた。現実の政策決定を意識し続けた研究生活が入閣後に実を結ぶ。

 私は官僚は偉いと思っているし,嫌いでもない。よく働いていると評価もします。ただ,官僚には独特の行動方程式があります。省益が絡んだり,権限を侵されると人格が変わる。過去の政策の非は認めない。その束縛から解放してあげるのが政治の役割です。

 大臣直結のチームで改革案を練って秘密主義だなどといわれましたが全部を官僚と一緒に考えて官僚が納得できる形でやったら大胆な改革などできなかった。大臣が過去の間違いは認めさせ,責任はご破算にして「これでやれ」と言えば,官僚は新政策に没頭できるのです。

■竹中氏が進めた改革には「市場原理主義」「格差拡大」など批判もつきまとう。

 私がやったのは世界の経済の常識から見て当たり前のことです。例えば金融機関の不良債権はしっかりルールをつくって処理しましょうと。あれなど「市場原理主義」どころかすべてのルールの強化じゃないですか。

 昨年,サッカーのワールドカップで日本代表が敗退した時,新聞の見出しは「これが世界だ」でした。グローバリゼーションやIT(情報技術)革命で世界のフロンティアでの競争は激化していて,格差も世界的に広がっている。

 そこで戦わないと日本は豊かになれません。まず皆にフロンティアへの挑戦の機会を与えないと始まらないから,規制緩和も必要です。失敗した人の再挑戦システムやセーフティネットも構造改革の中身なんです。構造改革をするから格差が広がる,は間違いです。

出典:日本経済新聞(2007/4/23~5/2)

 ここで2つの資料(資料2と3)をもとに作成した,つぎの2つの質問から,かなり強引ですがあなたのポジション(あなたがどのような人なのか)を確定してください。

1)資料2の女の子は,あなたに似ていますか。

1.にている2.にてない

2)資料3の竹中平蔵さんのような考え方に,どこか共感しますか。

1.共感する2.共感しない

 この2つの質問から,あなたのポジションがどれかを,解答用紙(問題2-1)の図中の番号(I,I,Ⅲ,IV)に○をつけてください。

 つぎに,この番号のポジションで示した「自分(A)」とはどのような自分なのかを,解答用紙(問題2-2)に,より具体的に描写してください。

 さらに,あなた以外の3つのポジション(B,C,D)についても「自分」との関連性を意識して,どのような人なのかを,より具体的にかつ簡潔に描写してください。以上が問題2です。なお,ポジション(A,B,C,D)の記号の説明は下記を読んでください。

※ここであなたを含め,4人の仲間ができました。そこでこの4人それぞれの資源(ポイント:なにかを達成するためのパワー)を確定します。あなたが選択した2つの質問について,資料2について,あなたが選択した方を2ポイント,選択しなかった方を1ポイントとします。次に,資料3についてあなたが選択した方を3ポイント,選択しなかった方を1ポイントとします。そして,この2つの質問ポイントを足すことで,その人の資源とします。あなたは,下図に示すように,あなたが選んだポジションについては,当然,5ポイント(A)であなたと対極のポジションの人は2ポイント(D)です。そこであなたは5ポイントで,この4人のなかでは,一番高い資源を獲得しているので,4人の中でリーダーとかファシリテータとか支援者といった,4人のチームになんらかの影響力をもつことになります。以上から,下図のように,各人の得点表が作成されます。

 さて問題3です。

 ここでは問題1で選択した類型の研究について,より具体的なテーマを設定して,あなた(A)と仲間の3人(B,C,D)と一緒に自主的な研究プロジェクトを開催してもらいます。

 その場合、まず、どのような研究プロジェクトにするかを考える前提として、次の3つの資料(資料4、5、6)を読んでください。これらの資料から、どのようなチーム、どのような思考方法、さらにはどのような知識のあり方を、プロジェクト実施にあたって導入すべきかについて、それぞれの資料ごとに、簡潔にまとめて、解答用紙(問題3ー1、3ー2、3ー3)に記述してください。なお、これらの点を考える場合、3つの資料の主張を批判したり、補完したコンセプトを提案してかまいません。あなたが実施するプロジェクトにふさわしい主張を、これらの資料との関連で考えてください。

 つぎに、上記の選択した方向に向かって研究プロジェクトを計画する際,あなたはどのようなルールに基づいて他の3人の仲間と関係すればいいかを確定してください。そのルールについては、つぎの4つの中から、あなたにふさわしいルールを選択して、そのルール名の番号(①から④)を解答用紙(問題3ー4)に記入してください。ルールとは、つぎの4つです。

①権力ルール:あなたが強いリーダー(支配者)となって、みんなを自分の理想に従わせることで研究テーマの達成に励む、というルール

②満足ルール:個々人の満足を優先して、全体の統合にはあまり関心がなく、緩やかなまとまりの中で、各人の満足の総和こそが研究テーマの達成だ、というルール

③合理ルール:個々人の役割分担を明確にして、全体としての目的達成を重視して、あなたのリーダーシップのもとで、みんなを引っ張る、というルール

④協働ルール:状況に応じて、各人が他者との間での多様な役割を担いながら、各自が自律的に判断することで、全体の目的達成に努力し貢献する、というルール

 さらに、この4つのルールについて、つぎのような演算方法を提案します。あなたが選択したルールは、下記のうちどれがもっとも適当であると思いますか。その場合、その演算の値はいくつになりますか。適当と思われる番号(あ>~お>)と演算の値(前ページの得点表を参照)を、解答用紙(問題3ー5-1、3-5-2)に記入してください。もちろん、提案した以外のオリジナルの演算方法を提案してもかまいません。

 なお,演算の値は,各ルールに基づいて,4人の資源の活用から達成されたチームの成果の一つの指標です。なのであなたの演算の値が他の方法と比較して小さいからといってなんら問題はありません。出題者は,こんなふうに考えてみたというだけのことです。

やっと準備が整いました。以上の条件をもとに,あなたが期待する自主

的な研究プロジェクトをたちあげましょう。そのアイディアを解答用紙(問題4)に自由に記述してください。これが

最後の問題4です。

(資料4)

 昨年8月の船出から数えて8試合目。横浜市の日産スタジアムで3月24日に行われたペルーとの親善試合で,jサッカーの日本代表は新たな段階に入った。イビチャ・オシム監督になって初めて海外組が招集され中村俊輔(セルティック)は2アシスト,高原直泰(フランクフルト)は1得点をマークした。国内組と海外組の融合に着手しつつ2ー0で勝ちそれなりに収穫を得たと思われた試合で,オシム監督は何を感じていたのか。

 試合直後のオシム監督の評言は予想以上に厳しかった。「魚でも肉でもなかった」。通訳の千田善氏によれば監督は「魚でも肉でもない選手」などと評することがあり,要は「これといった特徴がない」という比喩らしい。本当にオシム監督には,そんなに味気ない試合だったのか?

 「そんなつもりはなかったよ。悪い試合だったと思えばもっとはっきり『悪かった」と言うからね。ただ,会見場に入った時,記者の皆さんに満足しているような雰囲気があったので」勝利の後こそ厳しく,は監督業のイロハのイということか。

 オシム監督が何かに不満を感じていたのは確かである。改めて尋ねると「(君たちは海外組が)たったの2人というけれど,その2人を注入するだけでも簡単な作業ではない」とぼそり。中村俊と高原の影響力が,特に試合の立ち上がりにおいて,監督が望んだものと違う方向に及んだことも残念らしい。

 「私があの2人に望んでいることは,ミスのないプレーを心がけて,ということではない。そんなことをすればするほど彼らのクオリティーは落ちてしまうだろう。ミスを恐れてばかりなら彼らに価値はなく,代表にいる必要もない」

「彼らが担うべき役割とは国内組を手助けすること。より具体的にいえば,周りの選手が思いきってリスクを冒せるようなサポートをしてほしいということだった」

 実際の試合はどうだったのか。オシム監督に言わせれば,良くも悪くも中村俊も高原も「リスクをゼロに近づけ,ミスを排除する」欧州サッカー最先端の流儀を身につけていたという。

 一方,久しぶりの代表戦でナーバスになった部分も2人にはあった。自分たちにメディアやサポーターがどんなに期待し裏切ればどんなリアクションがあるか。人事権を握る新監督への敬意は恐怖と裏腹でもある。「そうしたことをすべて引き受けた上でクレバーな彼らは,まずはミスをしないことを最優先させた。それは彼らが普通の人間であることの証しではあるが」

 強行日程のペルーも立ち上がりは元気だった。寄せは鋭く,日本は有効な攻めを組み立てられない。ミスをしないように怖がってプレーすると余計にミスをするのがサッカー。そんな海外組に同調したのが中沢佐二(横浜M)だったと,オシム監督は分析する。

「リスクを測定するのも一種の経験のなせる技で,どんなリスクをどれだけ冒すか,ベテランほどすぐに計算できてしまう。そしておおむねベテランとはリスクを冒さない方向にシフトするものだ。経験のある彼らがテンポを落としプレーしたことで周りの選手も,そちらになびいてしまった。日本の方も日程がタイトで疲れていた事情はあったにせよ,リスクを冒し走ることを選手がしなくなってしまった」

 監督が望む,果敢に前に出るサッカーが展開されたのは終盤に水野晃樹(千葉)ら若手3選手が投入されてからだったという。「それは後から入った若手の方が良い選手だという意味では全くないが」。強調したいのはノーマルに,シンプルにプレーすることがサッカーでどんなに難しいかということである。

 サッカーを語る上で「リスクを冒せ」という言葉はこの監督の口から何度も出てくる。自分の枠から勇気を持って踏み出す決断や行動,そこから醸し出されるダイナミズムこそがサッカーの魅力だと思うからだ。

 しかし,監督は無謀を奨励しているわけではない。やみくもに攻め続けるだけでは守る側にも免疫ができてしまう。相手を油断させ,虚を突く意外性が必要になる。そこでいつ,どこでどんな種類のリスクを冒すべきなのか,逆にどんな種類のリスクを減らすべきなのかというトータルなマネジメント能力が問われることになる。それをつかむことが選手にとって一番大事だと。

 「矛盾した表現になるが,コントロールされたリスクの冒し方とでもいうか。99%危険な状況になっても,残り1%の在りかに気づくことで危機を回避できるのがサッカー。それ以上は危ないと知らせるランプが頭にあればそこまではリスクを冒すこともできる」

 それは一種の見切りの能力かもしれない。「選手によって足の速さもスキルも個性も違う。そういう特徴をつかまえた上で自分なら,彼なら,どこまでリスクを冒しても大丈夫なのかを瞬時にはじき出す」。そうやって仲間を冒険に駆り立てる役目を,中村俊らゲームの洞察に優れた選手には期待してしまうのだ。

 オシム監督がリスクに対する感度を磨けというのは,サッカーが時代とともに変わったこととも関係がありそうだ。DFが奪ったボールは司令塔と呼ばれる中盤の名手に届けられ,そこから必殺のラストパスが前線に供給されて事足りた時代があった。

 今は1人の司令塔に依存することは「ここをつぶして」と敵に告知するようなもの。

 それ自体がリスキーであり,全員が有機的に攻め,守るサッカーへと様変わりした。それに合わせて責任とリスクも分散された。

 リスクに対する感度や許容量には個人差がありポジションでも違いはある。しかし,一つでも穴を作るとそこを徹底的に突かれる以上,「5人は攻めろ,残りの5人でバランスを取れ,という分業は通用しない。チーム全員にリスクを冒しつつバランスも取れる判断力がないとだめだ」とオシム監督は主張する。

 厄介なのはリスクに対するセンサーはトレーニングだけで身につくとは言い切れないことだ。例えばゴール前にクロスが来た。DFとしては胸や頭でGKにバックパスしてもいい。やみくもにクリアしてボールを拾われたり,ゴールラインに逃げてCKにするよりは。しかし,敵のFWが近くにいれば何が最善手かはころりと変わる。そういう状況を練習の中で何度も用意し,強制的に判断する機会を作って感度を上げていくことはできるがフイーリングとしかいえない部分も最後には残る。

日本経済新聞(2007/3/30)より抜粋

(資料5)

デザイン思考の道具箱一イノベーションを生む会社のつくり方

 21世紀のモノの非常に代表的でわかりやすい例として,iPodがあげられる。最近になってようやくiPodがiTunesというソフトウェアとiTMSというコンテンツ流通のしくみが組み合わさって,iPodという大きい産業を形成していると皆が理解するようになった。しかしiPodが登場したときのことを思い出してほしい。

 最初のiPodはマッキントッシュ専用のデジタル音楽プレイヤーとして2001年に発売された。その当時,もうすでにRioのようなMP3の携帯端末プレイヤーは存在していて2万円程度で買うことができた。そこにiPodが非常に高い値段で登場してきた。みな同じMP3プレイヤーなのにiPodだけがあんなに高いのはデザインのせいだと言う人も多かった。(中略)

 音楽CDをMP3プレイヤーに入れて持ち歩くためにはCDをコンピュータのハードディスクに取り込み,MP3ファイルに交換し(これを「リッピング」と呼ぶ)変換したファイルをコンピュータでMP3プレイヤーに転送する手続きが必要だ。当時市場に出回っていたMP3プレイヤーではユーザーがこれらの手続きを手作業でしなければならなかった。(中略)

 しかしiPodは他のMP3プレイヤーと違い、単に音楽を聴くための端末ではなかった。その違いはCDをリッピングするという行為に現れていた。iPodは自分のコレクションのCDをリッピングしてiTunesの中で整理して整理したものをiPodに移して聴くというしくみをとっていた。iPodのコンセプトは「ユーザーのすべての音楽コレクシヨンを持ち運ぶ」携帯プレイヤーというものだった。iPodは初代のモデルでも5ギガバイトのハードディスクドライブで,約1000曲を取り込むことが可能だった。その当時出回っていたMP3プレイヤーのデータ容量は限られていてせいぜい数十曲しか入らなかったのだから,画期的なことだった。評論家は値段を酷評したけど,iPodはすぐにヒットした。

 iPodを21世紀のモノづくりの代表例とするならば20世紀後半のものづくりの代表はウォークマンだろう。1979年に登場したソニーのウオークマンのコンセプトは「家にあるHiFiのステレオの音を野外に持ち出そう」というものだった。当時の携帯できるカセットテープレコーダーの音質はあまり良くなく,家庭においてあるHiFiの音質にはほど遠いものだった。そのときに,HiFiの音質で,ヘッドフォンで音を聴きながら街を歩くことを可能にするウォークマンは人びとに革命的な経験を与えた。25年前のことである。ハイクオリティの音を聴きながら街を歩くことによって世界の風景が変わったのだ。

 したがって,ソニーの開発者からすると,発売当時さほど音質が良いわけではないiPodで音楽を聴くということがたいして素晴らしいことには思えなかったかもしれない。しかしiPodはHiFiのステレオで音楽を提供するという経験を提供するための道具ではなかった。ここにデザイン主導イノベーションの決定的な特徴がある。

 ウォークマンよりも後に登場したCDの技術によってさまざまな音楽がCDで提供され,人びとが音楽を大量にコレクションするようになった。大量にコレクションしたCDは,ある意味では処理に困ると同時に,LPレコードのような希少価値はない。皆がたくさんの音楽のコレクションを持っていて記憶の中ではあの音楽を聴きたいこの音楽を聴きたいとさまざまな欲求があったとしてもそれを聴くためには家に居て自分のコレクションの前に座ってCDを聴かなければならなかった。

 非常に簡便な装置で大量の音楽を持ち歩けるMP3プレイヤーと,自分のコレクションを整理するPCのソフトウェアを組み合わせたところにiPodの凄さがある。iPodはコレクションを持ち歩くという経験を利用者に提供するために,iTunesというソフトウェアとiPodを連携させてiTunesのソフトウェアをもっとも使いやすい形でホイール型のインターフェイスを提供した。(中略)

 またMP3に変換されたデータも,それなりに流通し始めていた。音楽好きの一般ユーザーがナップスターというP2P(不特定多数の個人間で直接情報のやりとりをするインターネットの利用形態)のソフトウェアを使って,CDをリッピングしてMP3に変換したデータを交換し始めていた。

 著作権を無視したファイル交換が日常的におこなわれることでナップスター社は全米レコード工業会などに訴えられて敗れたもののこのナップスターが音楽データをリッピングするというカルチャーを普及させるトリガーになったとも言える。iPodが発売されたのは,リッピングのカルチャーが普及しつつある良い時期だったのだ。

 ハードウェアもソフトウェアもMP3データもひとつひとつを取ればすでにあった技術だしそれなりに認知されてもいたが,バラバラに存在していたため,さほど普及していなかった。iPodはこれらをすべて組み合わせたひとつのパッケージにしてしまったところが素晴らしいのである。

 アップルはiPodを比較的高い値段で発売すると同時に,そこからの収益をiTunesのヴァージョンアップに投資していった。普通,ソフトウェアは価格が安く,それだけを売る場合は利益が出ない。ハードウェアの利益をつぎ込んだiTunesは進化を続け,使いよさと性能が向上し,iPodのインターフェイスの使いやすさから提供される経験の豊かさはほかのMP3プレイヤーでは太刀打ちできないものになっていった。

出典:奥出直人(2007)『デザイン思考の道具箱』(早川書房)(資料6)

資料6

フューチャリスト宣言

梅田望夫(U)

茂木健一郎(M)

M:ウィキペディア(不特定多数の人々がネット上でつくる世界最大の百科事典)に対してはどうですか。じつは僕はウィキペディアのヘビー・ユーザーです。携帯電話からネットにアクセスして英語版のウィキペディアを回遊するのが趣味なくらいですから。

U:ウィキペディアに対しては「誰がどんな資格でこれを書いているのか。有象無象が書いた,誰でも変更できるもので,権威ある人と匿名で無名の人が書くものに区別がない。こんないい加減なものは存在すべきではない。皆がそれに依存するようになるのは由々しき問題だから普及すべきではない」という拒否反応がある。(中略)

M:日本では,インターネットは巨大掲示板「2ちゃんねる」などにみられるように,サブカルチャーのイメージが強い。それに対して,欧米ではウィキペディアが典型ですが非常にパブリックな機能を果たしていますよね。ウィキペディアが日本から出てこなかったのはなぜなのかとよく考えま

U:日本でも若い世代からはウィキペディアのような公共的なものがいずれ出てくる可能性があると思います。インターネット,それからリナックスのような「オープンソース」に若いときに触れた人は,その影響を強く受けます。インターネットの成り立ちのところに,利他性というかボランティア精神的なものがかかわっている。インターネツトという素晴らしいものが毎日動いている裏には,いろんな人のただ働きがある,無償の奉仕をしている人がいる。(中略)

M:僕も,まさに公共性と利他性こそがインターネットの特質でなければならないと思います。僕は自分のブログに自分の講演会の音声ファイルなどを公開していますがむろん聴いてくれる人からお金をとる気はない。いろいろな情報はシェアされるべきだと思う。そうしてインターネット上に「知」が集積してくることは,とても大事なことです。インターネット以前の知の世界は,サークル的というか情報の囲い込みの世界ですよね。記者クラブなどが典型です。そういう段階からオープンアクセスの方向へあるいはクリエイティブ・コモンズ(より自由な著作権ルールをめざすライセンス活動)やオープンソースのほうにあえて足を踏み出したのは,人類の歴史上,かなり画期的なことだと思いますよ。(中略)

M:ユーチューブの動画の画質はたいして良いものだとは言えませんが、じつはユーチューブ的なものはインタラクテイブだということにポイントがある。グーグルももちろんそうですが,脳の持ち能動的な性質にかなった魅力があります。もしューチューブのあの画面を受け身でずっと見せられたとしたら苦痛だと思う。でも能動的に,例えば「いかりや長介」とか「ジョン・スチュワート」だとか,自分の好きなものを検索して見るのであれば全然苦痛ではない。そこに,ユーチューブの発明があります。(中略)

M:将来の課題としては,動画にどんなタグをつけるかが非常に深刻でもあり,おもしろい問題でもあります。いまはユーザーが勝手にタグをつけているんですよね。

U:そこがウェブ2.0。あれがある種の発明で要するに不特定多数の人たちが勝手にタグをつけることができるという仕組みは,短いプログラムで書けるわけですがそれを作った瞬間にワーッとタグがついた。タグは分類学,図書館情報学に沿ってつけなければいけないという常識をひっくり返した。タグなんていうものは専門家しかつけられないと思うんじゃなくて,誰でもいいから思いついたらタグをつけてくれと言うと,いろいろなタグがそれらしいタグを中心に分布する。その全体でなんとなく正しいタグがついたと考えよう,ほとんどコストなんかかけずにねと。

M:最初に僕がそのような仕組みを経験したのはiTunesですね。iTunesはディスクを入れたときに,未登録のアーティストだと自分で名前を入れるでしよう。

U:いまだと,すでにデータが登録されているものが大半だからほとんどの人がデータをそういうふうにユーザーが入力できるのを知らないと思う。

M:僕はレアな楽曲を聴く機会が多いからかもしれませんが何回も自分で入れていますよ。

U:いまは,ごく普通のCDを買ってきてインポートすると,データベースにもうすでに情報が入っています。僕も小林秀雄の講演のCDを買ってiTunesに入れましたがあれもロングテールだろうけどすでに入っていた。Mさんはかなりのロングテールなんですね。iTunesでもユーチューブでもウィキペディアにしても何にしても不特定多数の人が自由に制約なく思ったことを書く,あるいはタグをつける。そうすると間違いが入る可能性もあるけど、直ることもある。

M:ウィキペディアの正確度を科学雑誌の「ネイチャー」が調べたら、ブリタニカ百科事典を上回ったという報道があって、ブリタニカ側が抗議したそうですね。U:権威だと思われている人にも間違いが入り込む余地は当然たくさんありますという発想ですね。ウィズダム・オブ・クラウズだってもちろん間違いが入るけれど、間違える程度だって同じじやないの、というのがコペルニクス的転回というか。出典:梅田望夫・茂木健一郎(2007)『フューチャリスト宣言」(ちくま新書)

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