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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学 法学部 小論文 1997年 過去問

1997年 慶應義塾大学 法学部 小論文 課題文

次の文章を読んで、生物進化論が社会科学に与 えた影響についてまとめ、あなたの考えるとこ ろを述べなさい。

 

このように、一七世紀から一八世紀にかけて、すでに 地球や自然界の歴史的展開ということは何人かの人びと にとっては当然のこととなってはいたが、しかも、一つ大切な点は、そうした時期における「自然界の歴史的展開」は、「進歩」すなわち「悪い状態から良い状態へ」と いう価値スケールのなかで考えられていたわけではない という点である。むしろ、自然は人間の堕落に見合うよ うに神が悪い状態に造り変えているのであり、それが破 局の積み重ねとなって最後の審判にいたるのだ、という 考え方が強かったと言えよう。

こうした終末論的な悲観論を逆転させた、地球、生物 界、そして人間社会の歴史が、「悪い状態から良い状態へ」 の「進歩」の歴史である、という楽観主義は、まさしく 啓蒙主義と産業革命の所産であったと言えよう。一七世 紀までの神の支配する自然という考え方から、人間の支 配する自然へという一八世紀啓蒙期の考え方への転換が如実に示すように、歴史は自分たちの手で築くものであ り、また世界の歴史は、より良い方向に向かってつねに 進んでいるという「進歩」の思想がヨーロッパ世界を強 く支配し始めた。それが、「生物の進化」すなわち下等動 物から高等動物へという価値尺度を歴史が昇りつめてき た、という思想を下から支えることになったのである。

したがって、生物進化論は、そうした「社会進化論」 と密接に連なっている。たとえばのちに見るように「適 者生存」や「生存競争」など進化論の概念として使われ ているものは、もともと資本主義の理念としての「自由 競争」に由来していて、「社会進化論」の強力な推進者と して知られているスペンサー (一八二○ー一九○三)の 用語であったし、ダーウィンやウォーレスの生物進化論 のきっかけが社会学者としてのマルサス (一七七六ー 八三四)の『人口論』であったことも、生物進化論と社 会科学的思想との強い関連を物語っている。

(中略)

歴史的に見れば、西欧的思想圏が近代初期に被った最大の衝撃は、コペルニクスに始まる「地動説」であったであろう。それは、単に地球が動くか動かぬかといった 問題ではなく、それまで宇宙の中心というきわめて特別 な場所に位置づけられ、特別扱いを受けてきた地球が、 他の惑星と同じ惑星に過ぎない、という、いわば地球(人 類の棲家としての)の特権意識を崩壊させたからである。 しかし、西欧思想圏にとって第二の砦は、「人間」の特異 性、人類の特権意識であった。

「人類」は特に神から嘉された特別の存在である、と いう考え方は、単にキリスト教を積極的に肯定しようと する人びとのあいだだけでなく、深まりゆく近代のなか で、キリスト教から一応離脱しようとした人びとのあい だにさえ根強く残された価値観であった。ヒューマニズ ムというのは、もちろん根本的にはキリスト教に根ざし てはいるが、しかし意識としてはキリスト教とは一応独 立であるとみてよい部分がある。しかもそれはルネサン ス以降の世俗化の現象のなかで、キリスト教の神を棚上 げした西欧近代思想の中枢をさえ占めているのでもある。 しかし、hunanismという言葉そのものがよく物語るよ うに、この思想もまた、きわめて「人間中心的」であり、自然や他の生物とは完全に切り離された特別な存在とし ての「人間」を、すべての基礎に置くという考え方は微 動もせずに、ヨーロッパの近代を貫徹していたのである。 ダーウィニズムは、それを打ち壊した。

「人類」は、もはや、特別な存在ではなく、他の生物 と同じ起源から、同じようなメカニズムで変化してきた ものでしかない。とすれば、人間の特異性も、単なる相 対的・比較的なものでしかない。このような考え方をダ ーウィニズムのなかから受け取った西欧の社会は、これ を積極的に肯定するにせよ、あるいは否定的に取り扱う にせよ、ダーウィニズムを生物一般の問題としてよりは、 間、あるいは人類の問題として論議をするという強い 傾向をもつにいたった。とくに否定的に取り扱おうとし たのは、人間の超自然性を主張するキリスト教界であっ たことは言うまでもない。

しかし、ダーウィニズムをとくに「人間」の問題とし て取り扱う、という意味は、人類の起源がサルもしくは 類人猿であるか否か、といったような場面だけに限られ るわけではない。ダーウィニズムは、すでに述べたように、社会思想から重要なフィード・バックを受けていた が、ダーウィニズム自身が今度は、人類の「社会」的問題を扱う思想領域へ逆にフィード・バックすることになった。

「最適者生存」の「最適者」という概念を、きわめて 怒意的に、自分の都合のよいように解釈して、それを倫 理や社会思想の面に応用しようとする態度が、『種の起 源』以後急速に拡がっていくのが、そのことを示してい る。自由競争という資本主義の理念こそ、その競争のな かで最良のものが生き残るという生物学的原理が保証す る社会進歩の原理なのであって、競争を否定する社会主 義では、人類社会の進歩は希めない、という社会主義批 判も、「科学」の名のもとに横行したし、「天賦人権論」 など万人が平等な権利をもっているとする発想も、ダー ウィニズムの名で攻撃された。たとえばチェンバレン(一 八五五ー一九二七)は元来はイギリス人(一九○八年ド イツに帰化)でありながら、一八九九年に『一九世紀の 基礎』という書物をドイツ語で書いたが、この書物は、 人種の優劣を生物学的に証明しようとし、とくにゲルマン民族の優秀性を強調して、そこに暗に「優勝劣敗」と いうダーウィニズムの通俗的スローガンを示唆したし、 ダーウィンの従弟ゴルトン (一八二二ー一九一一)が始 めたと言われる「優生学」は、一方において、遺伝的操 作のなかで悪性の素質を排除すると同時に、他方では「優 れた」素質を伸ばすという考え方を基にしており、「人種 改良」や「人間の進化」が現実の問題として浮かび上が ってくることにもなった。

しかし、このように、「人間」が「人間」の素質の善・ 悪を判断し操作するという思想がきわめて危険であるこ とは、ナチズムの例が鮮やかに教示してくれており、「優 生学」が一部には進化論を中心とする純粋の科学理論に 根を下しているだけに、これまでになかった「人間の手 による人間の人為潟汰」という思想の合理化さえ行なわ れるようになったことは注意しなければならない。そし てこのような「人類」の進化や、「人類の改良」という着 想から、いわゆる一九世紀末の「超人思想」も現われて くることになると言えよう。

 

(出典) 宏重徹·伊東俊太郎·村上陽一郎 『思想史のなかの科学』 村上氏執筆部分より (一九七五年、本鐸社)

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