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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学 文学部 小論文 2011年 過去問

2011年 慶應義塾大学 文学部 小論文 課題文

次の文章を読み、設問に答えなさい。

 日本的な感性を考えるということは、それが中国的な感性やフランス的な感性とは異なるということ、感じ方に個性がある、ということである。文化により、個人によって個性的な感性がある、と想定することができるためには、感性の回路のなかに、個的な偏差のありかがなければならない。この個性の根は、どこに、どのようなかたちで存在するのか。

 各文化、各個人において、鋭い感性を見せるところと、鈍いところがあり、この鋭さ鈍さの総体的な分布が個性である、と考えればよい。文化により、個人によって、色彩に関して鋭敏な感性を示しつつ、音については反応が鈍い、ということがあるし、ひとの作品に関して豊かな感性を示す文化もしくは個人が、自然には殆ど関心を示さない、ということがある。特定の対象やことがらについて、鋭い感性を示すというのは、それについては小さな刺戦にもすぐに反応するようなスタンパイの状態ができている、ということである。われわれの感性は、外界からの刺戦に応えてわれわれの内部に引き起こされる反響を聴き取る受容体だが、それはひとによって個々に他と異なるような仕方で帯電している。個性的な分布を以て帯電しているわれわれの感性は、感ずる対象を選び取り、独特の反響を返す。

 その帯電の分布すなわち構造は、生来のものであることもあろうが、多くは文化的環境のなかで育まれたものである。そして、特に個々の文化に固有の感性を考えるなら、それぞれの国語の語彙のシステムとして伝承されるものが重要である。一方に数個しかもたない言語の民族があり、他方で何十という雪の様態を区別している言語をもった民族もある。遠くの人びとのことではない。万葉期の日本語は、しろ、くろ、あか、あおの四つの色彩語しかもっていなかった。

 われわれの以下の課題は、顕著な反響を響かせている和歌を探し、分析して、この分布の日本的構造を析出することである。

 広い空間を見はるかすとき、われわれは何か目立つものに注目し、それと「われ」とを結びつけることによって、安心感を覚える。遠くにあればランドマークだし、手でつかむことのできる手すりのようなものでもよい。こうした拠り所を得ることによって、世界との関係は安定し、彼方へと広がる空間のなかにわれわれは安住することができる。この関係が破綻するとき、例えば、きつねに化かされたように、どうしても同じ道を堂々巡りするようなとき、われわれはパニックに陥ったりする。方向音痴と自覚しているひとは、その自覚そのものによって、このような危機に対する予防措置を施しているように思われる。もちろん、きつねに化かされるのは稀な経験であり、日常的には安定した関係が築かれている。

 ここで考えようとするのは、富士山や村の一本杉のようなランドマークのことではない。いまわたしが考えようとしているのは、より根底的で無記的(目立つもののない)な、空間の見渡しを支配している幾何学的な構造である。無記的で幾何学的であるとはいえ、わたしのまなざしに属するものであり、日本的感性に固有の構造があるように思われる。まず、次の永福門院(一二七一~一三四一)のうたを観賞することにしよう。

月かげはもりの消にかたぶきてうす雪しろしありあけの庭(『玉葉集』九九七番)

彼方に黒い影を見せる森の上に月はかかり、いま沈もうとしている。近くを見ると、庭には雪がほの白く広がっている、という情景である。ここで注目すべきは、遠景と近景の取り合わせである。この取り合わせを柱として、このうたは構成されている。言い換えれば、中景はない。同じ歌人のうたを、更に

さ夜ふかき軒ばの領に月はいりてくらきひばらに嵐をぞ聞く(同、一一二三番)をちこちの山は桜の

花ざかり野ベは霞にうぐひすの声(同、一四八番)

 前のうたは、同趣の構図だが、近景に視覚的なイメージではなく、聴覚的知覚を置いている。歌人は部屋のなかにいて、御鷹をあげた窓から彼方を見やっている。この視野において遠くの嶺はちょうど「軒ば」の位置に見えている。彼女からは外の近景は目に入らず、「嵐」の声によって近くの森を知覚している(「ひばら」は「檜原」である)。

 後の方のうたにおいて、「をちこち」は「遠近」の読みであるから、この字義に従えば近くの山を含んでいるはずである。しかし、構図的には、山は遠景を構成する。その山々には花ざかりの桜が群れている。その手前の野には霞がかかっているのだが、どこからともなくうぐいすの鳴き声が聞こえてくる、そんな風景である。これも、遠景と近景を取り合わせたもので、中景には「霞」が置かれているが、それは言わば空白である。

 このように中景を欠く空間構成は、なつかしい絵画的表現の典型的な情景ではなかろうか。『源氏物語』の一節を、谷崎訳で引用しよう。「おこり」を患った「君」が、その病をよく治すという行者を北山に訪ねる。「お勤め」をしたあとのことである。

 ……うしろの山へお上がりになつて、京の方を御覧になります。はるばると霧がかかって、四方の消がほんのり煙つてみる具合など、「何と絵によく似てみることよ(四方の木ずる、そこはかとなう、けぶり渡れるど、絵にいとよくも似たるかな)。こんな所に住む人は心に思ひ残すこともないであらうな」と仰せになりますと、「まだ比のあたりの景色は浅うございます。田舎の方にある海山の有様などを御覧になりましたら、どんなに御絵が御上達なさるでございませう:(「若紫」)。

 広く霞がかかっている。遠景としては、「木ずゑ」があちこちに姿をのぞかせており、目の位置とこの遠景のあいだは「けぶり渡って」いる。そのような情景が「絵のようだ」と言われている。つまり、霞が中景を覆い、そこにあるものを隠している状態が「絵のよう」なのである。この時代の絵画の作例はほとんど残っていないが、この言葉自体が証言となる。もちろん、『源氏物語』のなかには他にも「絵のよう」と形容されている光景があるが、この「けぶり渡る」が絵画的光景の一つの代表的なものであることは、誰にも異論のないところであろう。霞は、高温多湿な日本の風土に深く根ざした自然の風景であるとともに、やまと絵以来の日本の絵画における基本的な手法ともなった(右の「若紫」の言葉は、ずっと時代を下るが、長谷川等伯の「松林図扉風」を思わせる)。西洋のルネサンス期に確立した透視画法が、遠景と近景を連続的につなげる中景に関わる遠近法であるのに対して、この日本的遠近法が中景を省略することによる効果を利用していることは、大いに注目すべきところである。このような空間把握に関連して、和歌の表現においてかなめとなっているのは、「~渡る」という広がりを表わす補助動詞である。能因法師のうたを参照しよう。

心あらむ人にみせばや津の国のなにはわたりの春のけしきを(『後拾遺集』四三番)

 「難波わたり」は大まかに言えば「難波のあたり」の意だが、「辺り」と「わたり」には違いがある。「わたり」にはこちらから向こうへという動勢が含まれており、見るひとの見はるかす心の動きと、そのまなざしのスキャンする広がりが含意されている。『逆引き広辞苑』を引くと、「~渡す」という複合他動詞が二八例、「~渡る」という複合自動詞が五一例挙げられている。「~渡す」に関して面白いのは、その多くがひとを与格として働きかけるものが多く(売り渡す、明け渡す、申し渡す、譲り渡す等々)、それにひきかえ、われわれの関心事である広がりあるいは距離を貫く運動を表わすもののうち、今でも使われているのは「見渡す」くらいしか見当たらない。「射渡す」(矢を射て遠くまで届かせる)のような言いまわしは、文脈なしに単語だけ示されても、すぐには見当がつかないのではないかと思われる。

 空間表現で例も多く、味わいの深いのは「~渡る」という自動詞である。今でも使われているのは、行き渡る、湯え渡る、染み渡る、知れ渡る、晴れ渡るなど数個にすぎないが、いずれにおいても「渡る」は広がりの意味を添加している。「晴れ渡る」などは、決まりきった言いまわしでしか使われないので、無自覚的に用いられることが多いが、もとの意味を意識してみると、なかなか味わいの深い語である。『日本国語大辞典』は、この「~渡る」に空間的な広がりの意味(あたり一面に~する)と、時間的な持続の意味(ずっと~し続ける)を挙げている。後者の意味の典型的な歌語は「恋ひわたる」で(万葉末期に用例がある。四四七六番)、いつまでも恋心を懐きつづけるという意味とされる。しかし、この言いまわしには、遠くの恋人に思いを届かせようとする憧れの気持ち(空間的意味)が含意されているようにも感じられる。右に見た『源氏物語』の文において、霞が「けぶり渡る」と言われていたことにも見られるように、中景ぬきの遠近法において、遠景と近景のあいだの空間は、

 「渡る/渡す」の動勢によって満たされているように感じられる。言うまでもなく「見渡す」ひとのその指向性である。日本の詩歌のなかには、ここで見てきたような遠近法的な空間表象とは異なる広大な描写があるのを、われわれは知っている。

東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月西渡きぬ(柿本人麻呂『万葉集』四十八番)

菜の花や月は東に日は西に(与謝蒸村、『無村句集』)

 しかし、これらは明瞭な対比語法を以てうたわれており、日本的な感性というよりも、中国の修辞技法に学んで造形された光景ではなかろうか。中国ではこれが有力な文章法であるのに対して、日本の古典的テクストにおいて、明瞭な対比性を示す表現の作例は稀だからである。百八十度身体を回転させて得られる人麻呂や燕村の空間とは異なり、永福門院のうたにうたわれているのは、歌人の前方に奥行きとして広がっている空間である。また透視図法の場合、視点に位置する画家は、情景の外に居て、その情景を対象的に見ている科学的な「眼」である。それに対して、この日本的遠近法の視点に位置する歌人は、思いを彼方へと「渡す」動勢のもとである。ここで重要なのは、世界のなかに乾立するランドマークの存在とは別に、見渡すわたしのまなざしに固有の空間構造が秘められている、ということである。中景を飛ばして遠景を近景と結ぶその構造こそ、日本的感性に固有の空間性と見ることができる。なぜか。

 これを考えるうえでは、西洋の透視図法的な遠近法と比較してみるのがよい。この近代的な遠近法が、近代科学と同じくルネサンス期に完成し、事実、その時期には、絵画が学問であるという主張を支える決定的な役割を果たしたことは、よく知られている。その特徴は、既に初めに触れたように、遠景と近景を結ぶ中景が中心となっていることである。街路や並木、家並みのように連続して遠方に続いてゆく空間が、この遠近法による描写の最も得意とする対象である。しかも、中景が言わば満たしているこの空間は、均質であることを特徴としている。この百メートルと次の百メートルは、同じ減衰の割合によって縮小していくのであり、そのことは位置の違いを表わしはするものの、長さとしては完全に等価と見られている。この抽象性が科学的ということの意味である。それは、生きて生活している人間の空間とは異なる。同一の家並みを、旅人と住民は異なったように見る。それぞれが相異なる関心をもっており、その関心の差異に応じて、注目する対象、地点が異なる。注目された部分の空間は濃密なものとなり、無関心な部分は希薄なものとなる。かくして、二人の前に、空間は異なる

 起伏を見せて立ち上がってくる。永福門院のうたが表わしているのは、空間の側に属する客観的論理ではなく、世界のなかに立つひとに属する、しかしそのような関心以前の、ある意味でア・プリオリな(個々の経験に先立つ)構造であり、しかも認知されるよりも感じられるものである。この感性的な論理は、われわれがこれまで明らかにしてきた日本的な感性の特徴と符合する。永福門院のうたった空間の特徴は、遠景を捉えるのに、近景を支えとしていることである。近景は視野のなかの身体的圏域とでも呼ぶべきものである。遠景に目するとき、ただ遠景だけを切り出したのでは、それは望遠鏡で祀いた象の如きものにすぎず、わたしの居る世界の遠景とは言えない。わたしの世界の遠景となるためには、

 わたしの視野における遠景とならなければならない。それは、わたしの身体的な近景に呼応するものとして遠景なのである。あるいは、その遠景を含む世界の近景に、わたしが身体的に参与することによって、世界はわたしの世界となり、そこに世界が具体的な視野となる、と言う方が正確であろう。遠景を支えるのが、身体的近景であるのは、日本的感性にとってはごく自然なことと思われる。これまで見てきたように、触覚的な接触を基調とするものだからである。(佐々木健一『日本的感性触覚とずらしの構造』より)

設問1

 著者が述べる「日本的感性に固有の空間性」とは何か、一八○字以上二○○字以内で説明したさい。

設問2 

 著者の論じているような日本的感性(感じ方の日本的な個性)について、

①感性は普遍的なものであって、日本的感性などは存在しない。

②昔の日本には個性的な感性があったが、現代社会になって失われてしまった。

③日本的な感性は、時代を超えて現代にも存在している。のいずれの立場をとるかを明確にした上で、なぜそう考えるのか、本文以外の例を挙げて、四○○字以上五○○字以内で論じなさい。

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