早稲田大学 文学部 AO入試 志望理由書 提出例(小松弘ゼミ向け)

■議論の整理

映画には、物語がある。それは、体制賛美的な内容であるかもしれないし、反体制的な内容であるかもしれない。物語は、人々を動員する側面を持つのは確かだ。ある種のセンチメンタリズムが、国家的なイデオロギーを言祝ぎ、わたしたちをナショナリストに帰ることも有るかもしれない。戦時中のプロパガンダ映画がそのよい例だった。

 

■問題発見

では一方で、映画は、物語だけをみるものか。映画に物語が入り込むのは当然そうだとしても、それが映画のすべてではない。映画が、人間の知覚を超えた眼を提示した芸術であることはシネフィルたちの一般通説として定着して久しい。私たちは普段見たいものしかみていなくて、本当に見るべき細部を忘れている。それをキャメラはとらえてくれる。では、映像と物語は二律背反的な存在として考えるべきか。

 

■論証

芸術形式にはいくつかの側面がある。芸術形式自体が持つ、物質性が露呈するある種のメタ認知が必ず紛れ込むのが芸術だ。たとえば小説であれば、書く行為という物質性が、いつしか語り手という存在を生むし、書くとはどういう行為なのかを包含したテーマを生み出してくる。物語は、そのうえで、語られ、変容し、時には利用され、消費される。

 

■結論

映画も同様だ。映画には映像と音声があり、画面内と画面外がある。コマとコマがあり、光と闇の明滅がある。それらが持つリズムや限界がスリルやサスペンスを生み、抑揚をつけ、人びとを鼓舞する。ナチスを題材にした映画を撮ったからと言って、スピルバーグがナショナリストであるわけではないし、ドライヤーが反体制的なことを書いたから、悪魔だという言い方は適当ではない※1。

 

■結論の吟味

単に、映画と言う表現がそうさせた。それが映画が持つ大義であり、映画が持つ革命への可能性だ※2。物語が持つ力能を映画がどう解き放つか。物語批判という文脈を超えたところにある、映画と物語の関係性を再度熟考してみたい。上記のことを研究してみたいと考え、貴学への入学を希望する。

 

※1小松弘「イデオロギーか様式か――「サタンの書の数ページ」にまつわるプロブレマティック――」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第三分冊52 2006

※2廣瀬純「シネマの大儀 『シネキャピタル』再読」『層 映像と表現』(8)2015

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