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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学SFC 環境情報学部 小論文 2000年 過去問

2000年 慶應義塾大学 環境情報学部 小論文 課題文

問題 アメリカ合衆国には,宗教上の理由から,自動車,電気,電話。テレビなどの使用を制限し,ほぼ300年前の暮らし方を続けている,アーミッシュと呼ばれる人々がいます。彼らの生活は,エネルギー消費が少なく,過度な情報に振り回されることなく,家族が強い絆で結ばれており,私たちに科学技術の進歩の意味を問いかけています。

 資料1はアメリカ合衆国ペンシルバニア州出身の実業家が自分の生まれ故郷のアーミッシュを郷惣をもって紹介している本からの抜粋。資料2は日本人のジャーナリストによるルポルタージュからの抜粋です。資料3一1と3一2はアーミッシュの生活の一部を示す日本人の写真家による写真(編集の都合上,省略)です。

 これらの資料を参考に,アーミッシュの人々の生活を一つのモデルとして,君たちの生活と具体的に比較する事によって。20世紀の近代科学技術の発展が現代の生活に与えた影響のプラス面とマイナス面の両面についてそれぞれ考察した上で,21世紀の科学技術の発展と暮らしのあり方についての意見を記述しなさい。解答欄は1000字ありますので。その中に必ず科学技術の発展が与える影響のプラス面,マイナス面,そして21世紀の科学技術の発展と暮らしのあり方の3項目がわかるように,記述しなさい。

資料1 アーミッシュの人々

 アーミッシュ宗派の人々は,その独特で飾りけのない服装や,昔ながらの手作りの生活様式が目立つことから。よく話題になります。

 馬車をあやつる車上の人,畑仕事を手伝う子供たち。木陰でびん詰め作りをする女性たちの姿,すべてが映画のシーンを見ているようです。

 現在,アーミッシュの人口は全米22州にわたり約10万人。そのうちの75%がオハイオ州,インディアナ州,そして,ペンシルバニア州に集中しているといわれます(注1)。

 アーミッシュは、無地のブラウスまたはシャツに、男の人は黒っぽいズボン、女の人は丈の長い無地の服を着て、髪もきちんと束ねているのですぐに見分けることができます。彼らは、自動車には乗らず、一頭立ての四輪馬車(バギー)を唯一の交通手段としています(注2)。田畑は耕作機を馬に引かせ、すきやくわを使って耕すといったやり方で、電気機械に頼ることはありません。テレビ、ラジオはもちろんのこと。電気。電話。水道なども彼らの家にはありません。そのため。家の周りには電線や電柱がなく、彼らの家は独特な形をした風車が目印となり、簡単に見つけることができます。水は井戸から汲みあげ、風車や水車の動力を利用するのが一般的です。部屋の明かりは灯油のランプやロウソク。そして調理、暖房には新のストーブを使い。冷蔵庫は灯油か天然ガスで作動させるといった具合に、彼らにとって必要のない文明の利器は使わずに生きているのです。

 「なぜ、そうした生き方をするのか」との問いに、アーミッシュの友人。ヨーダーさんがこう答えてくれました。

 「電気や水道を引かないのは、政府の公益事業の世話にはなりたくないからサ。文明の利器は使えば楽だし、時間の節約にはなるけど、何もそんなに急ぐ必要はないんだよ。田畑の仕事だって馬を使って作業するのは大変だけど、そのほうが自然に親しみながら、ゆっくりできていいんだ。とにかく、我々は世の中の渦に巻き込まれずに、“質素(plain)に”、キリストがそう生きたように、生きたいだけなのサ。難しいけどね」

 聖書の教えのもと、厳しい戒律に従って生きるアーミッシュですが、そこには、家族の強い絆があり。相互扶助の精神によるコミュニティーの強い結束があります。

 自然を身近に感じることのできる農業を生業とすることを彼らは好んでいます。ハードワークはむしろ彼らの信条で、家族の協力なしではできない、手間ひまのかかるやり方で暮らしています。

 純粋に神を見つめ、聖書の教えに従って生きようとすると、どうしても世俗的な社会から。「分離」を目指すことになります。「分離」といっても。アーミッシュはとても良い隣人です。内気ではあっても。親切な彼らとは。ダッチ・カントリー(注3)の人々はお互いに物を売ったり買ったりもする間柄ですし。アーミッシュ以外の多くの人とも友人関係を保っています。町の消防隊などのボランティアの仕事には,積極的に参加しますし,慈善事業にもお菓子を焼いたり,工芸品,キルト,家畜や農具を寄付したり,と大いに貢献しています。ただ,アーミッシュは,アーミッシュ以外の友人とはある距離をおいてつきあい,お互いの家を訪問しあうことは特別な会を除いて。あまりありません。

 彼らは,暴力を断固として否定する,完全平和主義者なので,戦争には絶対反対で参加しません。そのため。過去においてそれなりの制裁を受けたこともありました。彼らの生き方は,必ずしも政府に認めてもらえるものではなく,これまでにもしばしば圧力を受けたこともあったことから。彼らは政府に対して多少懐疑的な思いもあるようです。

 アメリカのこれまでの歴史の中でいわゆる普通の人々とは違った生き方を試みたグループはたくさんありました。しかし,アーミッシュのように,時代が移りゆくなかでも少しも変わることなく,自分たちの生き方を守り続けてこられた人々はまれです。この現代社会と,まさに対照をなすアーミッシュ社会の人口は,驚くことに現在も増え続け,そして今,彼らの静かで堅実な暮らしぶりが注目されています。(本文はジョセフ・リー・ダンクル著『ペンシルバニア・ダッチ・カントリーアーミッシュの贈り物』(主婦の友社,1995年)より抜粋・編集したものである)

出題者注

注1 アーミッシュの人口

 アーミッシュの共同体は25~35家族から構成される教区がいくつか集まって形成され、全米22州とカナダのオンタリオ州に散らばっている。今世紀はじめにわずか5000人程度だった人口は,過去50年間に急激に増え,現在はアーミッシュの定義によっても異なるが,10~20万人と考えられる。アーミッシュは外部への布教活動は行わず,他の宗教からアーミッシュ宗派に改宗する人は1%以下であり,人口増加は一家族に7~10人という子どもの多さと。子どもがアーミッシュ宗派にとどまる率の高さを反映している。

注2 交通手段

 共同体によって多少異なるが,一般的に交通手段として認められているのは,徒歩。馬車,足蹴りのスクーターである。自転車,自動車は認められていないが,タクシー,バスの利用は認められている。飛行機は認められていない。

注3 ダッチ・カントリー

 ダッチ・カントリーとは、アーミッシュの最初の入植地である,アメリカ東部ペンシルバニア州ランカスター郡をさす。ダッチDutchはドイッチュdeutch(ドイツの)に由来し,アーミッシュが日常生活で使う言葉もペンシルバニアなまりのドイツ語,ペンシルバニア・ダッチと呼ばれる。なお,アーミッシュではない人々を,アーミッシュは「イングリッシュ」とよぶ。

資料2 アーミッシュの生活

切り離された世界

 それから何人かのオールド・オーダー・アーミッシュ(注4)と出会い。知り合い。家に押し掛け,話をした。互いに外国語である英語(もちろん私の英語より彼らのほうがはるかに上手)で話をする不自由さはあったがむしろ問題は「外部の人間と話すことに慣れていない」ことだった。「あまり話すのが得意ではない」とはっきり言う人もいた。

 アーミッシュの人々は最初,概して無愛想でぶっきらぼうだった。しかしそれは挨拶や社交辞令を言わないだけで,ほとんどの場合は友好的で親切だった。アーミッシュにはわりとまじめで深刻そうな顔立ちをした人が多いのだが,ひとたび知り合い。話がはずみだすと表情が暖かく輝いた。

 しかし“文明の拒絶”に関しての疑問のほうは,深まるばかりだった。どの家も近代的なシステム・キッチンを備え,それなりに便利な生活をしていた。家庭用品にしても合成洗剤やステンレスの鍋,タッパーウェアなど,どこのアメリカの家庭にもあるものだった。想像に反して服は合成繊維だった。バギーも古めかしいイメージとはうらはらに,車体はグラスファイバー製なのだった。

 こうした疑問に悩まされるのは私だけではない。社会学者ドナルド・クレイビルはアーミッシュ研究の必読書である『アーミッシュ文化の謎」でこんなふうに書いている。く遠くから眺めればノスタルジックに見えるアーミッシュの文化は,近くで見てみると謎に満ちている…アーミッシュの理屈は,とても常識で解できないように思える。アーミッシュを賞賛する人も懐疑的な人も。矛盾に満ち。一貫性を欠いたその文化には首を傾げる…家に電話をつけることを禁じていながら,農地の隅に電話ボックスを設けるなど常識を越えている。電卓は許されるのに,コンピュータが禁止されるのはどういう理由に基づくのか。神が電線から電気を引くことを禁じる一方で。電池の使用はお許しになるとしたら,それはどのような神秘に基づくものか>

 私はこの謎のリストにいくらでもつけ加えることができる。ローラーブレードで遊ぶ子供がいる一方で,自転車は禁止されているのはなぜなのか。なぜセントラルヒーティングはいけないのか。なぜシャツにポケットをつけてはいけないのか。どういう理由で,ベルトはだめでズボン吊りならいいのか。

 そうした疑問を口にするたびに,アーミッシュの人々から返ってくる答えは「それが我々のやり方だ」,あるいは「ワールドリー」という言葉だった。まったくわけがわからない。個々の矛盾を追っていっても,答えは見つからない。全体像をつかむ必要があった。誰かに助けを求める必要があった。

 細かいルールの袋小路に迷い込んだ私を救ってくれたのは,アーミッシュを含むプレイン・ピープルの研究者,スティーブン・スコット氏だった。彼はランカスターばかりでなく全米のアーミッシュやメノナイトについて膨大な知識を持つエキスパートで,著書も多い。みずから再洗礼派の一派であるブレザランに属し,アーミッシュと同じようにあごひげを長く生やし,常に黒づくめの服をまとい帽子をかぶっている。彼の穏やかな眼差しに促されるように,私はこれまでの体験で数々の疑問をぶつけた。彼の説明は目からうろこが落ちるようなものだった。

 そもそもアーミッシュの人々は自分たちのことを言葉で説明するのに慣れていない,と彼は言う。「自分たちの間では当たり前のことを言葉にする必要はないし,外の世界に理解してもらおうとも思っていないからです」考えなければならないのは,アーミッシュの人々が世界をどう見ているかということだとスコット氏は続けた。

 アーミッシュはこの世界を二つに分けている。一つは永遠の生命につながる神の世界。もう一つは救いのない世界。この世である。それは聖書の言葉に基づいている。

 くこの世も、世にあるものをも。愛してはなりません。…すべての世にあるもの。すなわち肉の欲。目の欲。暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世からでたものだからです〉(ヨハネ第一の手紙)

 「つまり彼らはこの世を、邪悪なものだと考えているのです」スコット氏は淡々とした口調で語ったが、邪悪、という言葉の強烈な響きに私はたじろいだ。この世とはアーミッシュをとりまく私たちの世界。ならば私もまた、邪悪な世界の住人だったのか。

 アーミッシュは自分たちを「この世」から切り離そうとする。それがスマッカー夫妻に感じた壁の正体だったらしい。「ワールドリー」という言葉は、「邪悪な世間のもので、自分たちのものではない」という意味なのだった。

 「彼らは外部との接触を避けようとします。でも生きていくためにはさまざまな場面で、外の人とかかわらざるをえない。そこで多くのルールをみずからに課しているのです」とスコット氏は続ける。そのルールは「オルドウヌング(秩序とルール)」と呼ばれている。共同体の人が誰もが心得。守らなくてはならない不文律だ。

 オルドウヌングは服装、言葉。人とのつきあいかた。職業。教育、しつけ、家の内装、技術の使い方ー生活のあらゆる側面を支配している。規則のそれぞれに理由があるが、目的とするところは、外部からの影響を最小限に止め、アーミッシュ内での結束を守ることである。

 「技術や進歩を邪悪なものだと考えているわけではない。アーミッシュが気にするのは、それが自分の世界に何をもたらすかということなんです」

 スコット氏はその例をあげた。たとえば、電気そのものには何の問題もない。だから電池式懐中電灯も電卓も使ってかまわない。冷蔵庫や洗濯機だって、それ自体は問題ない。でもひとたび電線を引いて、電気製品を使いだしたら、何が起こるだろう。テレビやビデオやステレオをつい。使いたくなるかもしれない。そうなったら外の世界の娯楽や情報が家庭に流れ込み,子供たちに外の「邪悪」な世界の楽しみを教えてしまう。「ひとつを許せば,次,次とコントロールがきかなくなる。人は弱いものだから」

 

 つまり,アーミッシュ式ドミノ理論なのである。

 電気,電話,自動車,テレビなど今世紀になってから発明されたさまざまな機械やテクノロジーは人々の生活を変え,ものの考え方すら変えていった。アーミッシュは新しい技術が登場するたびに「これを使いだしたら。どうなるだろう」と考えた。そしてひとつずつ決定を下してきた。

 彼らにとって重要なのは,家族や共同体の絆を維持することだ。そのためにはみんな同じ価値観を共有し,物理的にも離れずにいることが必要だと彼らは考える。自動車で個人の行動範囲が広がれば,家族は拡散してしまうのではないか。電話によって人々は直接顔を合わせなくなるのではないか。家族の団葉がベルの音に邪魔されるのではないか。だとしたらそんなものはいらない,と。

 「便利であること。快適であることはアーミッシュにとって,それほど意味がない。彼らは身体を動かして労働することが,身体や魂の健康によいと考えているからです」

 このあたりまでは私にもすぐに納得できたし,感心もした。しかしスコット氏がオルドゥヌングのもうひとつの側面に触れたとき,私は仰天した。

 アーミッシュは「自分の意志を捨てて,神の意志に服従する」ことを信仰の基本としている。それは日常生活において自分を否定して他人につくし,家族や共同体に従い。謙遜な態度を貫くことを意味する。目立とうとすること。人より抜きん出ようとすること。プライドを持つことは,聖書の教えに逆らう罪となる。だから高等教育を受けることは禁じられる。教育,すなわち知識を得ること,勉強することも罪とされる。

 「彼らにとって必要以上の学問は,自分を他人より優れたものにする。つまりうぬぼれを育てることだからです」

 

 私の属する世界では,教育は大切なものとされている。物質的に豊かになるためであれ精神的な幸福を得るためであれ。教育は常に欠かせない手段のはずだった。自分というものは肯定すべきもので。個性は育てるべきものだった。うぬぼれはまずいとしても自尊心は大切なはずだった。そうしたものを否定するならば,みじめで抑圧された欲求不満の人間ができあがるはずだ。

 でもアーミッシュの人々はそんなふうには見えなかった。

人生で最も重要な選択

 学校を卒業したアーミッシュの若者は,とてつもなく重い決断を迫られる。それは人生で最も重要な選択である。アーミッシュとして洗礼を受け。残りの人生を生きていくか。それともより自由な暮らしを求めて別の道を行くか。どちらかに決めなくてはならないのだ。

 洗礼前なら少々羽目をはずしてもいいが、ひとたび洗礼を受けたらすべてが変わる。規則に従い。アーミッシュとして生きなくてはならない。洗礼の誓いを破れば,破門されて家族と同じ食卓でものを食べることもできなくなる。

 最初から洗礼を受けなければ破門されることはないが。今までどおり家族や共同体の一員として暮らすことはできない。家族と離れ,自分で生計を立てる道を探すことになる。選択するのはあくまでも本人だ。親は決して強制することはできない。たとえどんなに子供がアーミッシュになることを望んでいたとしても。

(中略)

サリーは20歳のときに洗礼を受けた。たいていの若者が16歳から22歳で決断するというから。比較的遅いほうだ。

 でも,決断は決してやさしいものではない。洗礼に先だって5カ月の準備期間があり,教区のミニスターが洗礼の持つ意味を候補者に教える。誓いを立てて破るよりは、誓いをしないほうがいいと教えられる。洗礼の直前にもキャンセルする最後のチャンスを与えられる。サリーにとっても。それは真剣な自己確認を必要とする問題だった。

「これが本当に私の求めていることなのか。とずいぶん考えた。あまり深く考えないで洗礼を受ける人もいるわ。でも私はものすごく考えた。将来のことを。私は人生から何を得たいのか。何が一番大切なのか。それは家族だと思った。そして考えたの。アーミッシュを離れた人は,離婚や家庭崩壊に行き着くケースが少なくない。その人たちだって家族を愛していた。でも彼らの選択は,そういう悲劇に通じるドアを開いてしまったというけ」

 きっぱりとした口調で語るあどけない顔立ちのサリーが,急に大人っぽく見える。

 実は,アーミッシュにとどまる若者の割合は8割強。ほぼ5人に4人は洗礼を受ける。大部分がアーミッシュになるこ若者たちを伝統的な生活に繋ぎ止める最大の要因は,サリーが言ったような家族との強い絆。そして友人や親戚,共同体の仲間たち,慣れ親しんだ環境や仕事への愛着なのだ。

キング家の子育て

 「TOYS」と書かれたお手製の看板を目印にキング家を訪れたのは,よく晴れた秋の日だった。

 色白でやさしげな顔つきの妻のジェシカと。がっしりしてエネルギッシュなジョナスが出迎えてくれた。ジョナスの仕事は木製の玩具を作ること。ほとんどは近隣のギフトショップに卸しているが,工房の脇に製品を陳列して客が訪れれば直接売る。

 一家の住まいは典型的なアーミッシュの家だ。小さな男の子が玩具で遊んでいる。末っ子のマイロンだ。「いくつ?」と訳ねると,ジェシカがペンシルバニア・ダッチに通訳する。まだ英語がわからないのだ。この子はお父さんっ子で,すぐにジョナスのもとへ擦り寄ってくる。くりくりした目と金色の髪が愛くるしい。うるさい盛りのはずなのに私たちの訪問中,マイロンは叫んだり,わめいたりすることなく黙って遊んでいた。大人たちが話をしているときには騒がないようにしつけられているのだろうか。

 「私自身,両親に従うことは何度も繰り返し教え込まれたんだ。今でもよく覚えている。私はいわゆる反抗期だった。あるとき,アーミッシュではない友人と遊び回って帰宅が遅くなった。父はすでに,私がやるはずだった牛舎の手入れを終えていた。そして静かにこう言ったんだ。『息子よ,遅かったな。こういうことは二度としないように」それだけで,私は自分が二度と過ちを犯さないことがわかったよ。それからは分担の仕事をすませてから,出かけるようになった。そういうものなんだ」

 ジョナスはまだ若いのだが、妙にどっしりとして,一家の長らしい権威のオーラがある。

 日本では子供の個性を尊重し,自由に育てるべきだとされている,と私は言う。

 「それは私たちのやり方ではないわ」とジェシカはこちらに気を遣いながらもきっぱりと答えた。「ごらんなさい。それで世の中がどうなっているか。子供にはしつけが必要なの」

 しつけ,と訳したが、彼女が実際に使ったのはdisciplineという言だ。これには“訓練,規律,懲戒”という意味も含まれる。アーミッシュにとって「しつけ」とは,親の勝手な意志に子供を従わせるということではない。従うことは信仰と生活の一部でもある。親に従い。共同体に従い。そして最終的には神に従うこと。その精神が身についていなければアーミッシュにはなれない,と彼らは言う。

 「決して簡単なことではないの。子供たちは外の人を見て,どうしてこれをしちゃいけないの,あれをしちゃいけないの,ってうるさいわ。子供はそうしたものでしょう。私たちははっきりさせなくてはいけないの。何が『私たちのやり方」かってことをね」

 夫妻と話をしているうちに上の子供たちが学校(注5)から帰ってきた。珍しそうに私を眺めている。あまりにも出入りが静かだったので,最初は気づかなかったほどだ。「ハイ」と声をかけると,照れくさそうな顔をして後ずさりする。よほどの珍客だったのだろう。長男のポールは母親似で細面の内気な少年だ。11歳の長女ジェーンは気の強そうな美少女だが,9歳の次女メリー・ルイズはぼっちゃりしてやさしげな顔をしている。6歳の次男ジョシュアも,ちょっと太り気味で人が良さそうだ。しばらくすると,ジェシカは台所に立ち,夕食を作りはじめた。

 子供たちの働きぶりはたいしたものだった。長男のポールと次男のジョシュアはジョナスを手伝って作業場に行き,娘たちは台所で母親の手伝いをする。メリー・ルイズは豆を洗い。地下からピクルスの瓶詰めを運んできて、ガラスの大皿に取り分ける。ジェーンは小さな手で大きなボールをあやつり,ゆでたてのじゃがいもを器用にマッシュしたり,ゆで上がったグリーンピースに塩をふり,バターをからめる。料理の手つきも,母親に負けていない。

 あれをしなさい。これをしなさいと言わなくても。ジェシカが指し示すだけで次の作業をてきぱきとこなしていく。よく統率のとれたチームのようだ。小さなマイロンも仕事に加わりたくて、果物を運ぶ役目を仰せつかる。4歳になれば、マイロンにも仕事の分担が与えられるはずだ。その姿を見ていると、大事なことは子供たちが親と一緒に働き、家族の役に立っていることだと思う。家族のなかに自分の居場所がきっちりとあり。頼りにされている。だからアーミッシュの子供たちは子供らしい純真さと、大人のようなしっかりした態度を併せ持つことができるのではないか。

 一方、ポールとジョシュアは馬の手入れをしていた。水で洗って、ブラシでこすり、餌のとうもろこしをやる。

 ジョシュアは好奇心をあらわにして私たちを見つめるが、シャイなポールはあまり目をあわせようとしない。その雰囲気はニューヨークで出会ったアーミッシュの少年によく似ている。この子たちはコンピュータゲームも。ロックンロールも。テレビも知らないのだろうか。

 「テレビは見たことがあるよ。何度か。親戚の家で。そこはアーミッシュじやないんだ」とポールは言う。

 「気に入った?」

 「そのときは面白いと思ったけど。なくても別に、どうってことない」

 ポールはそんなふうにポツリポツリとしやべる。

 「早く15歳になりたいよ。学校が終わるから。もっと働きたいんだ」

 彼は手先が器用で、家業を気に入っている。今は父親を手伝って、玩具を大量生産しているが、いずれはデスクや食器棚など大きな家具を作ってみたいという。夕食後のひととき、子供たちは居間で本を読んだり、ストーブの前で自家製の木の玩具で遊んだり、他愛のないおしゃべりに興じたりしている。「いつもはゲームをしたり、歌を唄ったりするのよ。特に親戚や友人が訪ねてきたときには」とジェシカは言う。アーミッシュがセントラルヒーテイングを禁止しているのは、家族が火のまわりに集まるようにするためだと聞いたことがある。ランプも同じ役割を果たしている。階上の寝室には小さなランプがあるけれど,居間のガス・ランプほど明るくはない。

(本文は,文・栗原紀子,写真・長谷川朝美『プレイン・ピープル一アーミッシュの世界一」(愛育社,1998年)より抜粋・編集したものである)

出題者注

注4 オールド・オーダー・アーミッシュ

 アーミッシュ宗派はキリスト教再洗礼派に属し,その中でも最も伝統的で戒律が厳しいアーミッシュ宗派をオールド・オーダー・アーミッシュという。再洗礼派には,戒律が緩やかで外部への布教も行っているメノナイト派など多くの宗派がある。

注5 アーミッシュ・スクール

 アーミツシュの子どもたちは,小学校1年生から8年生(日本の中学2年)までが。教室が一つの小さな校舎で、一人の先生から学んでいる。学校ではアーミッシュ以外の人たちとの会話に必要な英語礼拝に必要なドイツ語,算数を学び、8年間で教育は終了する。

資料3ー1写真:農場で働くアーミッシュ(省略)(菅原千代志著『アーミッシュもう一つのアメリカ』(丸善,1997年)

資料3ー2写真:プラスチック製のランチボックスを手に登校するアーミッシュの子どもたち(省略)(文・栗原紀子,写真・長谷川朝美『プレイン・ピープル一アーミッシュの世界一」(愛育社,1998年)より)

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