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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学 法学部 小論文 1999年 過去問

1999年 慶應義塾大学 法学部 小論文 課題文

次の文章は、戦争の責任と戦後の処理の問題に ついて、一つの考え方を述べたものである。筆 者の考え方を要約したうえ、あなたの考えるところを自 由に論じなさい。

 

「重苦しい問題である。しかし、これを直視して謝罪の 道を考えることこそ、歴史に対する私たちすべての責任 だと思う」

これは一九九二年七月八日付「朝日新聞」社説の冒頭 の言葉である。そこでは、これに続いて具体的には戦時 中の従軍慰安婦をはじめ生存する被害者たちへの謝罪と 援護の手をさしのべることを提唱している。この社説に は「過去の克服』に取り組む時」というタイトルが付さ れていた。

この社説のタイトルを見た人びとのなかには一瞬、「何 について論じているのだろう」と思った人も少なくなか ったことと思う。それというのも、「過去の克服」とは日 本語の語意としては「過去に打ち勝つ」とでもいうこと であり、さらには「過去のことは水に流す」といったよ うな意味にさえなるからである。ところが今日、この言葉は過去の戦争において日本の侵略や非人道的行為によ って被害を受けたアジア諸国の人びとに対する謝罪と補 償という意味をもっている。つまり戦争責任をどう自覚 し、その責任をどう果たすか、このことを問う言葉であ る。

この言葉は、もとはドイツ語のVergangenheits bewaltigungの訳語である。旧西ドイツにおいては、戦 後、ナチス戦犯に対する追及を一貫して行ってきたこと はよく知られているが、同時にナチスによって被害を受 けた人びとへの補償を戦後早くから行ってきた。

このよ うな行為を支えるものを「過去の克服」と称するように なったのである。そして、それは具体的な行為としては さまざまな形態をとるが、なによりもそれらの諸形態を 貫く道義的精神的姿勢を意味している。つまり問題は、 戦時中の非人道的行為に対する責任とその償いをどう果 たすか、ということにあるのだ。

このような「過去の克服」という言葉が、本来、日本 語としては熟さない翻訳語であるにもかかわらず、社説 のタイトルになったということは、日本においても旧西ドイツが行ってきたような「謝罪と補償」という問題に ようやく本格的に直面するようになったことを物語って いる。

こうして日本においても、「過去の克服」という問題に 本格的に向き合わねばならなくなったとき、旧西ドイッ が、この問題に日本から見ればはるかにしっかりと取り 組んできたこと、さらには新生の統一ドイツが着手しつ つある姿容がクローズアップされてくる。ここに「過去 の克服」の問題に関してドイツと日本を比較・検討する 現代的意義がある。旧西ドイツと日本のそれぞれの戦後 にはたしかに類似した歩みを認めることができる。敗戦、 戦犯を裁く国際軍事裁判、荒廃と混乱のなかからの経済 復興、そして高度経済成長、さらには経済大国から政治 大国への歩みの開始など、その歩みは類似している。し かし「過去の克服」に関するかぎり、両国の間の落差は あまりに大きい。

ドイツのシュトゥトガルト地方裁判所が元ナチス親衛 隊員・強制収容所所長ヨーゼフ・シュヴァムベルガーに 対して、半世紀前の度重なる殺人と大量殺人ほう助の罪のゆえに終身刑の判決を下した。一九九二年五月十八日 のことである。シュヴァムベルガーは敗戦とともに国外 逃亡し、アルゼンチンで養魚場を営んでいたが、八七年 十一月そこで捕らえられ、九○年五月にドイツに送還さ れ、裁判に付されていた。半世紀前の罪のために八○歳 の老人に終身刑が下されたのである(ちなみに、ドイツ では死刑が廃止されているので最高刑は終身刑である)。

このように今日に至るまで厳しい追及が続けられてい る背後には「ナチス犯罪 (殺人)の時効を廃止し、永久 に追及する」という七九年の国会決議がある。西ドイツ ではニュルンべルク国際軍事裁判だけでなく、自国の裁 判所によって、これまでに九万人を超えるナチス関係者 が裁判にかけられ、七○○○件近い有罪判決が下されて いる。これに対して日本では、極東国際軍事裁判とBC 級裁判、つまり他者による裁き以外に自らを裁いてはこ なかった。 このように日本が自らに対する裁きなしで過ごしてき たことは、他者=アジアの諸国民に対する謝罪と補償という行為においても無作為のままで過ごしてくることを生み出したのである。

旧西ドイツでは、まず五二年のイスラエルとの交渉に よって成立したルクセンブルク協定にもとづいて、ユダ ヤ人の被害者のために三四億五○○○万マルクが支払わ れた(九四年五月現在の為替レートは一マルク=約六四 円)。次いで五六年の連邦補償法によって、人種・信仰・ 世界観、あるいは政治的理由またはナチズムに対する抵 抗運動などの理由で迫害を受けた人びとに対して、約六 七九億マルクが支払われてきた(このなかにはドイツ兵 の遺族への補償一○○○億マルクはふくまれてはいな い)。加えてヨーロッパ一二カ国との包括的協定によっ て、それらの国のナチス犠牲者のために一○億マルクが 支払われた。九○年までに、その他もふくめて総額八六 四億二七○○万マルクが支出されたのである。

一方、旧ソ連・東欧諸国の戦争被害の検討は、旧西ドイツと西側戦勝国との戦時賠償の支払いを決めた五三年 の「ロンドン債務協定」でドイツ統一後に持ち越すこと にされていた。統一なった今日、これまで積み残してき たかっての東側との問題が浮上してきた。まず九二年四月二十八日、ポーランドに「和解基金」が設立され、ド イツ側が五億マルクを提供することによって、ナチスの 収容所に収容された人びと、ドイツ企業で強制労働に従 事させられた人びとなどに対する「償い」の証しとされ た。また同様の意味で九三年一月二十九日、ドイツは、 ロシア、ベラルーシ、ウクライナに一○億マルクを支払 う約束をした。

これに対して日本では、日本国籍をもつ戦争犠牲者遺族への援護法などは早くに制定されたが(一九五二年)、 今日、外国国籍をもつ、かつての植民地や占領地域の被 害者たちは、ほとんど補償の対象からはずされてきた。 つまり自国民中心主義が貫かれているのである。ここに は、さまざまな理由が考えられるが、つとに指摘されて いるように日本においては、かつての戦争に対する被害 者意識によっておおわれ、アジア諸国民に対する加害責 任について思いめぐらすことはまれであった、という事 情がある。先進的といわれる平和教育運動において「被 害と加害を統一的に教えねばならない」と叫ばれるよう になったのも、一九八○年代になってからである。

こうしたなかで「加害の論理」を欠いた日本をゆり動 かしたのが従軍慰安婦問題であったのは周知のところで ある。九一年十二月六日、金学順さんら韓国の戦争被害 者三五人が、日本政府に対して戦後補償を要求して、東 京地裁に裁判を起こした。これをきっかけに、従軍慰安 婦問題が日本の朝鮮支配や侵略を象徴する戦争犯罪とし てクローズアップされてきた。そして内外の世論が高ま るなかで民間における調査も進み、その実態をつづった 書物も発行されるようになった。九二年八月十四日には、 国連人権委員会の差別防止・少数者保護委員会が旧日本 軍の従軍慰安婦に対する補償と名誉回復のため、その実 態に関する資料を集めることを決議し、ついに国連機構 の公式会議の注目するところとなった。

こうして従軍慰安婦問題にとどまらず、強制連行によ る強制労働の被害に対する問題、台湾出身の元日本兵へ の補償、韓国の元女子挺身隊員による損害賠償など、相 次いで戦後補償問題で裁判所への訴えが出されるに至っ ている。

しかし、これまでに「加害の論理」を欠き「被害者意識」のなかにまどろんできた日本において、問題が政治的に決着されることはありえても、被害者の理解と納得 を得るような謝罪と補償の道は容易には切り開かれない であろう。それというのも「どうして祖父の世代の罪を 孫の世代が負うていかねばならないのか」という問いが 発せられる状況は、依然としてきわめて根強いからであ る。ドイツでは祖父や父の世代が社会的に活躍していた 時期に、謝罪と補償に着手してきたのだ。

(小見出し省略)

 

(出典) 望田幸男「『戦争責任・戦後責任』問題の水域」

(栗屋憲太郎ほか五名『戦争責任・戦後責任 日本と ドイツはどう違うか』)

(一九九四年朝日選書)

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