早稲田大学 文学部 AO入試 志望理由書 提出例(小原淳ゼミ向け)

■議論の整理

オリンピックとナショナリズムの結びつきは古くから指摘されていた。身体の高揚がナショナルな意識を喚起することは、情動的な要素と関連付けられながら説明されることが多い。軍隊や警察などは、身体の規律化を通じて、従順な呼びかけに応える身体になる。オリンピックはナショナルチームとして鍛えられた選手たちの身体が我々の身体を同時に高揚させる表象として機能することで一種のナショナリズムを喚起するメディアとして作用することになるのである。

 

■問題発見

この問題を具体的な事実に基づいて研究したものとして、ドイツのオリンピックとドゥルネン運動があげられる。ナポレオン帝政期のトゥルネン運動が、ドイツ国民の身体を訓育し、オリンピックに不参加だったドイツが、オリンピア熱を過熱させていくさまがつまびらかに指摘されている※1。ドイツは、オリンピックを国家的な装置として使用し、のちのナチスとして純化していく様子まで浮かび上がる。

 

■論証

多くの身体行為が情動を指摘することは芸術分野にまでおよぶだろう。戦時中のプロパガンダ映画では、映画という情動装置を用いて、みるものを国家万歳と叫ばせるようなストーリーを映像と音で仕立て上げる。ドイツでもリーフェンシュタールの映画がその役割を果たしたというのはよく指摘されることだ。

 

 

■結論

しかし一方で、身体は常に、表象から逸脱する。オリンピックがいつでも国家のものだったかどうか。私たちはその点を注意深く見つめなければならない。身体の訓育→情動→ナショナリズムの喚起という表象体系は、逆にスタート地点であった身体の逸脱が常につきまとうシステムだ。サッカー選手の身体は、空間を作り出す不思議なパフォーマンスを発揮し、新しいトポスを生み出すことを私たちは目の当たりにしてきた。そこに国家は介在しているのだろうか。

 

■結論の吟味

身体という不気味なもの。情動を喚起させられながら、不思議なアジャンスマンを引き起こす可能性としての身体。オリンピックとナショナリズムの関係の次に考察しなければその中で起こっている身体の躍動だ。身体がそのような躍動を起こすとき、そこに国家は関与している。しかし国家が関与した身体は国家を逸脱する。この奇妙な共犯的で反逆的な身体について私たちはより深い考察をしなければいけない。ちょうどリーフェンシュタールがとってしまった映画が、イデオロギーに収まらない身体を映し出してしまったように。以上のような関係性を考察してみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1小原淳「ドイツ・トゥルネン運動と近代オリンピック復興運動:近代ドイツ・ナショナリズムに関する一考察」『史観』150 2004

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