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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学 法学部 小論文 2012年 過去問

2012年 慶應義塾大学 法学部 小論文 課題文

問題

 

以下の文章は、一九九四年に公刊された「国家の未来」と題する論稿ダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が思い出されるが、両者ともに国家 で示されたいくつかの未来国家像のうち、ふたつを抜粋したものです。の未来という主題を扱っている。

これを読み、「未来国家1」と「未来国家2」に共通する考え方を簡潔前者が描き出したのは、各人の私生活から内面にまで及ぶ監視機構をもったにまとめた上で、それに対する擁護と批判の両方を展開しなさい。

 

SF小説の古典というと、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』と、オルダス・ハクスリーの『素晴らしき新世界』が思い出されるが、両者ともに国家の未来という主題を扱っている。

前者が書きだしたのは、各人の私生活から内面にまで及ぶ監視機構を持った未来国家で、各部屋には死角のないように設置された監視カメラと、権力側の宣伝を伝えるスクリーンが設置されている。各人はスクリーンから伝えられる 偶像崇拝や敵への憎悪の宣伝に内面から反応せねばならず、表情から内面を読み取る技術が高度に発達したその国家では、外面だけで叫んだり手を振り上げ たりしても、心からそう思っていないと、それが表情に表われて、弾圧の対象 となるのである。

現代人にとってそのスクリーンに当るものはテレビであるが、監視カメラの 方は、銀行やスーパーマーケットなどを除けば組織的には設置されていない。 しかし我々の個人情報が様々なデータ・ベースに蓄積されて、密かに監視され ていることは明らかで、子供の年齢に応じて、お難様、振袖から予備校の勧誘 まで、数十のパンフレットが舞い込む。我々多少とも政治色のある物書きは、 もちろん各政治勢力・思想勢力や出版資本のプラックリストの中に登録されて いる。

問題は、表情読み取り技術による脅迫によって、人々が心からスを 崇拝し、トロツキーを憎むようになるのかどうかで、それだけではなかなか困 難なように思われる。『すばらしい新世界』の方は、その点について、睡眠中 に枕の下からスローガンを騙きかける「睡眠教育」という方法を考案してい る。先の例に当てはめれば、毎晩眠ると「スターリンは偉大だ、彼の言うこと は何でも正しい。彼はやさしく厳しい貴方の父であり、兄弟だ」というような スローガンが枕の下から聞こえてくるということであろう。

今世紀前半の知識人たちはこのような空想の未来を描いたが、世紀末の我々 は、さらに進歩した技術を基礎とした未来像を描き得るであろう。すなわち、 その未来国家では、国民が生れると、脳に、脳波探知機と送信装置と、それに ショック装置を結合した小器具が脳に埋め込まれる。その脳波探知機は、脳波 の形から言葉を読み取る能力をもち、それはそのまま中央のデータ・ベース 【統制中枢】に伝えられ、記憶される。デパートで万引きしたくなったり、隣 家の奥さんにシな妄想を抱いたりすると、ただちに電気ショックを受ける。 専門家は【統制中枢] をCC (Contro Center) とよぶが、国民向けにはFC (Friendship Center) と呼ばれ、脳に梅こかれる器具はBWMD(Brain Wave Monitoring Device) とよぶが、国民向けにはTDO (The Dear One) とよんでいる。

幼時からこういうコントロールを受け続けると、人々は不将な妄想などが起こる以前に条件反射によって抑圧されるから、犯罪的意志などはまったく抱か ないようになる。そうなれば刑法も警察も裁判所も刑務所も全然必要なくな り、アナキストが描いた無政府協和の楽園が現出するであろう。 この社会の一つの問題は、「どういう思考、すなわちどういう脳波の形を電 気ショックによって罰するか、どの程度の不穏な思考にどの程度のショックを 科するか」にある。恋愛感情を何歳から許容するか、同性愛をどうするかな ど、現代社会において刑法を立法するのと同じような問題が、この社会の人々 の問題となるであろう。

それ以上に問題なのは、誰が立法するかである。幼い頃からこの装置に支配 されてきた人々に、立法に関する合理的な討論が可能であろうか。「不倫」な どという言葉が脳の中に撃した途端に思考が麻理してしまうような人々には、 それをどこまで許容するかなどという議論は、成立しようがないであろう。第 一、討論がきわどいところにさしかかると、議員たちが一斉に電気ショックを 受けるかも知れないのである。

そこで、議員になった者には、TBOを取り外すということにしたらどうだ ろう。しかし、急に外したところで、幼時から深く植え込まれた精神構造が変 わる訳ではないから、合理的討論の不可能な呪縛された精神であることには違 いがない。また不坪なことを思ってもショックがないことに慣れると、タブー を犯す喜びにうつつを抜かす議員も出てきて、社会に危険をもたらすかも知れ ない。そうなると、将来の立法者用に、幼時からTBQをつけない少数の人間 を作っておく他ないということになるが、この人々の集団がこの社会の存立に とって最大の危険となるであろう。

このようなことを予見したこの国家の「建国の父」は、未来に新たな立法が全く不要となるような完璧なシステムを考案し、その維持をプログラムの自己 運動に委ねた。この「建国の父」は、「最初の衝撃」を与えた後は世界に介入 しない理神論の神のようなものである。それ以後の世界は、「人の支配でなく 法の支配を」という法治国の理想そのままであり、そこでは人々は、外的強制 なく、心の欲するところに従っても離を越えず、平和的に共存している。オー ウェルは「ビッグ・ブラザー」は本当に存在するのか、誰も知らないという が、FCは単なるプログラムのソフトウェアなのである。

この世界のおそらく唯一の問題は、ハードウェアのメインテナンスであり、 機械のある場所にゴキブリが巣を作ったとか、風が電線を撃ったとか、金属が 鍋びたとかいうことで、突如として大量の人間が精神に変調を来すことがあり 得る。それを防止するためには、逸脱的思考をショックで罰するだけでなく、 人々にメインテナンスを行なわせるような積極的プログラミングが必要になっ てくる。

 

未来国家Ⅱ

情念や欲望を意識の世界で抑圧しても、欲求不満は意識下に蓄積され、やが て暴発するとは、フロイトの教えるところである。電気ショックの懲罰で抑え 込まれたものについても、同様なことがいえるのではないか。(中略) 電波に よって脳を支配したとしても、人間性に深く根差した欲望を消去することがで きるものであろうか。それが不可能であるとすれば、外見上成立していた「理 想国」は、人々の情念の非合理な暴発によって壊滅するのではないか。人々は 脳にガンガン電気ショックを受けながらも、「ヤケのヤンパチ」とばかりに、 FCのハードウェアを破壊する。それまで依拠してきた秩序保障機構は破壊さ れて、長い無秩序と混乱が支配するのではないか。それを避けるためには、 もっと根源的な、深い人間性を変革しなければならない。遺伝子工学の発展が それを可能にする。

遺伝による人間性のコントロールということに、最初に着眼した思想家はプ ラトンであろう。彼はその構想した理想国において、婚姻制度を否定し、毎夜 同義する男女の組合せを鑑によって決定することとした。子が生れると、国家 がそれを直ちに引き取り、親と切り離し、親子の識別を不可能にして養育す る。しかもその籠をインチキ織にしておいて、心身の優れた男女が、いつも当 るようにして、その間の子を大事に育て、劣った男女の子は国家の手で間引き する。 松尾由美氏の未来小説『パルーン・タウンの殺人』は、二○一○年代とおぼ しき東京を舞台としている。女性が子を産まなくなったのに困惑した政府は、 「人工子宮」を開発し、受胎するや否やそこで受精卵を預かる。シ経っ と、母親たちはハンドバッグを下げて子を引き取りに行く。その間に政府は、 欠陥ある受精卵を間引きする。中には自分の腹を痛めて子を産みたいと思う保 守的な女性がおり、彼女らのために、妊婦ばかりの街バルーン・タウンが設け られている。そこで殺人事件が起こるが、妊婦の名探偵と妊婦の助手が現れ、 愚かな男たちの誤った推理を尻目に、快刀乱麻の推理で事件を解決する。なぜ か育児の国家化という思想は説かれていない。 遺伝子工学が発達すると、「未来国家i」(中略)が、後天的に、脳波をいじ ることによって達成しようとした人間性の改造を、生得的属性の変革という仕 方で行なうことが可能となるであろう。まず仮にロンブローゾが描いたような 「生来的犯罪人」なるものが存在するとすれば、そのような者は遺伝子の段階 で日の目を見ないようにされるであろう。暴力的な人間や、ホップズが平和の 敵とした自尊心の強すぎる人間は、遺伝子の段階で除去され、「各人に彼のも のを」とか「他人を傷つけるな」とかという正義の規範を担う遺伝子が発見さ れて、それを促進するような培養政策がとられるであろう。 人間は狼から、闘犬やら番犬やらお座敷犬やら、様々な犬を創造してきた。 各国が主権国家として独立したままで、別々にこの遺伝子政策を推進すると、シェパード的国家や独的国家など、多様な国家が成立するであろう。そうなれ ば、各国は闘争的な人間を作って、地球は闘犬の噛み合いのような世界となる であろう。それを避けるためには、十六・十七世紀のヨーロッパ人たちが帝国 を破壊して創造した「主権国家体制」を克服して、人類の政治的再統合を実現しなければならない。

 

長尾龍一『リヴァイアサンー近代国家の思想と歴史』(一九九四年、講談社) 試験問題として使用するために、文章の一部を省略し、必要に応じてルビを 施し、また、見出しを改変した。

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