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年中無休の家庭教師 毎日学習会

慶應義塾大学 法学部 小論文 1996年 過去問

1996年 慶應義塾大学 法学部 小論文 課題文

次の文章を読んで、著者のいう「擬似現実」に ついて論じなさい。

 

「他の世界」というものの存在をこれほど強く実感し、 「他の世界」のありさまについて、多くのひとびとがこ れほどたくさんのことを知っているということは、過去 のどの時代にもなかったことであり、このことは、明ら かに、現代のひとつの重要な性格である。

現代の…と言っても、もちろん、右のことは現代の全 世界に共通に、同じ程度に見られる事態ではなく、右の ことが顕著に見られるのは、いわゆる先進諸国において である。現代日本がその一例であり、いや、一例と言う よりも、諸局面でさまざまな「他の世界」が取り込まれ て存在し、ひとびとがきわめて身近なところでそれらに 接しながら生活しているひとつの顕著な例とも言うべき ものが、今日の日本である。

今日の日本の、まず衣食住の場面に、実に多種多様な 「他の世界」が取り込まれている。世界中に、あるいは 地球上に、多くの地域や国が存在し、さまざまな生活形 態や文化、そしてものの見方考え方が存在するということを、われわれはすでに衣食住の場面で、もはやそのこ とをあらためて意識することがないという場合も少なく ないほど、よく知っている。たとえば、「衣」。今日では、どんなに珍しい民族衣装を着たひとに出会っても、そのデザインや色柄に関して「珍しい」という感じ方はする にしても、そうした衣装も存在し、そうした衣装がふつ うであるひとびとも存在するということは、われわれは よく承知している。「食」と「住」についても同様であ り、とくに今日の日本では、実にさまざまな「他の世界」 の「食」と「住」に関心が持たれ、その相当部分は自分 たちの食生活と住生活に取り込まれている。そして、こ のような衣食住のレヴェルでの実感に支えられて、それ より抽象的なレヴェルでの、「他の世界」の文化やものの 見方考え方というようなものの存在もわれわれはよく知 っている。

 

このような現実をもたらしたのは、まず、直接的には、 交通の発達による「他の世界」からの、また「他の世界」 への、ひとびとの往来、そして、通信の発達による「他の世界」からの、また「他の世界」への、情報の往来で ある。

交通とその基盤の上に成り立つ交易が「他の世界」と いうものの存在をひとびとの認識の中に次第に現実化し、 そして、それはひとびとの生活という次元においても現 実的なものとなっていく。歴史上、事例は数多くある。 いわゆる「シルクロード」の諸事象、「大航海時代」の諸 事象、等々。そうした歴史上の諸事象もさることながら、 現代の交通と交易はそれらをはるかにしのぐスケールの ものであり、これが、ひとびとのものの見方考え方に、 かつての歴史上の事例をはるかにしのぐスケールで、影 響を及ぼしている。

ものの見方考え方というとき、ひとはしばしば哲学史 ないし思想史を取り上げ、Aという思想家のあとにBと いう思想家が出て、Aとはちがうかくかくしかじかの思 想が展開された、というふうに、あたかも思想がいわば 思想自体として動いているかのような言い方で、議論す る。しかし、そのような議論は、何段階も抽象化するこ とによって可能なものであって、議論の根本には現実の諸事象がある、ということを忘れてはならない。「他の世 界」ということに関するわれわれのものの見方考え方の 根本にあるそうした現実のうちの重要なひとつが交通と 交易なのである。

 

このような現実をもたらした現代の交通と交易の特徴 は、過去のそれとの比較をコントラストを強めたかたち でおこなうならば、交通と交易の量がきわめて多く、質 がきわめて多種多様で、速度がきわめて速く、そして たやすくなったために、多くのひとびとにとって身近な ものとなっているというところにある。

遠隔の地の物品がもたらされるとか、異なった文化が 紹介される、というようなことは、昔にもあった。しか し、それは、その量においても質においても、また、そ れを身近なものとするひとびとの範囲という点に関して も、今日の場合に較べれば、ごく限られたものに過ぎな かった。たとえば、正倉院の御物の中に遥か遠くからも たらされた異文化の品々があるとしても、それを身近に 見たり、さらにはそれらを自分の生活において実際に用いることができたひとびとはごく限られていた。それゆ えまた、こうした異文化の品々に伴うかたちでもたらさ れた異文化のものの見方考え方が、いわゆる一般のひと びとを含む社会全体に広汎に影響を及ぼすということは なかった。

これに対して、今日は、ジャンボ機に代表される大型 輸送機によって、ひとびとと物品が、一般のひとびとの レヴェルでも、世界中を往き来し、物品に関しては、大 型船舶が果たしている役割も大きい。

(中略)

このような現実をもたらしているのは、交通と交易に も増して、通信の現状である。この通信とは、情報の交 通と交易ということでもあり、今日におけるその著しい 発達というのは、直接には、科学技術の所産のひとつと しての通信メディアの発達である。これが現代の世界観 にきわめて大きな、そして(ネガティヴな意味も含めて) 重大な影響を与えている。

さきに交通と交易のところで見たのと同じような事態 が、通信において見られる。交通と交易において人や物であったものが、通信では、情報に替わった。すなわち、 今日の通信の特徴は、まず、さまざまな情報が多量に、 そして速く、一般のひとびとに触れるかたちで往き来し ている、ということ、そのようなことを可能にするよう な科学技術的メディアが発達している、というところに ある。

そして、この場合の「情報」とは、基本的に電気的メ ディアによって伝送されうるような種類の情報である。 そうであるからこそ、つまり、そのような情報であるか らこそ、科学技術の発達の結果として、さまざまな情報 が多量に、そして速く、一般のひとびとに触れるかたち で往き来するということが可能になっている。たとえば、 端的に対比すれば、アメリカ大統領その人が科学技術的 手段によって速く、一般のひとびとに触れるかたちで往 き来するということは、いくら科学技術的手段が発達し たからといっても、アメリカ大統領その人はあくまでも ひとりの生身の人間であるから、それほどできることで はないが、アメリカ大統領に関する言語による情報や映 像情報は、科学技術的手段によってきわめて速く、一般のひとびとに触れるかたちで往き来することができる、 ということである。

この例に端的に示されているように、現代の科学技術 のひとつである電気的な通信手段が「フェイス・トゥー・ フェイス・コミュニケーション」ならぬいわば「テレ・ コミュニケーション」を高度に可能にした。たとえば、 われわれは自分の眼前には存在していない事象、場合に よってははるか遠隔のところに存在している事象をテレ ビジョンによって見る。こうした仕方で、放送、新聞、 週刊誌などを通して、つまりは、直接にではなく、メデ ィアを介した「写し (コピー)」によって、われわれは現 実を知っている。いや、知っているつもりになっている。「他の世界」も、このようなかたちで知っているつもりになっている現実のひとつである。

しかし、「写し」は「オリジナル」と同じではない。「写 し」がどこまで「オリジナル」に近いかは、一律には論 じられないが、「現実」が「オリジナル」である場合、そ の「写し」としての情報はいずれにしてもいわば「擬似 現実」である。

この「擬似」という重大な性格は、情報という擬似現 実の場合には、避けることができない。情報メディアと いうものは、単なる伝送メディアではなく、必要に応じ て変形したり加工したりするメディアであるからである。 この、必要に応じて変形したり加工したりするメディア であるということと、情報メディアが科学技術的な電気 メディアとして発達しているということとは、密接不可 分である。

情報という擬似現実は、伝送 (具体的には、電送)さ れてきたものであるだけではなく、必要に応じて変形さ れたり加工されたりしてきている。

(中略)

情報の変形と加工は、きわめて組織的に、また「公的 に」なされることすら、ありうる。それゆえ、現代のわ れわれが「他の世界」をどう見るか、見ているか、とい うことは、重要な次元で社会体制とも関係がある。情報 メディアを制する者がひとびとの世界観を制する、とい う事態にもなりかねない。

現代における情報メディアの発達は、その根幹におい て、ネットワーク化というかたちで進みつつある。われ われは、多種多様な情報を多量に獲得して、「他の世界」 について自分なりに知識を積み重ね、自分の責任で判 断をしているつもりになっている。「価値観の多様化」と いうようなことが言われるのも、そのような「つもり」 の一局面である。しかし、「どこかで、その必要に応じ て、変形されたり加工された、本質において同じ」情報 によって、多くのひとびとが同じ方向へと方向づけられ ているということになっているかもしれない。現代は、 その意味で、「他の世界」が実ははなはだ見えにくい時代 であり、現代人が抱いている世界観は、少なくともこの 意味で、はなはだ危ういものでしかない。

 

増成隆士『(新訂) 現代の人間観と世界観』 (放送大学教育振典会、九九二年)

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